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ゲイをカムアウトした俳優が、ゲイ役を演じる勇気とリスク

斉藤博昭映画ジャーナリスト
5月公開『追憶と、踊りながら』のベン・ウィショー

アップル社のCEO、ティム・クックや、五輪金メダリストのイアン・ソープの例が記憶に新しいように、著名人がゲイだとカムアウト(公言)するニュースが続いている。同じ境遇に悩む若者たちに向け、勇気を与える意図もあるが、「俳優」という職業でゲイ(以下、レズビアンも含む)であると表明することは、そのキャリア上、ひじょうに難しい行動でもある。

映画の観客やTVの視聴者は、どうしたって演じる俳優の素顔をダブらせながら、作品に向き合ってしまう。ゲイのイメージを確立した俳優が、異性とのラブシーンを演じたら、違和感をもたれる可能性も高まるので、キャスティングする側もその点を考慮せずにはいられない。とはいえ、自身の素顔を忘れさせる演技をみせることが、俳優としての真価なのだが…。

リスクとメリットは紙一重

では、ゲイの俳優が、ゲイの役を積極的に演じればいいのか…というわけでもない。メジャー作品でゲイのキャラクターを主人公にするケースは極端に少ないし、あったとしても、ゲイの俳優がゲイ役を演じると、異性愛の俳優が異性愛役を演じることに比べ、格段に「生々しさ」を与えるリスクが伴うのは事実だ。しかし同時に、作品にとって大きなメリットになる場合もある。俳優側は、リスクとメリットの両方を自覚して演じる必要性がある。

その現実に勇気をもって立ち向かっているスターがいる。ベン・ウィショーだ。

007 スカイフォール』のQ役などで知られるベンは、2013年、オーストラリア人の作曲家、マーク・ブラッドショウとの同性結婚を発表。そのベンが新作『追憶と、踊りながら』で演じるのは、ロンドンの介護ホームに暮らす中国系女性の息子の“恋人”だ。息子が亡くなり、恋人の立場として彼の母親と接触する、ひじょうに難しい役どころ。愛する人を失った自身の底知れぬ悲しみを抑えつつ、言葉も通じない相手へのいたわりを表現する。ゲイである枠を超え、「愛する人の家族との関係」という普遍的な人間ドラマとして心にしみわたる、この作品。ベンのすばらしさは、息子がゲイだと知らなかった母に対する、ひたむきでまっすぐな愛情を、極限の繊細さで演じている点だ。彼自身がゲイである事実が、存分に演技に生かされていると思われる。

ベンによると出演の決め手は

脚 本 を 読 み 始 め たら、この物語が心から離れなくなった(it really stayed with m e ) 。 素 晴 ら し く 美 し い 物 語 で 、そ し て 何 よ り 驚 く ほ ど の 誠 実 さ に 胸 う た れ た 。

とのこと(マスコミ用資料より)。

じつはベン、一昨年の作品『クラウド アトラス』でも、終盤にゲイだと発覚する役を演じている。ここで気づくのは、監督との関係だ。『追憶と、踊りながら』のホン・カウ監督は、同作を「自伝的」と語り、ゲイであることを認めている。そして『クラウド アトラス』の監督、ウォシャウスキー姉弟も、姉が男性から女性へ性転換した。「ゲイ」ではないが、性的少数派のLGBTである。つまり、描く対象への限りない共感がみなぎっているということ。ゲイのキャラクターを、勇気をもってカムアウトした俳優に演じさせる。その気概が、作品に結実している。

カムアウトしたスターたち

では、ベン・ウィショー以外に、カムアウトした俳優が映画でゲイを演じたケースはどれくらいあるのだろう? これは、じつに少ない。

世界的なスターを例に挙げると以下のとおり。

ニール・パトリック・ハリス

今年のアカデミー賞ホストも務めたこの人は、舞台やTVではゲイ役を演じたこともあるが、映画では『ゴーン・ガール』のように、極端に女性を偏愛する役がハマる。

ザッカリー・クイント

『スター・トレック』やドラマ「HEROES(ヒーローズ)」で知られる彼は、ジェームズ・フランコの恋人役を演じた新作『I am Michael』が2015年に完成。現段階で日本で公開される予定はない。(監督のジャスティン・ケリーのセクシュアリティは不明)

ウェントワース・ミラー

ドラマ「プリズン・ブレイク」でトップスターに。もともと脚本家志望だった彼は、カムアウト後、俳優から脚本の仕事にシフトする傾向が強まっている。ゲイ役を演じた経験はない。

ジョディ・フォスター

ホテル・ニューハンプシャー』(1984)で、心に深い傷をもつ女性と関係をもつ役を演じた。(監督のトニー・リチャードソンはバイセクシュアル)。強いヒロインは何度も演じてきたが、カムアウト後は役のオファーを敬遠されることも。せっかくの演技力が生かされていない。

エレン・ペイジ

20代で勇気あるカムアウト。新作『Freeheld』で、ジュリアン・ムーアの恋人役を演じている。(監督は男性のピーター・ソレット)

イアン・マッケラン

アカデミー賞で脚本賞を受賞した『ゴッド and モンスター』(1998)でゲイの映画監督である主人公を演じた。(監督のビル・コンドンはゲイ)

TVムービーの「運命の瞬間/そしてエイズは蔓延した」(1993)でゲイの人権活動家を演じ、『ベント/堕ちた響宴』(1997)は舞台版、映画版ともに出演するなど、同性愛をテーマにした作品に精力的に参加。

ルパート・エヴェレット

出世作の『アナザー・カントリー』(1982)でゲイ役を経験。カムアウト後は、『ベスト・フレンズ・ウェディング』(1997)、『2番目に幸せなこと』(1999)で、ヒロインの良き理解者であるゲイを演じている。

このように、「サー」の称号をもった名優、イアン・マッケランは別格として、カムアウトした俳優がゲイの役を演じるのは、ジョディ・フォスターのようなオスカー女優でも、いやむしろ、大スターになるほど難しいことがわかる。ルパート・エヴェレットのように、カムアウト後のゲイ役は、あくまでも主人公のサポート役。コメディリリーフの色合いが強い。そのエヴェレットもカムアウト直後は仕事が激減。近年は、映画出演が少なくなっている。また、『追憶と、踊りながら』や『クラウド アトラス』と同じように、ゲイの俳優がゲイ役を演じる作品は、監督自身もゲイであるパターンが多い。

俳優の素顔と演じる役が重なる奇跡

ブロークバック・マウンテン』(2005)や『ミルク』(2008)、『キッズ・オールライト』(2010)のように、賞レースに絡む、ゲイをテーマにした傑作が存在するのに、それらでは「非ゲイ」の俳優がゲイ役を演じてきた。これは先述した「生々しさ」に関係しているのだろうか。『ミルク』と『キッズ・オールライト』の監督はゲイなのに…。

こうした状況で、立て続けにゲイ役を演じているベン・ウィショーは異例だろう。

ゲイ役のイメージが強くなってしまうリスクなんて考えず、自らが「演じるべき」役だと信じて取り組んでいるのかもしれない。だからこそ、観ているわれわれは、もはや役の愛する対象が同性であろうと、異性であろうと、関係ないレベルでベン・ウィショーの演技、とくに瞳の表情に惹き付けられてしまう。そこには演技を超えた「真実」が存在するようで…。

俳優の素顔と演じるキャラクターをダブらせることで感動が増す。そんな希有な作品が、『追憶と、踊りながら』なのである。

最後に、こうした事例が、日本ではまだ論じられる状況ではない。

大スターがカムアウトし、ゲイ役を演じる日は、いつ訪れるのだろうか。

『追憶と、踊りながら』

5月23日(土)より、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー

(c) LILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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