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事件から映画化までの適正な「時間」を考える。ノルウェー史上最悪のテロ、福島第一原発事故…

斉藤博昭映画ジャーナリスト
現在、日本で公開中の『ウトヤ島、7月22日』 (c) 2018 Paradox

今年も3月11日が近づいてきた。これまでも映画は、人々に衝撃を与えた現実の事件をドラマとして描いてきたが、そこには「配慮」も必要になってくる。事件の生存者、被害者の家族らの心の傷を深める危険があるからだ。基本的に映画は「娯楽」であり、そのような媒体で安易に悲劇を「売り物」にするのは不謹慎であろう。しかし一方で、事件を後世に伝えるという使命もある。遠い過去の事件を甦らせることも大切だが、身近に感じる事件から「今ここにある危機」に警鐘を鳴らすのも、また映画である。その意味で、事件から映画化までの時間は、早すぎてもいけないし、時間が経ちすぎると現実感が薄れてしまう。そのタイミングは難しい。

2011年には日本で東日本大震災、ノルウェーで若者たちが無差別に殺されたテロが起こったが、それらの題材に本格的に取り組んだ映画が、世に出始めた。事故・事件から7〜8年が経過しており、これがタイミングなのかもしれない。

原発事故の映画は、まだ早いか、そろそろ描くべきか

これまでも東日本大震災や福島第一原発事故をテーマにした映画はあった。『フタバから遠く離れて』(2012年)のようなドキュメンタリーは数多いし、劇映画では、震災後の日本という状況の『ヒミズ』(2012年)や、原発事故による避難を描いた『家路』(2014年)などの作品があった。原発事故を、さりげなくテーマに重ねた映画(『シン・ゴジラ』『美しい星』)も多い。しかし、事故そのものを描く映画、しかも大手の映画会社が取り組んだのは、現在製作中の『Fukushima 50』が初めてだろう。

津波によって全電源停止となった原発で、いったい何が起こっていたのか。当時の証言を基にした門田隆将のノンフィクション小説「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」を原作に、徹底して「現場」にフォーカスする『Fukushima 50』は、原発事故のその後の被害を描くわけではなく、事故の責任を問うものでもない。その意味で、事故から考える未来への提言という点は薄いかもしれない。しかし多くの帰宅困難や風評被害もまだ残るこの事故を、佐藤浩市、渡辺謙というビッグネームをキャストに呼んで映画化することは、ある種の「英断」でもある。公開は2020年。事故から9年という歳月は長すぎるようで、われわれ観客が、ある程度、冷静に向き合ううえで必要な時間だった気がする。ましてや当事国の日本で映画を作るとなれば、早すぎる製作には反発や戸惑い、波紋も予想される。

2004年のスマトラ島沖地震による津波被害を描いた『インポッシブル』は、スペイン映画という「当事国ではない」製作だが、それでも8年後の2012年の映画である。

当事国の監督とNetflixによる2本の映画

福島の原発事故と同じ、2011年に起こったのが、ノルウェーでの連続テロ事件で、政府庁舎の爆発と、若者たちがキャンプしていた島での銃撃で、単独の同一犯によって合計77人が死亡。とくに後者のウトヤ島の事件は、逃げまどう若者たち69人が無差別に殺害されたことで世界に衝撃を与えた。このウトヤ島の事件もまた、映画化作品『ウトヤ島、7月22日』が日本で公開されたばかりだ。世界的な公開は2018年なので、事件から7年という歳月を要した。しかもこの事件は、同じ2018年にもう一本、映画が作られており、事件から7年というタイミングは偶然ではなさそうだ。

『ウトヤ島、7月22日』は監督のエリック・ポッペがノルウェー人で、その意味で当事国として撮った作品である。当然のごとく、犠牲者の遺族と生存者への細心の気遣いが必要であり、監督は彼らから詳しい話を聞き、その切実な思いを伝えるために、被害者側の目線で描くことに集中した。島で銃撃が起こっていた72分間を、一人の少女を中心にワンカットで描くことを、話を聞いた遺族生存者に納得してもらったのだという。犯人の顔は一切画面に出てこない。

ポール・グリーングラス監督の『7月22日』は、事件そのものは冒頭の約30分で描かれ、その後の苦闘に焦点が当てられる。(c) TIFF 2018
ポール・グリーングラス監督の『7月22日』は、事件そのものは冒頭の約30分で描かれ、その後の苦闘に焦点が当てられる。(c) TIFF 2018

もう一本の『7月22日』は、「ボーン」シリーズなどのポール・グリーングラス監督で、昨年からNetflixで配信中。こちらの作品は冒頭で事件を再現しつつ、その後の犯人や弁護士、生存者とその家族を追うドラマが大半を占める。じつは『7月22日』の製作にはノルウェー国内から大きな反発があったという。犯人をメインの一人で描くことで、彼自身が「自分が主人公で、あのグリーングラスが映画を撮った」と思い込む可能性がある……という論調だ。当事国の監督ならともかく、Netflixという巨大資本の下で自国の悲劇が軽々しく描かれる、と感じた人も多いのかもしれない。いずれにしても2作は、事件から7年後という同時期に人々の目にふれることになった。

事件から同じ時間で誕生する複数の作品

やはり世界を揺るがした2001年の、9.11同時多発テロからも多くの映画が作られたが、事件そのものを直視した劇映画、しかも世界規模で公開された作品が、偶然にも同じ2006年に2本完成している。NYのツインタワー崩壊と救助を描いた『ワールド・トレード・センター』と、ハイジャックされた機内の攻防を描いた『ユナイテッド93』だ。後者は『7月22日』のポール・グリーングラス監督作である。こちらは事件から5年後の公開。逆に事件の規模が巨大すぎる場合は、より早く映画にしようとする作用がはたらくのか。ハリウッドらしい姿勢と言えなくもない。

2008年、死亡者が172人とされるムンバイ同時多発テロも、やはり2017年に『ジェノサイド・ホテル』、2018年に『ホテル・ムンバイ(原題)』(日本は2019年公開予定)と、事件からほぼ同じ9〜10年という期間で2本の映画が完成。また、2013年のボストンマラソン爆弾テロ事件は、『パトリオット・デイ』が2016年末、『ボストン・ストロング 〜ダメな僕だから英雄になれた〜』が2017年9月にそれぞれ全米公開。事件の視点は異なるものの、こちらは事件から3〜4年という短期間に2本の映画が世に出ている。

事件の規模、人々に与えた影響、さらに映画という「売り物」にすることへの抵抗など、さまざまな要因が絡まり、こうした作品は映画化への道のりが作られるが、複数の映画が事件から同じ期間をおいて完成するという傾向は、大事件と映画化の「時間」を考えるうえで、興味深い現象でもある。

『ウトヤ島、7月22日』

ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開中

配給:東京テアトル

『7月22日』

Netflixで配信中

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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