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ICBM発射に同行した少女は第2子の「キム・ジュエ」? 韓国情報機関の「分析」を検証する!

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
金正恩総書記のICBM発射視察に同行した娘(労働新聞から)

 韓国の情報機関・国家情報院(国情院)は昨日、金正恩(キム・ジョンウン)総書記が新型大陸間弾道ミサイル「火星17」の発射実験に立ち会わせた少女について「第2子のキム・ジュエと判断している」と、国会情報委員会の与党「国民の力」の幹事である劉相凡(ユ・サンボム)議員に伝えたようだ。

 劉議員によると、情報院が「ジュエ」と判断した基準は「10歳程度の女児にしては大きいので多少疑問も残るが、背が高くて、図体が大きいとの既存の情報院の情報と一致していたからである」と説明していた。これ以上の根拠は示さなかったようだ。

 今年9月9日の建国74周年の祝賀行事関連公演に登場した女の子の一人がスポットを浴びていたことから英国のメディアの報道を発端に韓国のメディアが「ジュエではないか」と大騒ぎした時に情報院は韓国のメディアに「多分違うと思う」とのコメントを寄せていた。その理由は「金一族のプライバシーはタブー視され、極秘扱いとなっており、このように公然と公開することはない」というものだった。今回は金総書記が李雪主(リ・ソルジュ)夫人と共に連れて来ただけに実子と認めるに至ったのであろう。

 情報院は公式には認めていないが、どうやら金夫妻の第1子は男の子であるとみているようだ。それならば図体の大きさに関係なく、躊躇うこともなく即座に第2子の「ジュエ」と判断できたはずだ。というのも、仮に第3子が女の子だとしても2017年生まれなのでまだ5歳に過ぎない。誰が見ても、金総書記とツーショットの女の子はとてもではないが、5歳には見えないからである。

 情報院は金ロイヤルファミリーの情報をどこまで正確に把握しているのだろうか?第2子が女の子で、名前が「ジュエ」であることは2013年9月に訪朝した折に別荘で対面した元NBAのスーパースター、デニス・ロッドマン氏がすでに公開していたことだ。情報院が独自に入手した情報ではない。

 情報院は第1子だけでなく、第3子についても「男の子」と推定していると韓国では報道されているが、まだ性別を特定できておらず、実際に残り2人の名前も把握できていないようだ。第2子として判断する際に「10歳程度の女児にしては大きいので多少疑問も残る」と言っているところをみると、もしかすると、第1子についても女の子の可能性も捨てきれていないのかもしれない。

 仮にミサイル発射場に現れたこの女の子が第2子ならば、2013年生まれなのでまだ9歳である。父親の金総書記はなぜ3歳年上の中学生になった第1子ではなく、第2子を連れて来たのだろうか?

 情報院は第2子の娘を発射場に連れてきた理由について「未来の世代の安全保障に責任を持っていることを示すためだ」と劉議員に説明していたが、これは親子の写真が公開された翌日の労働新聞(20日付)に「労働党の厳粛なる宣言」と題する正論が載り、そこで北朝鮮のミサイル発射が「後世の明るい笑い声や美しい夢」「明るい未来」を守るための「自衛的な抑止力」と規定していたことに基づいているのであろう。しかし、それだけでは第2子を同行させたことへの説明にはならない。三つ違いの第1子であっても同じことが言えるからである。

 韓国のメディアや専門家の間では「後継者に指名したから」とか「後継者としてお披露目した」との憶測が飛び交っているが、第1子が情報院の推定とおり、男で、また第3子も男ならば、男子が世襲してきたこれまでの北朝鮮の慣習、伝統に反する。何よりもお披露目があまりにも早すぎる。

 金正恩氏の場合は26歳の時、妹の金与正(キム・ヨジョン)党副部長の場合は27歳になって公の舞台に登場しているからである。ちなみにマレーシアで殺害された長男の金正男(キム・ジョンナム)氏は30歳の年の2001年5月に日本に不法入国するまでその存在が公にされることはなかった。

 情報院の北朝鮮の軍事、政治、経済、社会情勢に関する情報の的中率は総じて高いが、ことロイヤルファミリーに関する情報は今一つ信憑性に欠け、鵜呑みにできない面があるのは過去の例からして否定し難い事実である。

 その例を挙げてみよう。

 その1.古くは、金与正副部長が5歳の頃に母・高容姫(コ・ヨンヒ)とスウェーデンを旅行した際、情報院はこの子が金正日(キム・ジョンイル)前総書記の娘ではなく、金日成(キム・イルソン)主席が愛人に産ませた子であり、高容姫夫人を金主席の愛人と勘違いしていた。

 その2.金正日前総書記のお抱え料理人である藤本健二氏が証言するまで3男(正恩)がいた事実を知らなかった。北朝鮮から2001年4月に脱出した藤本氏が正恩氏の存在を暴露するまで筆者も含めて日韓のコリア・ウォッチャー、専門家の誰一人、金正日前総書記に3男(正雲)がいた事実さえ知らなかった。

 その3.金正日前総書記は2008年8月中旬に脳障害を起こし、倒れたが、9月9日の建国60周年を迎えるまでは韓国はその事実をキャッチできなかった。国の還暦に当たる建国60周年の日に午前10時から予定されていた軍事パレードが午後に延期され、それも金前総書記が姿を現さなかったため異変に気付く始末だった。最高司令官が出席しない軍事パレードはそれまで一度もなかったことだ。

 その4.後継者が2009年に正恩氏に決まるまで情報院は兄の正哲(ジョンチョル)を本命視していた。黄ジャンヨプ元朝鮮労働党書記と共に1997年に脱北した金徳弘(キム・ドクホン)秘書の「正哲こそ党組織指導部の隠された第1副部長の肩書で後継者としての教育を受けており、父親の後を引き継ぐ可能性が高い」との言葉を鵜吞みにし、「後継は正哲」に傾いていた。

 その5.当初はジョンウン(「正恩」)の漢字名がわからず、日本のメディアでは「正雲」や「正銀」の漢字表記を使用していた。「正恩」の名前は二代目の「金正日」の「正」と初代の金主席が「恩恵ある太陽」と崇められていたことから「恩恵ある太陽」の頭文字「恩」を取って「正恩」と名付けたものとみられていたが、情報院は北朝鮮が公式に公表するまで知ってか知らずか、日本の漢字表記を黙認していた。

 その6.北朝鮮は金正日総書記の訃報を2011年12月19日に「特別放送」で伝えた。北朝鮮の発表では「12月17日午前8時半に現地視察に向かう途上で、特別列車で急死した」と報じていた。金正日氏が死んでいたとは知らず、李明博(イ・ミョンパク)大統領は日韓首脳会談のため17日に来日し、18日まで京都に滞在していた。情報院の元世勲(ウォン・セフン)院長は後に情報委員会の場で「金正日の死をいつどうやって知ったのか」と聞かれ、「テレビを見て知った」と答えていた。この発言に韓国の国民は唖然としていた。

 金正恩総書記がICBMの発射場に連れて来た子供が「第2子」であれ、「第1子」であれ、女の子であることには変わりはない。知りたいのは3人の子供の中に4代目を継承するかもしれない男の子がいるのかどうか、その一点にある。

(金総書記がICBMの発射に妻子を立ち会わせた謎)

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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