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「勢いをつければ、ため池から這い上がれるのでは」という疑問に実験結果で回答

斎藤秀俊水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授
どうやったって、上がれないのです(筆者撮影)

 筆者記事「ため池に落ちると、なぜ命を落とすのか」は、ツイッターやYouTubeでも拡散されて、幅広い年代の方々に問題を投げかけました。そして多くの皆様から感想をいただきました。皆様から頂いたご質問のいくつかにお答え致します。

勢いをつければ上陸できるのでは?

 動画でモデルとなった男性は、消防に勤める現役の水難救助隊員です。レスキューと言えばさらにわかりやすいかもしれません。常日頃から身体を鍛えているこの人に全力を使って上陸を試みてもらいました。

 動画1をご覧ください。前半と後半に分かれています。

1.平泳ぎで泳ぎ始めクロールで加速しました。オットセイのように上陸できるかと思いきや、無理でした。水中から身体を水面上に出すのは、イルカの芸を見ていると簡単そうに見えますが、人間には無理です。そもそも水棲動物と人とを比較すること自体が間違いです。手のひらとコンクリート表面との摩擦にも、身体を陸にあげるほどの影響力はありません。

2.立った姿勢で両腕を思いきりかいてその勢いで上陸を試みましたが、腰が水面に出ると足が滑って、それ以上は前に進むことができませんでした。足と水底との摩擦の存在はとても大事です。

 考えうる全ての上陸方法を試しましたが、何をやっても、オットセイには勝てません。

動画1 ため池から全力で上がろうとしてもダメ(水難学会提供、1分28秒)

ため池で救助を待つ体勢を具体的に知りたい

 溺れて命を失わないようにするためには、呼吸をし続けなければなりません。そして、できるだけ長い時間体力を温存します。その場合に、もっとも推奨されるのが背浮きの状態です。ただ皆様から、背浮きが苦手な人はどうするのか、背浮きで救助をどうやって待つのか、背浮きの状態で少しずつ這い上がれるはずだというご質問をいただいています。

 動画2をご覧ください。これも前半と後半に分かれています。

1.平泳ぎの方が恐怖が無くてよいという方は、平泳ぎで岸にゆっくりと近づくことができます。岸についたら、自分の胸を斜面に載せるようにします。これができれば恐怖心から少しは開放されて、楽に呼吸ができて救助を待つことができます。

2.背浮きからエレメンタリーバックストロークに移ることができる方は、そうします。エレメンタリーバックストロークとは、平泳ぎをひっくり返したような形の背泳ぎの一種です。背浮きから移動しだすときにバランスを崩して沈水する事故を防ぐことができます。動画ではエレメンタリーバックストロークでゆっくりと岸に近づきました。肩甲骨付近を斜面に載せることができればだいぶ楽です。ただ動画でも試しているように、この体勢からは自力で上陸することはできません。

3.動画を見る限り、陸から水中にいる人を簡単に引っ張りあげられそうですが、それをしてはダメです。水中に転落した人と同じように、陸の人が滑ってため池に落ちる可能性が大です。2人とも落ちたら、誰も緊急通報できなくなります。陸の人は、引き揚げよりも早く119番通報して救助隊を呼んでください。

動画2 ため池で救助を待つ体勢(水難学会提供、1分46秒)

ため池中では靴を脱いでは絶対ダメ

 ため池中では靴を脱いでは絶対ダメです。「靴底が滑るから、あがれないんだろ?」という疑問をぶつけられましたが、そう思っても靴を脱いではダメです。動画の後半は心して視聴してください。

1.動画の現場となっている宮城県でのため池事故の直前に、別の県で事故がありました。その現場では、ため池のほとりに靴が置いてあったそうです。委員の1人の発言をきっかけにして、靴なしでならため池から上がれるか確認しました。モデルの動きだけで判断すると、靴を履いていても履いてなくても同じ結果となりました。

2.モデルが上陸を試みている最中に事故調査委員のつぶやいた一言に戦慄が走り、現場が凍りました。「海とか岸壁で亡くなった人の手とか足を見るとわかるんだけれど、あんなにザクザク切れる。」手や足に骨が見えるほどの大けがを負うということです。靴を脱がず、あちこち素手でつかまないようにして、救助を待ちます。水難事故現場を数多く経験している委員の言葉は重いです。

動画3 ため池中では靴を脱いでは絶対ダメ(水難学会提供、1分50秒)

さいごに

 水難学会の会員はほとんどが現場で救助活動を行うプロフェッショナルです。こういったプロの経験をもとに実験を繰り返し、一連の動画として公開し、YAHOO!ニュースと連動させて、信頼できる本当の情報を皆様にお届けしています。

 なお、本実験は水難事故死のあった現場で行われているのであって、これよりも生還しやすい現場、さらにきつい現場、様々あります。当然、自力で上がれる現場もありますが、そういう議論よりは、「ため池に近づかない」という心構えを持つことがあなたの命を守るために重要です。ため池は農作物を育てることで人の命を育む施設なのです。レジャー用施設ではありません。

 一連の記事をお読みになられて、ご質問がありましたら、何なりと水難学会事務局にお問い合わせください。

水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授

ういてまて。救助技術がどんなに優れていても、要救助者が浮いて呼吸を確保できなければ水難からの生還は難しい。要救助側の命を守る考え方が「ういてまて」です。浮き輪を使おうが救命胴衣を着装してようが単純な背浮きであろうが、浮いて呼吸を確保し救助を待てた人が水難事故から生還できます。水難学者であると同時に工学者(材料工学)です。水難事故・偽装事件の解析実績多数。風呂から海まで水や雪氷にまつわる事故・事件、津波大雨災害、船舶事故、工学的要素があればなおさらのこのような話題を実験・現場第一主義に徹し提供していきます。オーサー大賞2021受賞。講演会・取材承ります。連絡先 jimu@uitemate.jp

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