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研究者の「研究費」について、書いてみた

西田亮介社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授

2013年度で立命館に来て、2年目になった。年始から科研費落選のお知らせが来たりしてがっかりしていたのだけど、ようやく文系ではちょっとした金額の研究費が取れてホッとしている。

ところで業界が違う人にとっては「研究費って何?」という人もいるだろうから、簡単に説明しておくと、研究費は、1.)研究に関係する利用目的で、2.)大学の管理のもと、3.)規定の国や大学のガイドラインに沿って、利用する。共同研究や科研費などについては大学が一定の間接経費(15〜25%程度)をもっていく。

如何せん、この研究費がないと、仕事で使う本を買うのも、学会に行くのも、調査に行くのも、全部自腹ということになってしまう。それでいて、組織で働いているから、所得税の控除金額が増えるわけでもなく、なかなか大変なのだ。

海外では、この研究費が自らの授業を担当していない期間の給料に相当したりするケースもあるけれど、今のところ日本では獲得した研究者本人の給料にはまったく直結しない(というよりも、ぼくの給料は昇給なしの契約になっている...)。同じように、飲食をしたりするような、中小企業でいうところの交際費などに利用することもできない(いろいろな考え方があるけれど、出版社等が打ち合わせの飲食費を経費にしたりできるように、研究者の社会連携を求めるのであれば、一定程度の柔軟さが必要にも思える。現状ではたとえば外でコーヒーを飲みながら打ち合わせをしたりすると、基本的には自腹=給料等から出すのだけれど、確定申告の経費には参入しにくいということになってしまう)。

では、何に利用することができるのかというと、前述のような、文献、資料の購入、学会の参加費、調査旅費等である。それから作業に対する謝金である。大きい金額の研究費の場合、研究員を雇用したりすることもできる。

最近は人社系でも英語で学会報告をしなければ、という雰囲気が強くなっているけれど、研究費がなければ、何十万円を自腹で払わなければならない。昨今の若手が置かれている状況では、なかなか厳しいものがある。

研究費というのは、計画の良さ、と過去の実績が参照されるので、研究が進めば研究費が獲得でき、その研究費で業績を報告し、更に研究がすすむというポジティブなサイクルに誰しも持ち込みたい。

しかしうまくいかないと、研究費がないので、研究が進まず、研究が進まないので業績も増えず、したがって、研究費もとれず、というネガティブなサイクルに陥ってしまいかねない。

まだ年度も始まったばかり。もうちょっと資金がないとしんどいので、いろいろと挑戦しなくては。しかしまあ、こういうことをしていると、研究者というのは、リスクこそ軽減されているけれど、ちょっとした1人企業みたいなものである。1人でいろいろできるようにならないといけないと痛感。

..というようなことを書いていたら、元ブログエントリに関連して「税金を趣味のような研究に使わず、社会に有益な研究に使うべき」というコメントをもらっていて、「確かに」と思う反面、いくつかもうちょっと書いてみたいことがあったので、さらにここからもう少し書き足してみることにしたという次第。

まずひとつは研究費の種類にはいくつかの種類があって、科研費のような国がスポンサーになっているもの、もうひとつは民間の財団などのファンドや、企業がスポンサーになるもの、もうひとつは大学自体の資金。大学という組織自体には、うちの場合私学助成が入っているものの、研究費に限っていえば国がスポンサーになっているものを除くと、必ずしも研究費=税金というわけではない。

ところで、そういった些細なことより重要に思うのは、「社会に有益な研究」とはいったいどんな研究だろう、ということ。直感的には今すぐ何かの社会問題を解決したり、ビジネスになったりする研究のようなことをイメージしがちだ。

でも、よく考えればそういったものは必ずしも大学で研究しなくてよいかもしれない。というのも、ビジネスになりそうな研究には、企業自ら研究開発(いわゆるR&D)に乗り出している。市場にまつわる欲望というのは敏感で、企業の研究能力というのはあなどれないし、そういうときに動員する資源も大きいし、意思決定も早い。

先日、とある大手メディアのチームとの会合で、彼らがぼくの関心とも重複する、直近のわりと「役に立つ」調査に、ぼくが使えるのとは桁違いの予算を持っていると聞いて、それをうまく活用できていないことに、羨ましく思ったり、ちょっとした怒りみたいなものを感じたりをしたこともあった。

他方で、どうも現時点でビジネスに直結しなさそうな研究や、長く続けていればそのうちメディアや政治のオブザーバーとしての役割を果たす研究もあるかもしれない。だがこういった研究はなかなかビジネスに直結するとはいえないが、中長期にはそのような機能が社会のどこかに存在したほうがよいような気がする。

結局のところ、何が社会にとって「役に立つか」ということは、その時点その時点ではよく分からないので、「直近で役に立つ」かどうかはよく分からないが、「なんとなくいずれは役に立ちそうな気がする(...と、研究者当人がなんらかの理由を考えて、ちゃんと説明するもの)」と「昔から、こういうものは大事である」と呼ばれているものを集めておく、ちょっと変わった場所が必要ではないか。

ぼくはぼくで「社会の役に立つ研究と実践」を心がけているつもりだけど、それはそれとして、わりと雑多なものが多様かつ寛容に存在できる場所が存在して欲しいと願っている。

大学というのは、わりとそういう場所なのではないか。ときどき期待過剰じゃないかという疑心暗鬼に陥ることもあるけれど、いや理想主義的な規範もときには元気に仕事するうえで重要なのだ、ということにしておく。

社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授

博士(政策・メディア)。専門は社会学。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科助教(有期・研究奨励Ⅱ)、独立行政法人中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授、東京工業大学准教授等を経て2024年日本大学に着任。『メディアと自民党』『情報武装する政治』『コロナ危機の社会学』『ネット選挙』『無業社会』(工藤啓氏と共著)など著書多数。省庁、地方自治体、業界団体等で広報関係の有識者会議等を構成。偽情報対策や放送政策も詳しい。10年以上各種コメンテーターを務める。

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