担任による卒業記念DVD制作 多忙化を促進 学校で感染・過熱する「子どものため」のサービス

(GYRO PHOTOGRAPHY/アフロ)

 「卒業生へのDVDプレゼントがエスカレートしている。もはや売り物みたいになってきている」――ある教員が、私にこう訴えかけてきた。担任から卒業生への記念DVDのプレゼントが、はやっている。さらには年々、つくりが凝るようになってきているという。

 小学校では一部の児童の袴着用が「華美すぎる」と話題になっているが、じつは教員の間でも、卒業生へのサービスが過熱している。「担任が好きでやっているのだから、問題ない」という声も多いものの、そう簡単には片付けられない現実がある。

■もはや商品? 卒業記念DVD

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 「5、6年前はまだ少数派だったけど、いま自分の学校では3年担任はほぼ全員がつくっている」と語るのは、冒頭で紹介した現役の中学校教員だ。「見た目も変わってきていて、最初はDVDの表面は白無地だったけど、いつの間にか、表面にカラーで写真やイラストが印刷されるようになり、いまではジャケット付きのケースに入れて手渡す先生までいる。まるで商品ですよ」という。

 たしかに私もこの十年の間に、DVD動画のつくりかたを複数の教員から、たずねられたことがある。

 担任からのオリジナルプレゼント。担任の思いが伝わってくるし、一生の記念にもなる。「○○先生、一年間ありがとう!」「このクラスでよかった!」と、卒業をいっそう思い出深いものにしてくれる。なお卒業式ではなく、修了式(各学年の終わり)でDVDを制作する教員もいる。

 「子ども思いの素敵な先生だ」と、こうした風景を私自身、微笑ましく感じてきた。だが「学校の働き方改革」の流れが、そうした先生による献身的な作業の見え方を、一変させた。

■多大な労力、過剰なサービス

 卒業記念DVDには、そのクラスの一年間の思い出が詰め込まれる。ちゃんとつくろうと思えば、4月からさまざまな機会に、写真や動画をこまめに撮りためていくことが必要だ。ある意味、一年がかりで制作することになる。

 編集作業においてはどの場面にどのような写真や動画、音楽[注]を挿入するのか、どのようなメッセージを入れ込むのか、おおいに悩む。もちろん、すべての子どもが等しく登場しなければならない。

 最後に、完成したDVDを複製するだけでも一苦労だ。年度末の慌ただしいなかで、クラスの子ども全員分を複製しなければならない。

 DVDメディアはもちろん自費で購入。夜間や土日に自宅のパソコンとプリンタを使いながら、せっせと作業をすすめる。教員の長時間労働が問題視されるなか、これは過剰なサービスのように思える。

■過剰なサービスが「感染」する

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 「担任が好きでやっているのだから、問題ない」と考えることもできる。実際に、私もそう考えてきた。だが、学校教育の現実に踏み込んでいくと、そう簡単には整理できないことがわかってくる。

 「子どものため」の取り組みは、強い「感染力」をもつ。DVD制作の広がりは、おおむね次のようなプロセスをたどる。

1) デジタル機器の取り扱いに詳しいある教員が、自分が担当するクラスの子どものために、卒業記念DVDを制作し、プレゼントする。

2) 子どもも保護者も感激し、よろこぶ。

3) 子どもや保護者の好反応を見て、自分自身もうれしくなる

4) その成功例を見聞きした他のクラスの担任も「私もやってみよう!」と思う。

5) DVDを制作・プレゼントしない担任は、「子どものことを思っていない」かに見えてしまう

6) DVD制作が、当たり前の作業として定着する。

 立教大学経営学部の教授である中原淳氏は『残業学』(光文社新書)のなかで、「職場内の無言のプレッシャーや同調圧力によって残業してしまう」現象を「感染」と表現する。一人の教員の趣味としてはじまったDVD制作が、いつのまにか同調圧力のようにして、学年の担任全体へと拡がっていく。まさに「感染」である。

■なぜ「感染」するのか

 長時間労働につながりかねないDVD制作が、なぜ「感染」していくのか。学校教育に特有の現象として、本記事ではとくに5)のプロセスに注目したい。

 他の担任が「子どものため」にオリジナルDVDを手間暇かけて制作するなか、自分だけそれに取り組まないのは、まるで子どものことを思っていないかに見えてしまう。DVD制作は、対内的(同僚による評価)にも、また対外的(保護者による評価)にも、どれだけ「子どものため」に尽くしているかを示す指標として機能する。

 とりわけDVDメディアは、物品として可視的である。担任からの言葉の贈り物は、心に響くとしても、可視的なレベルで、他者が確認できるものではない。DVDは物品として子どもさらには保護者の手に渡る。「子どものため」に尽くしている感が、クラスの外にいる人物にまで、物理的に明示化される。

 「担任が好きでやっているのだから、問題ない」という主張は、担任個人の営みとしてはそのとおりである。

 だが重要なのは、「子どものため」という美辞麗句のもとでは、その個人的で自主的なはずの取り組みが、他の教員に感染していくということである。とくにDVDメディアのプレゼントは、可視性の高さから、感染力が強い。

■国も「子どものため」に危機感

中央教育審議会答申の表紙
中央教育審議会答申の表紙

 これまで是とされてきたことが、働き方改革の文脈のなかで、見直しを迫られている。

 今年1月に中央教育審議会の答申「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について(答申)」では、「はじめに」に次のような大胆な見解が示されている。

‘子供のためであればどんな長時間勤務も良しとする’という働き方は、教師という職の崇高な使命感から生まれるものであるが、その中で教師が疲弊していくのであれば、それは‘子供のため’にはならないものである。教師のこれまでの働き方を見直し、教師が日々の生活の質や教職人生を豊かにすることで、自らの人間性や創造性を高め、子供たちに対して効果的な教育活動を行うことができるようになるという、今回の働き方改革の目指す理念を関係者全員が共有しながら、それぞれがそれぞれの立場でできる取組を直ちに実行することを強く期待する。

出典:中央教育審議会答申「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について(答申)」(2019年1月25日)

 「子どものため」という教師の使命感が、結果的に長時間労働につながっていく。それは結局のところ教育の質を落とすことになっていく。そこまでを見越したうえで、「子どものため」のDVD制作がもたらす影響を考えなければならない。

■「子どものため」をあきらめる勇気

 「子どものため」の活動というのは不思議なもので、実際にまわりに合わせてやむなくDVDを制作した先生も、2)のように子どもさらには保護者から好反応が返ってくると、「頑張ってよかった」と報われる。結果的に報われることで、「子どものため」の活動は、build & build のプロセスを進んでいく。

 DVD制作にかけた時間というのは、教員がやるべき別の活動の時間を削っておこなわれている。そこで削られている時間とは、いったい何の時間なのか。授業の準備時間か、いじめ対応の時間か、教員個人のプライベートの時間か…。

 教員の働き方に余裕がある時代であれば、このようなことを考える必要はなかった。だが、いま学校の業務は膨れあがっている。そのなかにあって「子どものため」の活動は、職員室内で感染し、多忙化に拍車をかける。

 サービスを提供してきた教員にとっても、サービスを受けてきた子どもや保護者にとっても、あきらめなければならない「子どものため」がある。

【参考】

学校の働き方改革の文脈から見た卒業式のあり方については、3/29の拙稿「卒業式の練習 必要か? 子どもと教員の負担軽減に向けて 見えぬ実態に迫る」で詳細に検討した。