ロリータの反撃 芸術文化賞受賞作家マツネフ氏 その栄光と転落

1週間で1万部が売り切れ、現在アマゾンのフランス文学カテゴリーで2位に

正月早々から、フランスの文学界が揺れている。そのもととなっているのは、14歳の時に、当時50歳だった流行作家ガブリエル・マツネフ氏から1年間に渡る性的虐待にあったヴァネッサ・スプリンゴラ氏(現在47歳)が出版した『(性的)同意』(Le Consentement ,Vanessa Springora, 2020, Edition Grasset)である。日本でも今年は性犯罪の刑法改正が待たれる年で、特に性的同意については様々な議論がなされていると思うので紹介したい。

「14歳の少女が中学校の校門の前で、50歳の男と待ち合わせするなんて、ホテルで一緒に暮らしたり、ベッドを共にするなんてあり得ない」(拙訳)とあるように、スプリンゴラ氏はこの本の中で、当時は本当に36歳年上のマツネフ氏を愛していたと明言すると同時に、それでもやはり、彼の行為は14歳の少女に対してするべきことではなかったと語っている。

また、特に、同氏が彼女からのみならず、数人の少女たちからのラブレターを作品の中で発表し、性的同意があったことの証拠として組織的に利用したことなどを批判している。スプリンゴラ氏は、その後、登校拒否にかかり独力で勉強をしなければならならなかったり、またうつ病や極度の不安感に何十年もさいなまされたりと、心理的に大きな傷害を受けたと言う。

最もショッキングなのは、スプリンゴラ氏の母親を筆頭に、当時の文学界の多くの人々がこの関係を容認していたことだ、マツネフ氏自身がペドフィリーであることを文壇界のみならずテレビ番組内でも公言し、また、その体験を作品の中で緻密に描写した作品を発表していたのにもかかわらず、1995年にフランス政府から芸術文化勲章を受けており、2002年から年に8000ユーロの国立書籍センターからの文学者手当を受け取っていた。つまり、フランス政府と社会の一部のエリート層の人々が、子どもに性的虐待を加えていた作家の栄誉を称えていたことになる。

ロリコン作家として有名だったマツネフ氏

現在83歳のマツネフ氏は、特に1970年代から80年代にかけて、挑発的な言動で知られる文学界の寵児だった。1974年に『16歳以下』(Les moins de seize ans , 1974,ed.Julliard,)という何人もの少女との愛人関係を描いたスキャンダラスな作品を発表し、それだけではなく実際にマニラに11、12歳の少年を買春しに行くことも公言していた。

1975年9月、アンテン2局のアポストロフという当時人気だった文学番組に出演し、「10歳から16歳という時期は、愛情と性的衝動が一番強い時期ではないかと思う。そうした時期に愛情関係を経験すること、これほど美しく、豊饒なことはない。同年代のパートナーとでも、あるいはもっと年上のパートナーに導かれてでも」と発言。同席していた大学教授は「でも、少年少女に一生のトラウマを与えてしまうのでは?」と疑問を挟むが、マツネフ氏は「セックス以外にも、彼らを傷つけることは他にもたくさんあるでしょう」と平然と答える。

貴族的な風貌に加えて、奥深い古典的教養と文学的素養をもち、その上、話し上手というので、当時のメディアでは引く手数多だった。数々の連載をこなしながらテレビやラジオに登場、2013年には文学賞として権威あるルノドー賞を受賞。文学者が集まるサン・ジェルマン界隈では、「ダンディー」として大人気だったという。スプリンゴラ氏のような父親不在の家庭に育った14歳の文学少女が、そんなキラキラした男に恋してしまうこと自体は、特に驚くべきことではない。同氏は「14歳の少女と50歳の男性の恋愛はあり得るでしょう。でも、問題は、マツネフ氏が思春期の子どもだけに性的に惹かれていたこと」と言っている。

『(性的)同意』が出版された1月2日の5日後、1月7日に、30年来マツネフ氏の日記を出版してきた歴史ある老舗出版社ガリマール社が、それに次いで4社が彼の書籍販売を中止した。1月12日のLe Journal du Dimanche紙上で、代表取締役のアントワーヌ・ガリマール氏は「出版物の発禁処分には反対する」としながらも、「マツネフ氏の作品には被害者の視点が欠けている」、「性的虐待に苦しんだ人々の声を聞くのも、私の人として、また出版者としての責任」と語った。

次いで、フランク・リスター文化大臣は「マツネフ氏に文学者手当を受け取る正当性がない」として手当を打ち切ることを発表。フランスでは、これまで、作家や芸術家が罪を犯しても、「作家の人間性と作品は別」と考える傾向が強かった。性的未成年者への性虐待やレイプ事件で追求されているウッディ・アレンやポランスキーといった作家の映画でも、反対はあれども、芸術として上映され続けている。しかし、時代は変わりつつあるのか、今、マツネフ氏は四面楚歌の状態だ。

追求されるべきは彼だけではないだろう。一体どういう理由で、マツネフ氏が、社会でほとんどバッシングを受けることなく昨年末までペドフィリアを賛美する記述があるブログを公開し、作品を発表し続けてきたのであろうか? 社会にもそれを容認する何かがあったように思う。

「禁止するのは禁止」だった1970年代

1977年、マツネフ氏が筆頭となって、当時、未成年者と性的関係を持ったために禁固刑になっていた成人男性3人の減刑を願い出る嘆願書をル・モンド紙に発表する。

「子どもたちは何の暴力も受けておらず、性的関係に同意を示していたのにもかかわらず、彼らに有罪判決を下すのはスキャンダラスである」、「愛撫とキスだけで3年の禁固刑は重すぎる」とし、性的未成年者と成人間の愛情関係に基づいた性的関係を擁護する嘆願書だ。当時のインテリ、文化人が署名した。署名者には(p.63 Concentement)ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ジル・ドゥルーズ、ロラン・バルト、ミッシェル・フーコーと当時のインテリ層が勢揃いした。

当時のフランスといえば、60年代の学生運動、そして70年代の性解放運動を経て、カトリック教に基づいた厳しい性道徳から脱出したばかり。そして全ての革命がそうであるように行き過ぎもあり、特に、芸術や文学のためなら多くのことが犠牲にされた時代だった。全ての性的抑圧からの解放が声高に叫ばれ、「禁止することは禁止」という「何がなんでも自由第一主義」だった。

こうした風潮の中で「子どもの性」に対する見直しも求められるようになり、一時期は、「性的未成年者にもセクシャリティーはある」、「子どもには子どもなりの判断力がある」として子どもの性的同意の尊重を主張する人々もいた。

子どもの性的同意は無効に

しかし、1980年代半ばから、ペドフィリーに対する社会の考え方は徐々に変化し始める。1990年に国連「児童に関する権利条約」が発効。隣国ベルギーではデュトロー事件という10人近い未成年者がデュトロー夫妻から誘拐され性的虐待を受け、数人は殺されるという大事件が起きた。ペドフィリーは「怪物」視され、「病」として認識されるようになった。

デュトロー事件は欧州の親たちを震撼させ、子どもたちもペドフィリーの危険性について学校で教育を受けるようになった。公園で遊ぶ子どもにカメラを向けたら「きゃー!」と叫ばれ、市場ですれ違った子どもの頭を撫でたら親に「うちの子に触らないください!」と怒鳴られる時代になった。1994年、15歳未満の子ども(男女とも)と成人の性的関係は、たとえ子どもの同意があったとしても性的虐待として有罪となった。子どもの「同意」は「熟考に基づいた確かなものではない」と考えられるようになったのだ。スプリンゴラ氏の作品『(性的)同意』は、まさに、この子どもの同意がいかに不確かなものであるかを描いている。

1月3日、スプリンゴラ氏の本が出版された翌日、パリ検察庁はマツネフ氏に対して、未成年者に対するレイプ罪の疑いで捜査を開始した。捜査は国内のみならず国外に及ぶ。スプリンゴラ氏の場合は時効が過ぎている上(未成年者に対するレイプ罪の時効は30年)、「文学という同じ土俵でマスネフ氏と戦いたかった」という彼女は司法当局に訴え出ていない。しかし、検察庁は、数年前から、時効が過ぎていても未成年者に対するレイプと性的虐待に関しては、捜査を行い被害者と推定加害者の間での対話を試みている。刑は下されないが、加害者が罪を認める、謝罪するといった、重罪裁判所ではなかなか起きないケースがあるということだ。

1月15日、一部訂正しました。

2月5日、一部訂正しました。