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ナンパする自由を! #metooへの反撃

プラド夏樹パリ在住ライター
カトリーヌ・ドヌーヴ(写真:ロイター/アフロ)

ハリウッド・セクハラ事件以来、ここフランスでもセクハラ告発が続き、男性たちは身を小さくしている感がある。

女性たちはというと、一対一の時には、声をひそめて「#metooで『20年前に膝を触られた』とか告発するなんて、バッカじゃない?」と言う反面、クリスマスのディナーの席では「そうですね、セクハラ被害にあった方達がやっと声をあげるようになったのは素晴らしいわ」などと二枚舌を使う人もなきにしもあらず。

少なくともフランスに関して言えば、すべての女性が#metooに賛同しているわけではないし、また、賛同している人々の間でも色々なニュアンスがあるようだ。

アメリカに次いで、プロデューサーや監督のセクハラを告発した女優も多かったが、ジュリエット・ビノッシュは、昨年10月23日版ル・モンド紙上で、「プロデューサーや監督にいきなり抱きつかれたこともあるけど、自分に関しては、メディアを利用して裁判する必要はないと思っている」と。また、往年の大女優カトリーヌ・ドヌーヴは、昨年10月18日のハフポストのインタビューに応えて「Twitterで告発を流して、本当に事態が変化するのか、私には疑問」と発言、#metooに対しては、当初から懐疑的な姿勢だった。

そのカトリーヌ・ドヌーヴを筆頭にした100人の女性たちが、1月10日版ル・モンド紙上に、『性の自由化には欠かせない、ナンパする自由を!』と題する宣言を発表した。#metooへの反撃と言ってよいかもしれない。以下で、2つの要点を紹介したい。

#metooは性的自由を奪う

まず、Twitterで過去のセクハラを女性の側から一方的に告発することに対して、このようなフェミニズムはあまりに反男性的ではないかと、また、今や、#metooに対する反対意見を述べにくい雰囲気がはこびっていると、指摘している。

そして、「このような男性告発ムーブメントは、表面上は女性を擁護するようでいて、結果的には、女性を永遠に被害者の立場につなぎとめることになる。……女性の自立を推進するどころか、性的自由を奪うことになる」と。

私なりの説明を試みたい。「女性=被害者、男性=加害者、ナンパ=セクハラ」という観点から男性を告発し続けると、誰もナンパしてくれなくなる。まずは男性が、たとえ少々執拗であっても誘ってくれなくては、女性の側も、YesかNoをはっきりさせるという性的自由を行使することはできないではないか。男女間のグレーゾーンでは、時には危険なことも起きるかもしれないが、自分の選択に責任を持ってリアルにセクシャリティーを生きてみなければ、女性は自立できない、という意味合いだろう。

他の欧州の国々ではどうなのかよく知らないが、フランスでは、伝統的にナンパは男性がまず最初の一歩を踏み出すものであり、それに対して女性が応じる、あるいはお断りするという形式になる。日本では女性からお誘いすることもOKだろうが、そこは文化の違い、女性からはなかなか言いにくい。今、若者の間で流行りの出会いアプリTinderを利用しているフランス人の友人に言わせても、「女性側から『会いましょう』と言ってくることはないよ」ということだ。だから、アプローチしてくる男性の気持ちを初めから挫いてしまっては、男女間ではもう何も始まらないではないかというのである

「被害者でい続けるな」

そして、「メトロの中で痴漢にあったとしても、一生傷つかない人もいるし、性的に貧困な男性の一行動として理解することも、あるいは、なにもなかったことにすることもできるではないか。……無断で身体を侵害された、辛くネガティブな思い出があるとしても、それは必ずしも、私たちの尊厳を傷つけはしないし、一生、被害者意識を持つこともないのだ」と続く。

この部分に関しては、私は人それぞれだと思うのだ。レイプを受けても尊厳を傷つけられない人もいるだろうが、多くの女性にとって、そのダメージは生半可なものではないだろうと想像する。

ヴィルジニー・デパントという、今、フランスで大流行している作家は、若い時にヒッチハイクをして集団レイプされたことを著作の中で語っている。彼女の場合は、その後、売春をすることで、男性の性がいかに悲しく脆いものであるかを理解し、それによってなんとか男性のセクシャリティーと和解することができるようになったと言っている。

彼女のように、苦しい体験を自分の力でチャラにしてしまうことができる強い女性は羨ましいが、これは強者ならではのことである。この宣言に署名した100人の女性たちのリストを見てみよう。アーチスト、作家、といったクリエイティブ系の人々が多い。彼女たちは「表現する」という武器で、どんなネガティブな経験も人生の肥やしにすることができる人々なのではないだろうか?

しかし、みんながそういう強さを持っているわけではないのだ。被害にあった身体と心を支えきれなくなってしまう人々に向かって「被害者意識から抜け出なさい」と叱咤激励することは、あまりにも過酷だ。

セクハラをどう受け止めるかは、人によって大きく違う。だからこそ、セクハラ法制化は難しい。法制化の過程を政府に丸投げするのではなく、市民の間で、家庭で、友人間で、職場での率直な議論が必要だと思う。そして、できるならば強者ではなく、弱者を基準にした社会制度を作って欲しいと思うのだ。そうすることは、決して、反男性的だとは思わない。

この宣言は、発表されて2日後、世界的レベルで賛成、反対を含めて報道されている。私は、とくにこの宣言に賛成というわけではないが、全員が#metooに賛同というのも不気味だと思っている。どちらにせよ、今後、男女関係は大きな変化を遂げる予感がする。より良い、新しい関係性を築くために、議論は大いにやってもらいたい。

パリ在住ライター

慶応大学文学部卒業後、渡仏。在仏30年。共同通信デジタルEYE、駐日欧州連合代表部公式マガジンEUMAGなどに寄稿。単著に「フランス人の性 なぜ#MeTooへの反対が起きたのか」(光文社新書)、共著に「コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿」(光文社新書)、「夫婦別姓 家族と多様性の各国事情」(ちくま新書)など。仕事依頼はnatsuki.prado@gmail.comへお願いします。

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