2分の1成人式 「感動」必要か? ―親からサプライズの手紙、子から感謝の手紙 集団感動行事を問う

(写真:アフロ)

■「感動」「涙」「号泣」のイベント

「2分の1成人式」の季節がやってきた。

「2分の1成人式」という言葉を、初めて耳にした人も多いことだろう。10歳を迎える小学4年生のための学校行事として、2000年代に入ってから全国の小学校で拡がりを見せてきている。東京都では2006年度の時点で、すでに半数以上の小学校で式が開催されている(『日本経済新聞』2006年2月24日夕刊)。

この「2分の1成人式」、保護者にとても評判がよく、インターネット上では、保護者(さらには教師)が「感動」「涙」といった表現で、式の様子を綴っている。

しかし、はたして2分の1成人式に「感動」は必要なのだろうか。式を特徴づける「感動」のあり方について、考えてみたい。

■式の構成例

「2分の1成人式」の原点は、1970年代半ば頃にまでさかのぼる。

兵庫県西宮市の教師が、高学年への門出として始めたもので、将来に向けての決意を表明したり歌を歌ったりする、こぢんまりした行事だったという。その教師によると「今は場合によっては卒業式より感動的で、自分が始めたのとは趣旨が違う」とのことである(『毎日新聞』2015年2月27日朝刊)。

今日的な式の構成例を、見てみよう。式は、学年やクラスを単位にして進行する事項と、個々の児童(と保護者)を単位にして進行する事項に大別される。前者は、呼びかけや合唱、詩の群読などが、後者は、個々の児童の作品や記録などが披露される。

この構成例のなかで、式のクライマックスとして、会場全体を感動に包むのが、児童から親への手紙、そして親から児童への手紙である。

<構成例>

▼学年全体(於、体育館)

1. お祝いの言葉[校長]

2. 呼びかけ[児童全員]

3. 合唱[児童全員]

4. 2分の1成人証書授与[クラス代表]

▼クラス別(於、各教室)

5. 2分の1成人証書授与[各児童]

6. 写真や作文の紹介[各児童]

7. 児童から親への手紙

+親から児童への手紙

8. 記念撮影

■子どもから親に感謝の手紙、親から子どもにサプライズの手紙

子どもから親に渡される手紙には、親への感謝の言葉が綴られている。子どもにすべて任せてしまうと、感謝の意がうまく表されない手紙になってしまうこともあるため、クラス担任が修正を加える。式に列席していた保護者は、子どもからの感謝の言葉に驚き、感極まる。

さらにここで、子どもたちへのサプライズが企画されることも多い。そのサプライズとは、親から子どもへの手紙である。

学校から親に宿題 ※イメージ写真(写真素材 足成)
学校から親に宿題 ※イメージ写真(写真素材 足成)

じつはこの冬の時期、事前に子どもが学校から、親への宿題を持ち帰ってくることがある。それが、子どもへの手紙の作成である。子どもが生まれたときの様子や気持ち、子育て中の苦労話、子どもの未来に願うことなどを書くよう、担任から依頼がある。

保護者からの手紙は、子どもには秘密にして作成されるため、式当日の親からのサプライズに、子どももまた感動するのである。

■「感動」という目標

教師用の指導用資料のいくつかには、「感動的な2分の1成人式を目指す」「泣いてしまいそうな感動的な歌を選ぶ」「式は、子どもと保護者と教師が感動を共有する場」といった文言が記載されている。

結果的に感動するというよりは、感動することがあらかじめ、式の目標に据えられている。親から子どもへのサプライズの手紙は、まさに感動を目的としたもの以外の何物でもない。

■2分の1成人式における「感動」の問題点

「感動」を教育目標に据えること自体には、それなりの意義があるかもしれない。だが、今日の2分の1成人式における「感動」のあり方は、次の点において重大な問題を抱えている。

約1年前の拙稿で示したように、2分の1成人式は、「離婚・再婚もなく、虐待もなく、実父母が子どもをずっと大事に育ててきたはず」という前提のもとに成り立っている(「考え直してほしい『2分の1成人式』」「『名前の由来』『昔の写真』必要か?」)。だからこそ、子どもの誕生時から今日までの生い立ちを一貫して振り返ることができ、また、子どもから親への感謝が可能となる。特定の家族類型向けの「感動」である。

さらにそれが、集団的な行事として実施されている点にも、留意すべきである。感動することが大事だとしても、なぜそれを、すべての子ども(や保護者)を巻き込んだ、集団的な行事のなかでおこなう必要があるのか。親子の関係に感動するかどうかは、さまざまな家庭状況を考慮するならば、当事者の自由裁量に任せておくほうが望ましいのではないだろうか。

10歳の節目を、子どもも保護者も安心して迎えるために、新たな式のかたちが模索されるべきである。