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“延期地獄”の末に『ムーラン』、ついに日本でも配信オンリーとなり、今後の作品への影響は?

斉藤博昭映画ジャーナリスト
今年の3月にはプレミアも華やかに行われた『ムーラン』(写真:REX/アフロ)

予想どおりという気もするが、決断が下された。

2020年、ディズニーの話題作のひとつ、『ムーラン』が日本での劇場公開を見送って、9月4日からの配信に踏み切った。すでに8月4日の時点で、ウォルト・ディズニー・カンパニーは、『ムーラン』をアメリカなどの一部の国で劇場公開を諦め、自社のストリーミングサービス、ディズニープラス(Disney+)で9月4日から有料配信することを発表していた。その時点で日本は一部の国に含まれておらず、日本のディズニーも劇場公開を目指していた。しかし結局、本国アメリカの流れに追随することになった。これは当然と言うべきか、残念と言うか、複雑な心境である。

当初のスケジュールでは、今年の4月17日に公開予定で、ゴールデンウイークの目玉のひとつだった『ムーラン』は、新型コロナウイルスの影響で、一旦、5月22日に延期。改めて考えると、このわずか1ヶ月の延期は甘かった。しかし、それも今だから言えること。日本政府による緊急事態解除宣言は5月25日だったので、その前の公開日設定は物理的に無理であった。その後、ようやく7月3日に、9月4日の劇場公開が決定。日本では映画館が通常に近い営業を始めていたので、さすがに今度は実現するかと思われた。しかし7月27日、アメリカ本国での劇場公開再延期に伴って、またしてもこの初日はキャンセルになってしまった。

他の多くの話題作も公開延期しているが、この『ムーラン』ほど変更が度重なった例は特殊。それだけ最適な公開タイミングが検討されていたということだ。公開日が決まるたびに、そこに合わせた宣伝をしたにもかかわらず、延期の変更で多方面に謝罪しなくてはならない。これがリピートされ、スタッフの苦労と心痛には同情するばかり。まさに“延期地獄”である。

『ムーラン』はご存じのとおり、ディズニーの名作アニメーションの実写化作品で、『アリス・イン・ワンダーランド』『美女と野獣』『シンデレラ』『アラジン』と、大成功を導いてきたパターン。その知名度だけでもヒットが期待されていた。ただ、オリジナルのようなミュージカル仕立てではなく、アクション映画としての作りであり、メインキャストが中国語圏のスターたち(そこは近年のハリウッド大作らしい、多様性への意識が万全)。日本での特大ヒットという点では、前述の作品群のように簡単ではなかったはず。だからこそ、どの程度、観客に受け入れられるかに興味があったのだが……。

ムーラン役のリウ・イーフェイのほか、コン・リー、ドニー・イェン、ジェット・リーらが共演。(C )2020 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
ムーラン役のリウ・イーフェイのほか、コン・リー、ドニー・イェン、ジェット・リーらが共演。(C )2020 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

今回のディズニープラスの配信では、同サービスに加入したうえで、『ムーラン』にはプレミアアクセス料金として2980円(税抜)が必要となる。これは本国アメリカと、ほぼ同じ条件。たとえば家族で何度でも視聴できることを考えれば、劇場の入場料よりは格段に安い。ディズニー全体のファンなら、すでにディズニープラスに加入している人も多いわけで、『ムーラン』を気軽に観られるメリットはある。しかし壮大なスケールのアクションを、やはり大スクリーンで観たかったと思う人もいることだろう。

では全世界的に『ムーラン』が“直配信”になるかといえば、まだそういうわけではない。ディズニープラスは現在、アメリカ、日本の他、カナダ、オランダ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、アイルランド、ドイツ、イタリア、スペイン、オーストリア、スイス、インド、フランスで提供しており、『ムーラン』の舞台となった中国では、日程は決まっていないが、現段階で劇場公開が想定されている。7月末にディズニーが『ムーラン』の配信に踏み切ったニュースが流れたとき、「アメリカと中国の関係悪化も影響しているのでは?」などというコメントも散見されたが、それは関係ないだろう。おそらく今でも、ディズニーは中国で『ムーラン』を何とか劇場公開できないか模索を続けているはず。しかし一旦、ディズニープラスで配信が始まれば、海賊版が出回ってしまうリスクも高くなるのは事実だ。そもそも中国でも映画館は完璧な状態でオープンしているわけではなく、時間が経つにつれ、『ムーラン』への好奇心も薄くなってしまう。

コロナ禍で翻弄される、映画の劇場公開。そして配信への選択。最大のネックは、アメリカでの感染が一向に沈静化せず、映画館のオープンが遅れている点だが、2020年最大の話題作のひとつ『TENET テネット』のように、アメリカでは一部の映画館しか開いていないもかかわらず、世界各国での公開に踏み切る作品もある(8月末から各国で公開が始まり、日本は9月18日公開)。

『ムーラン』と同じディズニー配給の今後の作品も、『キングスマン ファースト・エージェント』が9月25日、『ナイル殺人事件』が10月23日、『ブラック・ウィドウ』が11月6日と、日本での公開日がアナウンスされており、変更はなさそう。これらも、アメリカの映画館の営業状態によって、世界各国での公開に影響が出てくるのか? あるいはアメリカ国内の状況があまり好転しなくても、『テネット』のように、世界的な公開を実現させるのか? しばらくは難しい判断に迫られるのは間違いない。

いずれにしても今回の『ムーラン』のディズニープラス配信の成果が、今後の作品へ与える影響は大きいだろう。もし予想を上回る収益を上げた場合、これから劇場公開のタイミングを迷う作品のいくつかが、思い切って配信に舵を切るはずだ。とりわけ、ディズニーのように自社の配信サービスをもっている場合、この選択は容易になる。

『ムーラン』の場合、「結局、劇場公開できず、配信になってしまった」というネガティヴな印象も与えるが、逆に、コロナ禍で映画館へ行くことを躊躇している人は、配信で観られるメリットを満喫するに違いない。また一方で、映画館だったら観てみたかったけど、ディズニープラスに加入してまでは……と考える人もいるはず。こうした受け取り側の感覚とともに、9月4日から配信される『ムーラン』にどれだけ注目が集まるのか、その行方を見守りたい。

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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