5000字で振り返る平成政治史: 令和で検討されるべき改革と諸課題

(写真:長田洋平/アフロ)

 元号で構成される特殊日本的な時代感覚や区分がまだ存在するとして、しかしよもや昭和末には平成の次の元号の公表がこのようなかたちで実施されることになるとは誰も到底予想できなかったはずだ。

 バブル経済のただなかにありながら昭和天皇の体調不良と崩御で自粛ムードが社会を覆っていた当時と、低成長とデフレに起因する平成の「失われた30年」のあおりで経済的には低調でありながら東京五輪を翌年に控えどちらかというとどこか華やかな雰囲気が漂う現在の経済と世相は一見、対照的だ。

 だが共通項もある。選挙だ。平成元年、つまり1989年は第15回参議院選挙が行われ、令和元年となる2019年には第25回参議院選挙が実施される。年長世代の読者は記憶しているだろうが、1989年の参院選で自民党は大敗を喫した。前年に発覚したリクルートコスモス社の未公開株が政財官学界に流通したことに端を発するいわゆるリクルート事件や、やはり平成元年に導入された消費税の影響によって、自民党はこの選挙の後、参議院において過半数割れとなった。

 それはのちに1993年の細川政権という非自民連立政権の誕生につながった。1955年から続く、自民党と規模は小さいが社会党が対立するという日本の伝統的な政治の構図である「55年体制」は終わりを迎えた。

 世界政治との関連でも、自衛隊の海外派遣が議論を招来しまた国際貢献のあり方が問われた1990年の湾岸戦争、1991年のソビエト崩壊に向けた東西対立の終幕もあり、それは新しい時代を予見させるとともに、日本社会と日本政治にも変化の必要性を問いかけた。

 途中、権力闘争の体を見せつつも、結果的に政治改革を巡る議論は加速した。政治とカネの関係をより透明にしないことには国民の理解が得られないとの認識のもと、ひとつの選挙区で同一政党の候補者が競合し選挙戦が過熱しやすい中選挙区制が変更され、小選挙区比例代表並立制が衆議院に導入されることになった。1996年の総選挙から実施された。政治資金制度改革では、政党助成制度が取り入れられることになった。選挙、そして政治とカネのあり方は平成の時代を通して、大きく変化した。それはどのようなもので、どのような課題を残しているのか。5000字で平成政治史をごく簡潔に振り返り、令和の政治を考える端緒としたい。

90年代~2000年代前半:具体化する政治改革

 統治経験に乏しい90年代の非自民連立政権は1995年の阪神淡路大震災の復旧復興の遅れや混乱に伴う不評もあり長続きしなかった。村山内閣の辞職によって、橋本龍太郎が連立政権の首班を引き継いだ。1996年に小選挙区比例代表並立制のもとで初めて総選挙が実施された。橋本率いる自民党は議席を伸ばし、名実ともに政権与党の座に返り咲いた。

 従来から構造改革を主張した橋本は肥大化と縦割り、官邸中心の機動力不足が指摘されていた省庁再編に手を付ける。1998年に中央省庁等改革基本法を成立させ、2001年から現在の1府12省庁体制が実現した。小泉内閣における郵政民営化や特殊法人改革と同等かそれ以上の行政改革だった。官邸の機能強化も進められた。のちの内閣人事局の設置などとも呼応して、現在にまで続く「政治主導」の名のもと政治に有利な政官関係の変化を引き起こしている。

 2000年代前半に政治は大きく変化することになる。2001年に総理の座についた小泉総理は民営化や公務員改革に注力した。郵政公社や道路公団、国立大学、その他特殊法人の民営化を強行した。なかでも、自身の思い入れも強く、職員数(当時の公務員)も多く、規模が大きな郵政公社の改革は難航した。そこで小泉は解散権を行使する。2005年の第44回衆議院議員総選挙、いわゆる「郵政選挙」である。

 小泉は郵政民営化に反対する議員らを「抵抗勢力」と呼び、現職候補者の選挙区に知名度の高い対立候補を擁立するなど、過去に例を見ない手法を取り入れながら選挙に勝利し、公約通り郵政民営化を具体化した。

 小泉は「自民党をぶっ壊す」と口にした。確かに小選挙区制や政治資金改革の影響もあり、派閥を基本単位とし、多様な主張や利害関係をも飲み込む包括政党としての伝統的な自民党と自民党政治は総裁(総理)を中心とする均質なものへと変貌を遂げていった。なお、のちに大きな議論を招く平和安全法制等の原点ともいえる周辺事態法やイラク特措法といった有事法制改革に手を付けたのも小泉であった。2001年の米同時多発テロが背景となった。

2000年後半:短命政権と政権交代、野党の「成果」

 小泉内閣のあとは短命政権が続いた。第1次安倍内閣のもとで、憲法改正の具体的手続きを定めた国民投票法が成立し、憲法改正の環境が制度として整備された。前文をもち、戦後民主主義を色濃く体現しているとされた教育基本法が大きく改正されたこととあわせて、戦後民主主義的なものの変容を強く印象づけた。

 小選挙区制は二大政党制と対になって構想されていた。与党に対抗できる政権担当能力をもった強い野党によって、選挙と政治に実質的な緊張感がもたらされることが期待されたのである。野党再編の流れのなかで、旧民主党を中心に1998年に民主党が誕生した。民主党は2000年代を通して、2005年の郵政選挙などを例外とすれば着実に力をつけていった。ただし対する自民党も公募制を導入したり、広報や選挙に現代的なマーケティング手法を取り入れるなど改革を遂行した。

 地方政治から注目を集めるようになった、具体的な政策や数値目標を織り込んだ「マニフェスト」や、消えた年金問題を追及し、インターネット選挙運動の解禁といった新しい政策を主張した。「新しい公共」と当時の民主党は呼んだが、生活に密着した主題から政治の別の選択肢を提示しようとした。実際、NPOなどとも活発に意見交換を行い、新しい政治の受け皿となるべく政権担当能力を形成しようとした。

 しかしその頂点が2009年の総選挙であり、政権交代時になってしまった。いかにして政権を維持するか、官僚機構とどのように折り合いをつけながら「政治主導」を実現するかという点について具体的構想が乏しかったこともあって、統治の知恵と手法、経験が不足していることがすぐさま露呈した。

 マニフェストに書かれた政策を実現するための財源は確保できなかった。政治主導を掲げて事務次官会議の廃止など官僚機構の改革に着手するも、政官関係の混乱を生じさせた。事業仕分けなど衆目を意識した政治ショーと化した施策も少なくなかった。

 徐々に「新しい政治」と民主党に対する期待感は失われていった。挙げ句の果てに、鳩山内閣は普天間基地移転に関する一貫しない発言の責任をとるかたちで辞職し、一年に満たない任期に幕をおろした。その後、菅、野田と二代の総理を輩出するも、2010年の参議院選挙で民主党が敗北し、国会が再びねじれ状態となり、民主党政権は頓挫した。管が参院選直前に突如、政治的な鬼門とされた消費税増税に言及したことも否定的な結果に影響した。

 もちろん幾つかの大きな不幸はあった。長く自民党が統治の知恵と技術を独占してきただけに、そう簡単には取って代わるというわけにはいくまい。政権交代に向けて期待感を煽ってきた手前、国民に統治の困難さについて理解を求めるというわけにもいかなかった。

 加えて、2011年の東日本大震災の復旧復興が重なった。原発事故も重なり未曾有の規模の災害であった。どの政権であったとしてもそれなりに混乱したことは疑いえないが、民主党政権に対する不信感は募る一方だった。

 2012年12月の衆院選敗北によって、民主党政権、つまり2000年代の非自民政権は3年3ヶ月で幕をおろした。民主党政権が従前の期待にまったく応えられなかったことに対する社会と有権者の不信感は根深く、現在にまでその影響が認められる。現在の各野党の主たる顔ぶれは、やはり当時の民主党政権の顔役そのままだからだ。

 ただし当時の民主党政権とNPO等との近さが復旧復興における市民社会の知恵の活用に貢献したことなどは特記すべきだ。問題解決のオルタナティブの積極提起は野党反転攻勢のヒントかもしれないだ。特定非営利活動促進法(通称、NPO法)の迅速な改正によって、税制優遇を受けられる認定NPO制度の柔軟化や認定基準の緩和、NPO法人設立申請手続きの簡素化や地方自治体への権限委譲等、現在にまで影響する幾つかの重要な軌跡を残したことも記憶されるべきだ。

2010年代:「安倍一強」の誕生

 2012年12月の第46回衆議院議員総選挙は民主党政権に対する不信感を追い風に自民党が大勝。第2次安倍内閣が誕生する。「日本を、取り戻す。」を旗印に総選挙を勝ち抜いた安倍内閣は「アベノミクス」という経済政策に注力した。いつの間にかすっかりなりを潜めてしまったが、当時「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」をもって「三本の矢」と呼ばれた。ただし、岩盤規制改革などが盛り込まれた成長戦略は具体的な進展を見せず、民泊合法化を目指したものの民泊事業者に不利で旅館業法の既存事業者に有利な営業日数の上限規制が盛り込まれた住宅宿泊事業法など骨抜きになったものも多々見受けられる。

 2014年には2000年代末から官邸の機能強化のなかで議論されてきた、高級官僚人事を内閣が一元管理する内閣人事局が設置された。官邸主導政治と官僚忖度の権力の源泉であり、官邸主導型の政治はいっそう強化された。

 安倍内閣は特定秘密保護法、安全保障法制、高度プロフェッショナル制度と「働き方改革」、入管法改正に伴う海外労働力の受け入れなど、世論が厳しく対立し従来の政治の常識では難しく思われた規模の「改革」を次々に形にした。

 民主党が民進党に名前を変え、その後、分裂劇を繰り広げる一方で、与党に伍していくほどの存在感が認められないままだった。そのなかで安倍自民党は14年、17年の総選挙、16年の参院選など主要な選挙であまり世論の関心を集めない低投票率ではあったものの、獲得議席に注目すれば勝利し続けた。いわゆる「安倍一強」である。相対的に見ると安定した政権基盤を獲得し、安倍政権は連続、通算ともに歴代屈指の在任日数となり、任期を満了すればともにトップになる計算だ。安倍内閣悲願の憲法改正も数字のうえでは射程に入り始め安倍は積極的に発言したものの、政治、社会の議論は低調なままである。

平成末と連続する政治の不祥事

 平成と政権の終わりが見えてくるにつれ、政治の綻びも目立ち始めている。2016年末から報じられるようになった南スーダンPKO日報隠蔽、2017年の森友・加計学園疑惑、2018年の相次ぐ統計不正など、官邸主導と伝統的官僚システムの齟齬を想起させる疑惑、不祥事が相次いでいる。公文書改ざんや政府統計の不正は日本政治と行政に対する信頼感そのものを破壊しかねないだけに深刻だ。根本的な不正防止策や改善策の導入が見えないだけになおさらだ。

 その深刻さを覆い隠すように、改元は社会に華やいだ雰囲気をもたらしている。新聞やテレビには新元号を予想するニュースが溢れた。それだけではない。令和元年には、新紙幣の図柄の公表、日本でのG20首脳会談の開催「たまたま」多くの「政治ショー」が重ねられている。「令和」の公表に際しても、「国民生活への影響を最小限度に」と言いながら、Instagramの予告機能を使うなど、新しいツールも総動員で賑々しく期待感が演出された。

 冒頭にも述べたように、平成元年同様、令和元年にも参議院選挙が控えている。朝日新聞社の著名な政治記者の石川真澄が「亥年選挙」と呼んだ、統一地方選挙と参院選が同時実施される年にあたる。組織が相次ぐ大型選挙に疲弊するため、組織依存の与党が議席を減らしがちだという経験的知見が知られている。

 令和初の国政選挙はどうか。現実には地方組織の整備も、主張も明確ではない、与野党対決となった北海道知事選を落とした統一地方選挙を含めて野党は厳しい戦いを強いられている。簡単には平成元年の参院選と同様というわけにはいかないだろうが、そのなかでどのような令和初頭における中長期での反転攻勢の構想を描くことができるかが問われている。

 選挙もそうだが、2020年代の日本は少子高齢化が深刻化し、その冒頭に東京五輪という世界的な投資と注目の象徴を使い終えてしまう。客観的な指標に注目するなら明らかに困難な時代を迎えることが予想されるだけに、中長期の展望と問題解決の具体策を与野党が競い合うことを期待したい。

令和に向けた改革の展望――選挙、透明性、政治的主体の確立へ

 再度の選挙制度と政治資金の改革も必要ではないか。2013年のインターネット選挙運動の導入、2015年の投票年齢引き下げ(被選挙権年齢は従来どおり)、一票の格差解消を目的とした参議院選挙区の合区と2018年の参議院の議席「増」改革など、テクニカルな変更は行われたが、それぞれの改革の整合性は分かりづらくなっている。

 戸別訪問の禁止や伝統的な文書図画のあり方、被選挙権年齢、隣接する放送法や政治教育なども棚卸ししながら、政治選択を支える根幹のあり方を議論すべきだ。官僚機構、そして政治とカネの透明化改善の措置も必要だ。標準ルールでの開示と情報公開、デジタル化を通じた衆人環視状況の強化がヒントになるのではないか。

 昭和と平成はあまりに地続きだった。漸進的かつ無自覚な変化が善後策の遅れをもたらしたかのようだ。既に後手に回っているわけだが、平成から令和への移行にあたって、政治社会の実態の変化を意識し中長期の構想を社会と共有しながら、変化に対する不安と分断に抗する処方箋を迅速に具体化できるかが問われている。政治も例外ではあるまい。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】