北朝鮮による「韓国人射殺事件」は第二の「金剛山観光客射殺事件」となるか!?

北方限界線の韓国側水域(写真:ロイター/アフロ)

 北朝鮮との関係修復を目指す文在寅政権はまた新たな火種を抱えてしまった。

 南北の「海の軍事境界線」と称されるNLL(北方軍事境界線)に近い延坪島付近で21日に漁業指導船に乗船し、業務を遂行中に行方不明となった海洋水産部所属の漁船指導員が北朝鮮側の銃撃を受けて死亡する事件が発生した。

 国家公務員であるこの漁船指導員が誤って海に落ちてしまったのか、あるいは北朝鮮への亡命を試み、自ら海に飛び込んだのか、詳細は不明だ。また漂流もしくは遊泳中に射殺されたのか、あるいは陸に上がった直後に射殺されたのかもわかっていない。「火葬された」とのことだが、望遠鏡で確認したのか、北朝鮮の通信傍受でウラを取った可能性も考えられる。

 射殺と火葬の可能性については北朝鮮が国境警備兵に「外国からの新型コロナウイルスの流入を防ぐため侵入者は無条件射殺せよ」との防疫指針を出していることから十分にあり得る話だ。

 北朝鮮への配慮から事を荒立てたくない文在寅政権は「事件は北朝鮮当局による意図的な挑発ではなく、偶発的な事故の可能性が高い」と冷静さを装って見せたが、最大野党の「国民の力」の金鍾仁代表は「北朝鮮の野蛮な態度に憤りを禁じ得ない」と述べ、「北朝鮮は(2008年の)パク・ワンジャさん襲撃事件の時と今も全く変わってない」と批判している。

 金代表が指摘するまでもなく、韓国のメディアがこの事件を「第2のパク・ワンジャ事件」として大々的に取り上げることになれば、開城南北共同連絡事務所の爆破に憤慨した国民の対北感情がさらに悪化するのは目に見えている。

 では、今から12年前に発生した「パク・ワンジャ事件」又は「金剛山観光客射殺事件」とはどのような事件だったのか?その経緯を振り返ってみる。

 2008年7月11日午前4時半頃、金剛山を団体ツアーで訪れた被害者のパク・ワンジャさんは宿舎から1人で日課の散歩に出た。日の出を見るために海辺に散歩に出たところ、誤って立ち入り禁止地域の軍事保護施設区域に入ってしまった。

 観光統制区域と軍事保護施設区域を仕切っている緑色の鉄製フェンスに「立ち入り禁止」の看板がなかったこと、パクさんが韓国の観光会社から事前にレクチャーを受けていなかったこと、さらには早朝時間帯に監視員が不在であったことから知らないまま、あるいは好奇心から日の出がよく見られる穴場を求め、入った可能性が考えられた。 

 フェンスは海岸まで張られてはおらず、海岸から30メートル手前の所で途切れていた。フェンスの横は高さ約1メートルぐらいの上りの砂丘になっており、パクさんはここを上がって、立ち入り禁止地域に入ってしまった。

 当日の日の出時間は5時10頃で、視界は十分だった。歩哨所にいた17歳の女性警備兵が侵入者を発見し、「止まれ」と命じたが、驚いたパクさんがその場から逃げようとしたためスパイとみなして発砲。3発のうち2発が背中に命中した。至近距離から発射されたようだ。

 北朝鮮が韓国に事件を通報したのは事件発生から約4時間経過した9時20分頃。北朝鮮は「女性は観光客と確認できる身分証を持っていなかった」ことから観光客だとわかるまで「確認に時間がかかった」と説明していたが、身なりを見れば一目で韓国人観光客であることが確認できたはずだった。

 当時の韓国の李明博政権はパクさんが観光統制区域から外れ、北朝鮮の軍事保護施設区域に誤って入ってしまった落ち度があったにせよ、「無抵抗の女性を射殺することはない」として北朝鮮警備兵の過剰反応を批判した。 また、被害者が警備兵の制止を聞かず、逃走したとしても視覚的に韓国人観光客であり、武装していない普通の女性であることが目視できたはずで、従って発砲せずに身柄を拘束するとか、あるいは軍事保護施設区域から追い出すような措置を取って然るべきだったと抗議した。

 韓国の抗議に対して北朝鮮は女性の死亡を「遺憾」としつつも「警備兵は警告射撃を空に向かって一発発射したうえで、女性が逃走したため撃った」と「正当性」を主張し、謝罪には応じなかった。

 北朝鮮側の立場からすれば、軍事警戒区域に入った者は観光客でなく、怪しい人物、すなわち、スパイとの前提で警備、警戒している。まして、制止命令に従わず、逃走すればその疑いを強めるのは当然のことだった。

 観光客、女性であったとしても北朝鮮側には通らない話だった。スパイが観光客を装って入ってきたという認識だ。大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫の例をみるまでもなく女性だからスパイではないということにはならないからだ。

 また、北朝鮮には「逃走すれば、撃て」という軍規、マニュアルがある。 万に一つ、逃がしてしまえば、それこそ一大事で、警備兵らは全員、首が飛ぶことになる。追跡して捕まえればというが、仮にスパイならば手榴弾を身に隠しているか、あるいは自爆もあり得る。北朝鮮の女スパイがそうだから、北朝鮮の兵士らがそのように考えても不思議ではなかった。

 結局、北朝鮮が謝罪もせず、再発防止を約束しなかったことから態度を硬化させた李政権は南北の融和の象徴である韓国人の「金剛山観光」の中断に踏み切った。南北の融和の象徴として1998年11月にスタートし、前年には35万人の韓国人が訪れ、北朝鮮にとって貴重なドル箱となっていた「金剛山観光事業」は今もって再開されていない。

 赤信号を無視して横断歩道を渡る通行人を車が跳ねた場合、ドライバーは前方不注意で処罰されるが、それは平和な国家での話であって、38度線で今も銃口を向け合っている南北の軍の常識では撃つ側に落ち度はないというのが冷酷な現実だ。

 今回の事件も新型コロナウイルス感染防止に躍起な北朝鮮の過剰反応がもたらした「悲劇」と言わざるを得ない。

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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