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日本映画で唯一無二の存在となった樹木希林。彼女が示す役者としての基本。そして、その後を継ぐ者

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『万引き家族」より

カンヌ国際映画祭でのパルムドール受賞で、公開のタイミングも完璧だった『万引き家族』が大ヒットスタートしたが、この作品で最も強い印象を残すのは、やはりベテランの樹木希林だろう。

主人公一家の祖母役で、家族から年金を頼りにされつつ、芯の部分では彼らと愛情で結ばれている(ように見える)。しかし複雑な事情も抱えているこの老婆に、樹木希林は入れ歯を外して体当たりで挑んでいる。是枝裕和監督作には『歩いても 歩いても』以来、6度目の参加とあって、その信頼感が演技に表れているのだろうが、それにしても入れ歯を外して口の周りのシワを強調し、薄汚ささえ滲み出させ、ここまでリアルな老婆を演じられる人気女優は他に存在しないと感じさせる。

樹木自身、インタビューで日本映画の役者の層の薄さを指摘し、それゆえに自分にこのような役が回ってきやすいと分析している。もちろん樹木と同世代、もしくはそれ以上の年代の現役女優はたくさんいる。しかし、ある一定の知名度があり、外見を気にせず役にチャレンジできる人は極めて少ない。

八千草薫、草笛光子、吉行和子らは80代の現在も精力的に活躍しているが、どこか「おしゃれなおばあさん」という印象が拭えない。やはり「女優」という職業は、何歳になっても美しくあるべきという考え方もあり、たとえば樹木希林と吉永小百合は、2歳しか年齢が違わない(75歳と73歳)のだが、では吉永小百合が自らのイメージを変えてまで、『万引き家族』の祖母役を演じることは、常識的に考えて不可能だろう。

これは日本映画に限られたことではないが、シニア以上の世代を主人公にした作品は、ここ数年、増えているとはいえ、まだまだ少数派。そこで主役を任せられる俳優となるとさらに限られ、「知名度」と「老いも演じられる」という条件を満たすのは、男優では何人もいるが、女優ではわずかとなる。ゆえに家族を描く是枝作品や、2018年でいえば『モリのいる場所』での山崎努の妻や、『日日是好日』の茶道の先生にように、準主役を任せられるのは、樹木希林しか見当たらなくなる。

NHK朝ドラにもよく顔を出す大方斐紗子(78歳)あたりも演技巧者のバイプレイヤーだが、樹木希林に比べれば一般的認知度は低い。演技力では遜色のない白石加代子(76歳)は、逆に個性が強すぎる。藤村志保(79歳)も凛とした美しさのイメージが先行する。

では、そんな樹木希林の位置に近づくのは誰か。『万引き家族』と同日公開となった河瀬直美監督の『Vision』に出演している夏木マリに注目したい。

『Vision』の夏木マリ。ノーメークのためか、本人とはわからない瞬間がなんどもある。
『Vision』の夏木マリ。ノーメークのためか、本人とはわからない瞬間がなんどもある。

奈良・吉野の森で、静かに生活するアキという老女役に、夏木はノーメークで挑んでいる。その結果、樹木希林の入れ歯ナシほどではないが、スクリーンには確かに森に住む老女が立ち現れていた。さすがの女優魂だと感心せずにはいられない。さらに驚くのは、ほぼ目が見えないという設定での夏木の演技である。その瞳の動きは、明らかに「見えていない」人のそれであった。CGか特殊なコンタクトレンズかと思ったら、すべて彼女が自力で表現しているという。

ちなみに夏木は自分が「女優」と呼ばれることを嫌う。その理由はいろいろあるようだが、何かを演じるというより、その者になりきるという志が強いのだと思う。かつてNHK朝ドラの「カーネーション」で、ヒロインの晩年でキャストが変更されたとき、最初は賛否両論あったが、夏木の「なりきった」演技は否定の意見を鎮めるレベルだった。

夏木は現在、66歳。樹木希林の境地にはまだまだ入っていないが、『Vision』を観ると、今後の日本映画で老女を演じる名バイプレイヤーになる可能性を感じる。

日本映画やドラマの歴史を振り返ると、その時代、その時代に、「おばあさん女優」という存在がいた。古くは飯田蝶子(1897〜1972)、そして北林谷栄(1911〜2010)が有名で、彼女たちは庶民的な老女や、家庭の祖母を演じたら右に出る者はいない名バイプレイヤーとしてキャリアを積んだ。北林は舞台の仕事がメインだったが、映像での老婆役の集大成として映画『大誘拐』では主演もこなした。30代くらいから老け役を専門にしたあたりは、樹木希林とも重なる。また、「踊る大捜査線」などのチョイ役でおなじみの、「やさしそうなおばあちゃん」の定番女優でもあった、原ひさ子(1909〜2005)も忘れがたい存在。ピンポイントでいえば、『楢山節考』(1983年)のために、自分の歯を抜いてまで老婆になりきった坂本スミ子の例もあった(偶然だが、この『楢山節考』もカンヌのパルムドール受賞作)。

彼女たちの役回りを受け継ぎつつ、主役を食うほどの存在感を示す。そのためには女優としてのイメージを捨てて、どんな姿にも変貌する。それを誰か一人が担うのではなく、多くの才能が挑むことで、映画の表現も豊穣になる。これは老婆役に限ったことではなく、映画界で「役者」として仕事をするすべての人に向けた忠言だと、樹木希林の活躍から受け止めたい。

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『万引き家族』

全国公開中 配給/ギャガ 

(c) 2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro.

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『Vision』

全国公開中 配給/LDH PICTURES 

(c) 2018“Vision”LDH JAPAN, SLOT MACHINE, KUMIE INC.

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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