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4度目の正直の「相思相愛」の米朝首脳会談

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
史上初の歴史的な米朝首脳会談に臨むトランプ大統領と金正恩委員長

 「世紀の談判」と称される史上初の歴史的な米朝首脳会談を2日後に控え、トランプ大統領と金正恩委員長は今日(10日)それぞれ開催地・シンガポールを訪れる。

(参考資料:訪米した金英哲副委員長が持参した「金正恩親書」――トランプ大統領の早期訪朝を要請か!

 トランプ大統領はG7が行われていたカナダから専用機「エアフォースワン」で、金委員長もロシア製の専用機「チャムメ1号」か、もしくは中国からチャーターした「CA(エアチャイナ)122便」のどちらかでシンガポール入りするようだが、トランプ大統領は夜に、金委員長は一足先に夕方には宿舎に到着の予定だ。宿舎はトランプ大統領がシャングリラホテル、金委員長はセントレジスホテルで距離にして僅か570メートルしか離れてない。

 一時はボルトン大統領補佐官対金桂寛外務第一次官、ペンス副大統領対崔善姫外務次官ら参謀によるバトルが原因で流会の恐れもあったが、これにより史上初の米朝首脳会談がシンガポールのリゾート地、セントーサ島のカペラホテルで開かれることが決定的となった。会談が現実すれば、まさに米朝両国にとっては4度目の正直となる。

(参考資料:「同床異夢」の「トランプ・金正恩」の7つの共通点

 1度目は金正恩委員長の祖父・金日成主席がクリントン大統領を相手に試みた1994年で、米韓関係者らの橋渡しによるところが大きかった。

 この年の4月に訪朝したウィリアム・テーラー米戦略問題研究所副所長らに対して金主席が自ら訪米の意欲を示し、また、米CNNが米TVメディアとして初めて金主席との単独インタビューを全米に流したことで浮上した。さらに金主席が直後に訪朝した在米韓国人ジャーナリストの文明子氏に「英語の勉強をしているところだ」と述べたことから「金日成訪米」は現実味を帯びた。

 金主席の訪米仲介に積極的に動いたのが後の大統領、金大中氏(当時:アジア太平洋平和財団理事長)であった。 金大中氏は1994年5月に訪米し、ナショナル・プレス・クラブ(NPC)で講演を行った際、「金日成訪米」について触れ「訪米の招待状を出したらどうか」と提案。これを受ける形でNPCが金主席に米国での講演依頼の招待状を出すに至った。

 金主席は自身の最後の誕生日となった1994年4月15日に行った米CNNとのインタビューで「核兵器の運搬手段もなく、国土も狭く、核兵器を実験することもできない」と核保有を否定し、2か月後の6月15日に一触即発の状況を回避するため訪朝したジミー・カーター米元大統領との会談で原子炉の凍結及び平壌での金泳三大統領との初の南北首脳会談開催に同意した。

 金主席は当時、南北首脳会談を終えた後、2回目を米国で行うことを検討していた。米朝国交樹立のため訪米し、その際に金泳三大統領も訪米するというシナリオだった。しかし、それもカータ―訪朝から1か月もしない7月8日に心臓発作で死去したことで無となってしまった。金主席の急死で7月25日に予定されていた南北首脳会談は頓挫してしまった。

 2度目は、金正恩委員長の父、金正日総書記の政権下で、クリントン大統領の任期最後の年の2000年。この年の6月に金正日総書記は金大中大統領と史上初の南北首脳会談を行ったが、その場で金正日総書記は金大中大統領にクリントン大統領との首脳会談の仲介を依頼した。

 金大中大統領の斡旋が実を結び、4か月後の10月に北朝鮮軍トップの趙明禄人民軍総政治局長とオルブライト米国務長官による相互訪問が実現したことでクリントン大統領はミサイル問題解決のため訪朝を計画。だが、中東問題を優先せざるを得なかったことや11月6日に行われた大統領選挙で後継者のゴア副大統領が共和党のブッシュ候補に敗れたことで訪朝が白紙化してしまった。

 それでも初の米朝首脳会談に意欲を示すクリントン大統領は12月21日、金大中大統領に電話をかけ「北朝鮮訪問はほぼ不可能だが、来年1月に金正日をワシントンに招待したい」と金正日訪米の仲介を依頼した。これに金大統領が「金正日がワシントンに行って何も得ずに戻るわけにはいかない。事前に成功を保障しておく必要がある」と進言したことから米国務省は翌日、金正日総書記宛てのクリントン大統領の親書を北朝鮮の国連代表部を通じて伝達した。親書には「われわれ二人(クリントン氏と金総書記)が会えば(関係改善)問題の解決が可能になる」と書かれてあった。

 しかし、ブッシュ次期大統領が大統領選挙期間中から1994年の「米朝ジュネーブ核合意」をはじめクリントン政権の対北外交を痛烈に批判していたこともあってレイムダックに陥ったクリントン大統領を相手に首脳会談をしても意味がないと判断した金総書記は「関心がない」と回答。これによりクリントン政権下での米朝首脳会談は立ち消えとなった。

 クリントン氏は退任後、講演の席で「(オルブライト訪朝結果を基に)北朝鮮に行けば、(ジュネーブ合意に続き)ミサイル協定も締結できると確信していた。それが任期中に実現できなかったことが最も悔やまれる」と振り返っていた。

 そして、3度目は北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び、金正日総書記を「ならず者」「暴君」と罵倒していたブッシュ政権時代にあった。

 ブッシュ大統領は南北及び日米中ロ6か国による核問題合意に関する「6か国協議共同声明」が発表された2か月後の2005年11月、北京での胡錦濤主席との首脳会談の場で「金正日と会っても良い」と発言し、翌2006年11月には訪問先のベトナムから「北朝鮮が核兵器を廃棄する場合、朝鮮半島の平和体制構築に向け金正日総書記と朝鮮戦争の終結を宣言する文書に共同署名する用意がある」とラブコールを送っていた。北朝鮮が1か月前の10月9日に史上初の核実験を行ったため首脳会談を真剣に検討せざるを得なかったようだ。

 ブッシュ大統領もクリントン前大統領と同様に2007年には訪朝したヒル国務次官補を通じて金正日総書記に親書を伝達し、任期最後の年の2008年にはライス国務長官を平壌に派遣する計画を立てていたが、チェイニー副大統領ら「ネオコン」の反対にあい、実現しなかった。結局、最後は任期切れとなり、ブッシュー金正日首脳会談も日の目を見ることはなかった。

 トランプ大統領は大統領になる前から「(金正恩と)話し合うのがなぜだめなのか。金正恩が米国に来るなら会う。会談場でハンバーガーを食べながら話をする。核を放棄するよう説得できる可能性は10~20%程度ではあるが、対話して悪いことはない」(2016年6月3日、アトランタ―での演説で)と発言していたが、まさに4度目にして現実のものとなった。

(参考資料:「金正恩シンガポール訪問」で注目すべき7つのポイント

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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