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Netflixにはまだ懐疑的。昨年のベストは『万引き家族』。4/12公開『荒野にて』監督インタビュー

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『荒野にて』アンドリュー・ヘイ監督。なぜかアイスクリームを手に(提供/GAGA)

観ている間は、じわじわと、ゆったりとしたムードを感じるが、観終わった後、心にズッシリと残り、しばらく余韻に浸ってしまう映画がある。

荒野にて』は、そんな作品だ。

15歳で天涯孤独になったチャーリーは、殺処分が決まった競走馬のピートを連れ出して、過酷な旅へと出る。
15歳で天涯孤独になったチャーリーは、殺処分が決まった競走馬のピートを連れ出して、過酷な旅へと出る。

幼い頃に母親が家を出て行き、15歳で父親との別れも経験する主人公チャーリー。さらに世話をしていた競走馬ピートの殺処分が決まり、チャーリーは唯一、心から慕う伯母を探す旅に出る。ピートを連れて荒野を行く彼には、過酷な運命も待っているのだった……。原題は「Lean on Pete(ピートに寄り添って)」。孤独と絶望、サバイバル、そして成長。15歳の少年の目線でこの作品を撮ったのは、アンドリュー・ヘイ監督。前作『さざなみ』でも、長年連れ添った夫婦の「不信」を、生々しいほど鮮烈に描いた、人間ドラマの名手である。

アンドリュー・ヘイ監督に、『荒野にて』についてインタビューした。

余白によって観客の想像にゆだねたい

『さざなみ』も『荒野にて』も、主人公が本心では何を考えているのか、直接は描かずに、観客に委ねる部分がいくつもある。一見、ストーリーに関係していないようで、そこが主人公の感情の重要な伏線だったりもする。それゆえに映画を観終わったときの心のざわめきが大きくなるわけで、ここはヘイ監督の意図なのだろうかか?

「僕自身も、映画館を出たときに、監督が作った『余白』の効果に浸りたい。だから自分の作品でも、直接描かない『余白』や映画のリズムで、登場人物の感覚や、物語の世界観を伝えようとしている。日本映画には、こうした余白で伝えるテクニックがあるよね? アメリカ映画や、僕が育ったイギリスの映画には、こうした余白の文化は希薄だから、あえて僕は意識するんだ。『荒野にて』も冒頭の朝食シーンから、時間の流れや空間をゆったり使っているよ」

しかし、こうした余白の効果を出すためには、演出だけでなく、有能な俳優も必要となる。『さざなみ』ではシャーロット・ランプリングという超ベテラン女優がそれを成しとげ、彼女は同作でアカデミー賞ノミネートを果たした。今回のチャーリー役、チャーリー・プラマーは現在19歳。撮影時は17歳という若さだった。

「『さざなみ』のラストシーンについてシャーロットと話したとき、『私は泣きたい気持ちになったら泣く。そうでなければ涙は流さない』と言われた。つまり『泣く演技』はしない、ということ。チャーリーも若いのに、そうした演技への向き合い方だった。自分でリアルに感じていることを、そのまま表現するんだ。リアルな感情を探し出す術を、彼は17歳にして持っていたのさ」

その結果、チャーリー・プラマーはヴェネチア国際映画祭で新人俳優賞にあたるマルチェロ・マストロヤンニ賞を受賞した。(『ヒミズ』で二階堂ふみと染谷将太も受賞した賞)アンドリュー・ヘイ監督は、俳優を賞に導く才人でもある。

チャーリー・プラマーは、リドリー・スコット監督の『ゲティ家の身代金』でも誘拐される少年を演じ、絶賛された。
チャーリー・プラマーは、リドリー・スコット監督の『ゲティ家の身代金』でも誘拐される少年を演じ、絶賛された。

ただひとつの頼みの綱とばかりに、決死の思いで伯母と会おうとする。チャーリーのこの執念は尋常ではないが、ヘイ監督の映画作りにも通じるものがありそうだ。

「そうかもしれない。通常、映画や小説の若い主人公は自由を求めて家族から逃れるが、過酷な運命を強いられたチャーリーは、同世代が捨てようとする安定や快適さを必死に追いかける。アメリカの開拓者物語は西部に向かう設定が多いが、この『荒野にて』はチャーリーの思いを代弁するように、西部から東へと逆に向かうところが面白いと感じた。そして僕はイギリス人なので、外国人監督の目線で、そんなアメリカの旅を撮ったわけだ。僕らイギリス人は、アメリカンドリームが失敗する部分に興味津々だったりする、皮肉な国民性だからね(笑)」

アート系映画の未来は暗いのか…

『荒野にて』でチャーリーを支える人、彼と旅で出会う人の間には、疑似家族のような絆も感じられ、筆者が観たとき、『万引き家族』が頭をよぎった。そのことにはあえてふれず、ヘイ監督に最近観た映画について聞くと……。

「『万引き家族』が忘れられない。昨年の僕のベストワン・ムービーだ。心の深い部分に突き刺さり、そのままずっと残る。そして人生が広がったように感じる。この感覚こそ、僕が映画で追い求めるものなんだ」

しかし、ヘイ監督作品のように「余白」で余韻を残し、心の奥底に刺さる、いわゆる作家性の強い映画はハリウッドのスタジオでは年々製作が敬遠される傾向にある。今やその受け皿となっているのが、Netflix(ネットフリックス)などのストリーミング(配信)系の会社だ。アンドリュー・ヘイ監督の志向は、Netflixが快く迎え入れそうな気がするが、本人の意識は少し違うようだ。

「Netflixで製作の可能性が広がることは、僕も理解している。アート系の作品を映画館に観に行くと、20代以下の観客がほとんどいないので、未来は暗いと感じるからね。それでも映画館で映画を観ることと、配信で自宅などで映画を観ることは、やはり異なる体験だと僕は感じるんだ。明らかに音質や映像のクオリティが違うし、途中で携帯を気にする必要がない映画館での体験が好きだからだ。なかなか難しい問題だね」

自身の作風がNetflixの意向と合致するとは頭ではわかっていながら、スティーヴン・スピルバーグらが主張するように映画館での体験を重視したい。その葛藤が、アンドリュー・ヘイ監督から感じられた。おそらく彼と同意見の作り手が大半を占めるのではないか。

とりあえず『荒野にて』をスクリーンで体験してほしい。「余白」が作る時間の流れの感覚と、美しい映像詩は、やはり劇場でこそ味わえるものだと確信できるはずだ。

画像

『荒野にて』

4月12日(金)、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー

配給:GAGA

(c) The Bureau Film Company Limited, Channel Four

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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