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トランスジェンダー役はトランス俳優へとの米の論調に、草なぎ剛の新作のようなケースも今後は影響が?

斉藤博昭映画ジャーナリスト
9/25公開の『ミッドナイトスワン』。母性にめざめる主人公を草なぎ剛が熱演する。

ここ数年、時折、話題のトピックとなり、2020年になってから頻繁に目にするようになった、トランスジェンダー(以下、トランス)役を巡るキャストの問題。トランスジェンダーの役は、シスジェンダー(トランスではない人。以下、シス)の俳優が演じるべきではない。トランスの俳優が演じるべき、というもの。過去に『ボーイズ・ドント・クライ』のヒラリー・スワンクや、『ダラス・バイヤーズクラブ』のジャレッド・レトがトランス役でアカデミー賞を受賞。その他にも『リリーのすべて』のエディ・レッドメインなどノミネートされるケースは多い。たしかに自分と「別人」になりきるという俳優の目的を達成しているようだが、近年、特にハリウッドではシスの俳優がトランスを演じることへの反発が強く、スカーレット・ヨハンソンハル・ベリーがトランス役を自ら降板。「トランスの役は、トランスの俳優に回すべき」という考え方が大勢となり、なぜそうなのかという記事も出るのだが、日本ではどこか反応が冷たい。というか、反発するコメントが目立つ。

文春オンラインの溝口彰子氏の「大炎上」を受け……ハル・ベリーのトランス役降板は、行き過ぎたポリコレか?に対してYahoo!ニュースのコメント欄には

ストレートの人がトランスジェンダー役を演じてはいけないのなら、その逆も同じ。トランスジェンダーの人がストレートの役を演じてはいけない事になる。まさか逆は良いのよってムチャクチャな事言わないよね?

という、逆に不平等に発展するというコメントや、

これを突き詰めていくと、織田信長はその時代の人じゃないから演じられない

つまり「当事者」にしか演じられない原則ができれば、もはや役者は必要ないという、やや極端なコメント、さらに

それ言うなら俳優という職業が成り立たないじゃん

という「演じる」仕事の根本を論じるコメント、また

最近のアメリカは、現実と作品の区別ができない人が増えてきたようだ。日本とは違う角度で同調圧力が強い国だと思う

という、アメリカの考えが行き過ぎというコメント。だいたい上記の4パターンの反発が出ていて、これはアニメの黒人の役に白人の声優がふさわしくない、という記事のケースによく似ている。

溝口氏が記事で論じる、トランス俳優がトランス役を演じるべきである理由は、おおまかにふたつ。

ひとつめは、性別移行を経たトランスジェンダーの身体には、移行前と移行後の経験が複雑に「書き込まれて」おり、それをシス俳優が再現することはほぼ不可能だからだ。

(中略)

トランス俳優がトランス役を演じるべきであるもうひとつの理由は、現在のところ、映画やドラマなどにおいて、トランス俳優の姿を見ることが圧倒的に少な過ぎることだ。つまり、トランスジェンダーの当事者たちは、銀幕やテレビ画面上で、「自分たちと同じトランスというカテゴリーの人々の姿」を見る機会が圧倒的に足りていない。

出典:溝口彰子氏の記事より

多くの人が「そんなことに関係なく、うまい俳優、よく知っている俳優が、難しい役を自分に近づけ、あるいはイメージを裏切って新たな一面を見せてくれる姿を楽しみたい」と感じていることだろう。

最近の日本の例では、ドラマ「女子的生活」の志尊淳、映画『彼らが本気で編むときは』の生田斗真のほか、瀬戸康史、菅田将暉、松坂桃李、安田顕、阿部サダヲ(これらはみなトランス女性)、またトランス男性では韓国の人気ドラマ「梨泰院クラス」のイ・ジュヨンなど次々と例が挙がる。俳優にとっても挑戦したくなる役なのは間違いない。

しかし一方で、映画やドラマは観る人の価値観や人生を無意識に大きく左右してしまうもの。トランスジェンダーとは「演じて作り上げるもの」という特殊なイメージを与えてはいないだろうか? だからこそ、本物のトランスの人たちの演技をもっと観てみたい、という論調は正しいとも思う。もちろんトランス役全員をトランス俳優にするのは無理があるにしても、トランスの俳優の数も個性も幅広いアメリカでは、そのような欲求が湧き上がるのは必然だ(このあたり、Netflixのドキュメンタリー「トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして」をぜひ観てください!)。実際にスカーレット・ヨハンソンが降板した作品は、新たにトランスの俳優を起用してドラマでの製作が動き始めている。

こうした論議をふまえ、トランスジェンダーの女性を主人公にした日本映画の新作『ミッドナイトスワン』を観ることは、ある意味で意義のあることだろう。

これまでも多くの難役をこなしてきた草なぎ剛にとっても、トランスジェンダーの役は初めて。『ミッドナイトスワン』で演じた凪沙は、新宿のニューハーフショークラブで働く身だが、故郷の親戚の娘・一果を預かることになる。自分自身との激しい苦闘に加え、バレリーナを目指す一果との複雑な関係性、そしていくつかの衝撃のシーンも用意され、ここまで俳優の演技力が試される役も珍しい。過去の草なぎのキャリアを考えても間違いなくハイレベルだ。生田斗真ら前述の日本のシスの俳優たちのトランス役よりも、この迫真さ、壮絶さは、ジャレッド・レトらハリウッドのシスの俳優たちの例に近いかも。純粋に「演技」としての見応えは十分なのである。

この『ミッドナイトスワン』には、ショークラブの仲間で真田怜臣(れお)というトランスの女優も出演している。では彼女を主役に映画を作ることができたか? あるいは、はるな愛のようなトランスで知名度のあるキャストだったら? ハリウッドのスカーレット・ヨハンソンのケースと比べると、作り手のポリシーや、観客の受け止め方など、やはり日本は実情が大きく違うだろう。

また、日本では歌舞伎、宝塚の文化が、長い歴史で「他の性を演じること」を芸事として受け継ぎ、広く愛されてきた。そうした土壌も、トランス役の受け止められ方と無縁ではない気がする。

ハリウッドでの論議の影響を受け、日本でも映画やドラマにおけるトランスジェンダーの表現、キャスティングに何か変化が起こるのか? 名のある俳優がトランス役を断るというケースが出れば、何か変わるかもしれない。しかしそもそも日本では、役を断る場合、俳優の意思が報道されることは少ない……。

草なぎ剛のファンには、このような記事は余計かもしれない。素直に彼のトランスジェンダー役を堪能すればよく、その点はじつに多彩な感情を表現しており、とくに悲痛な告白シーンの真に迫った顔は忘れがたい。とはいえ、ハリウッドなどで波紋を広げた、このトランス役問題。他のポリコレと表現の自由の関係もそうだが、「日本は日本」と問題にせず割り切るのもいい。でもちょっとだけ、異なった意見も素直に受け入れることで、「草なぎ剛の演技、スゴかったね。でもアメリカでは今、こういうの作れない。なんで?」と、あれこれ考えを広げるのも悪くないのでは?

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『ミッドナイトスワン』

9月25日(金)、全国ロードショー

配給/キノフィルムズ

(C) 2020「MIDNIGHT SWAN」FILM PARTNERS

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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