筆者が8年前、PTAの取材を始めるにあたって読んだ資料の一冊が、岸裕司さんの『学校を基地にお父さんのまちづくり』(太郎次郎社)でした。出版社が同じだったので、編集担当者が資料として差し入れてくれたのです(ちなみに最初に読んだのは作家・川端裕人さんの『PTA再活用論』でした)。

 「これは楽しそうだなぁ」というのが、当時もいまも変わらない、この本の感想です。岸さんは1980年代後半から、千葉県習志野市立秋津小学校PTAにかかわり始めます(子どもたちに大人気だった用務員さんの失職がきっかけだったそうです)。規約改正などPTA改革を進めつつ、次第に地域住民も巻き込んで活動を広げていき、秋津小は「元祖コミュニティ・スクール」のひとつといわれるようになったのでした。

 コミュニティ・スクールについては先日、三鷹市在住のCSマイスター(コミュニティ・スクール推進員)、四柳千夏子さんにもお話を聞かせてもらいました。習志野市在住のCSマイスターである岸さんは、また別の視点で、どのように現状を見ているのでしょうか?

『教職研修』編集長岡本氏を通して取材をお願いすると、岸さんはなんとパワポ資料を用意してレクチャーを行ってくれました。以下、その内容を抜粋・凝縮してお届けします。(取材は2021年5月)

<用語解説>

  • 「地域学校協働活動」…地域の人たち(保護者含む)が学校のお手伝いをし休日などは住民主体で活動する仕組み。実働部門。自治体によって名称は異なる(例/埼玉県では「学校応援団」)
  • 「コミュニティ・スクール」(略称CS)…地域の人たち(保護者含む)が「学校運営」「運営支援」に参画する仕組み。狭義では「学校運営協議会」を置いた学校を指す。主な役割は「校長がつくる学校運営の基本方針を承認する」「学校運営について、教育委員会や校長に意見を言える」「教職員の任用について意見を言える」の3つ。最近は、CSが地域学校協働活動を指す傾向もあり、もとの意味のときは「CS(学校運営協議会)」と表記されることもある (※当原稿では基本的に、同じ段落で複数回「コミュニティ・スクール」が出てくる場合、2度目以降を「CS」と表記しています)

*PTAでなく「保護者」である必要がある理由

 「地域学校協働活動」と「コミュニティ・スクール」。文部科学省はいま、この2つを両輪で進めて「地域とともにある学校づくり」を目指しています。

 文科省が作成した資料の図を見ると、左の「学校運営協議会」の委員のところには「保護者」と書かれていますが、右の「地域学校協働本部」のほうには「保護者」と「PTA」が併記されています。なぜ異なるのか? 岸さんはこう指摘します。

文部科学省HPより(https://www.mext.go.jp/content/1422294_002.pdf)
文部科学省HPより(https://www.mext.go.jp/content/1422294_002.pdf)

 「学校運営協議会は、法律(「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」)に基づくものです。法律の文言は『生徒、児童又は幼児の保護者』で、PTAのことは書いていない。だからこの図も、それに準じているのでしょう。

 でも右のほう、文科省がつくった地域学校協働本部の図は、保護者とPTAを分けて入れています。これは問題があります。地域学校協働活動には『放課後、土曜日、休日における学習』など、学校の運営時間外の活動もありますが、PTAのTは教職員です。これでは、教職員の権利としての休暇が保証されません」

 言われて気付きましたが、ほんとうです。PTAは、保護者の団体という面が強いですが、実は会員にT=教職員も入っています。気を付けねばと思うのですが、筆者もよく、うっかり見落としがちです。

 一方、学校運営協議会の委員のほうには「PTA」は出てこないものの、現実に保護者の代表として任命されるのは、ほぼ必ずPTA会長です。筆者はここに多々疑問があるのですが(関連記事参照)、岸さんも「PTA役員がCS(学校運営協議会)委員に就くことには問題がある」と話します。

 「法律の文言が『生徒、児童又は幼児の保護者』となっているのですから、CS委員の任命では、保護者とPTA役員を切り離す必要があるというのが僕の考えです。

 それに、コミュニティ・スクールの役割のひとつに『職員の任用に関して、教育委員会規則に定める事項について、当該職員の任命権者に対して意見を述べることができる』というものがありますが、PTAの規約にはよく、終戦直後にGHQが導入したときの『学校の人事その他管理には干渉しない』といった文言が入っています。ですからもしPTA役員をCS委員に任命するのであれば、PTAの思想と理念を変える必要があるでしょう」

 これも言われてみると、確かにそうです。多くのPTAは、70年ほど前に文部省が作成した「PTA参考規約」をもとにした会則を今も使っているので、「学校の人事その他管理には干渉しない」(第二次参考規約)という一文を今でもよく見かけます(*1)。PTAは学校の人事に意見できないのに、PTA会長がCS委員になって「教職員の任用に意見を述べられる」というのは、矛盾に感じられます。

 おそらく校長先生や教育委員会は「PTAという団体とは関係なく、たまたまPTA会長にCS委員をお願いした」と説明するのかもしれませんが、それも納得しづらい理屈です。「なぜその人を保護者代表に選んだのか」と聞かれれば「PTA会長だから」と答えざるを得ないでしょう。

 岸さんの言うように、CS委員の保護者はPTAと関係ない枠組みで選ぶか、あるいはPTAの規約の「学校の人事に口を出さない」の文言をなくすのが道理ではないかと感じます。

 「たまたまだけど、これは僕がPTA役員になったきっかけでもあるんです。子どもたちの人気者だった用務員さんが失職したとき、PTAの規約を読んだら『学校の人事や管理に干渉しない』と書いてある。『これはおかしい』と、僕が規約の改定を提案したんです。こういったPTA規約の改定を促すことも、教育委員会の役割のはずです。法律上、コミュニティ・スクール委員を任命するのは教育委員会ですから」

 もしPTAがコミュニティ・スクールと同様に「教職員の任用に意見を述べられる」ものだったら、保護者のPTAを見る目はずいぶん、いやまったく違ったものになっていたでしょう。教職員の任用に関しては、疑問や異議があっても、黙って飲み込んでいる保護者が大半なのです。

*配慮し過ぎてわかりづらい割りに低導入率

 でも現実には、PTAだろうと保護者だろうと地域だろうと、外部から人事に意見されることを、先生たちはとても嫌がるでしょう。というくらいは、筆者にすらわかります。岸さんは、現在の法律にも、そういった面での配慮が反映されているのだといいます。

 「コミュニティ・スクールの役割のひとつとして『職員の任用に関して、教育委員会規則に定める事項について、当該職員の任命権者に対して意見を述べることができる』と法律に書かれているわけですが、このうち『教育委員会規則に定める事項について』という箇所は、2017年に法律が改正されたときに追加されたんです。

 というのは、コミュニティ・スクール制度を導入しない自治体の理由として『教職員の任用について意見をいろいろ述べられても困る』という意見が、実はいっぱいあったから。それで文科省が『配慮』して議員たちに言って、こういう言葉が入ったんです」

 やはりそうなのか、という印象です。そもそも「意見を述べることができる」という言い回しだって、かなり不自然です。先生たちに配慮すればするほど、違和感も、わかりにくさも増します。そんなに配慮してすら、コミュニティ・スクールの導入率はいまも全国で27%(2020年7月時点)というのですから、大変なことだなぁと同情もするのですが。

 ただし岸さんは、コミュニティ・スクールが教職員の任用について意見を述べるようになれば「教職員にもメリットがある」と力説します。

 「実は、そういった例も、たくさんあるんです。たとえば秋津小は、県内初のコミュニティ・スクールだったこともあり、校長が不在のことが多くて先生たちが駆けずり回っていたので、『教員が足りない』と市の教育委員会に加配を要望したところ、そのまま県の教育委員会に意見書を出してくれて、県教委が加配を実現してくれました。

 世田谷区の給田小学校のコミュニティ・スクールは、『いまの校長はマネジメント力があるので、もうちょっと留任してほしい』と要望を出したら実現しましたし、山口県の萩市のCSで『社会教育主事の有資格者教員を配置してくれ』と要望したのも、実現しています。三鷹市の第四小学校のCSでは、ボランティアに来た教員志望の学生を、教員試験合格後に引っ張ってきた、なんていう例もあります」

 「要は使い方だ」と、岸さん。何でも「また文科省が変なことをやりだした」という目で見るのでなく、「法律は道具。自分たちにメリットがあるようにどう使いこなすか、という発想をしてほしい」と話します。

*保護者や地域住民に法的権限を与えた画期的な側面

 コミュニティ・スクール制度は「日本に民主主義を根付かせるため」に始まった。岸さんは、CS導入の理念として、こう断言しました。

 「2004年にコミュニティ・スクールの法律をつくったとき、文科省でキックオフセミナーがあったんですが、このときの講演で、当時の中教審の副会長だった木村孟さんが『CSは日本に民主主義を根付かせ、地方の考える力をつけるための方策である』と話しました。『え~』と驚きましたが、『なるほど、確かにそうだ』と思ったんです。

 親や住民は学校任せで主体性がないし、学校は民主主義者を育成するための『子どもの権利条約』を教えていない。地方も中央志向のおねだり体質です。だから『責任感と住民自治力』をつけるために『CS=学校運営協議会制度』をつくったんだな、と理解できました」

 なるほど。筆者もコミュニティ・スクールの仕組みを見ると、「今度こそ、民主主義をやらせたかったんだなぁ」という作った人たちの思いは、ひしひしと感じます。

 「『校長が作成する学校運営の基本方針を承認する』ということが、法律上、コミュニティ・スクールの必須の役割となっています。ですから保護者や地域住民はCS委員になると、非常勤特別職公務員として『学校運営の基本方針を承認する』という義務を負います。承認できない場合は、承認できるまで校長に訂正させる『権限と責任』をもっているのです。

 その意味で、この法律は画期的です。1872年に学校教育制度が始まって以来132年にして初めて、一般市民である保護者や地域住民が、法的に権限と責任を与えられたんです。学校と市民が真に協働するパートナーとなり、学校と子どもを育てるわけですから」

 画期的、というのは筆者も感じます。PTAの現場(保護者たちの声)の取材をしていると、「学校と保護者が対等」なんてあくまでタテマエだな、と感じざるを得ないことが多いのですが、コミュニティ・スクールの仕組みは、間違いなくそこから一歩踏み出しています。

 最近、岸さんが注視しているのは「〇〇型コミュニティ・スクール」が増えていることだといいます。全国で、法律に則ったコミュニティ・スクールが約9,800校ありますが(2020年11月時点)、「〇〇型」と地名を冠した、法に則らないコミュニティ・スクールも、約6,800校(同)展開されています。

 「一昨年、テレビ番組の企画で地方のある小学校を訪れたんです。そこも『〇〇(地名)型コミュニティ・スクール』をやっているというので規則を見たら、驚いちゃいました。『協議会は校長が掲げる基本的な方針について協議する』となっている。法律では『承認する』です。『協議する』なら、以前の学校評議員制度(法律のように強制力がない文科省令)と同じ。だから、廃れちゃっているわけです。

 『〇〇型コミュニティ・スクール』というと、いかにも新しいことをやっているように見えますが、内実はむしろ学校管理を強める道具になってしまっている。法律に基づかないので、校長が替われば協議会が開かれないことだってあり得るから、継続性の保障もまったくない。そういう学校がどんどん増えているので、注意が必要です」

 筆者はどちらかというと、コミュニティ・スクールといいながら、中身が地域学校協働活動寄り(学校運営協議会が形だけ)、というところが気になっていましたが、なるほど、学校運営協議会の中身にも、目を配る必要があったのでした。

*PTAでできなかったことを、CSでできるのか

 岸さんのパワポに沿ったレクチャーが終了したところで、筆者が最も気になっていたことを、質問させてもらいました。

 それは「なぜ文科省は、PTAでできなかったことを、コミュニティ・スクールでできると思ったのか?」という疑問です。先ほど岸さんの説明にあったように、CSが日本に民主主義を根付かせようとしたというのは筆者もブラボーだと思うのですが、だったらばこそ、何でまたそれを上からやろうと考えたのか?

 PTAだって、最初は同じことをやろうとしていたはずです。CIE(民間情報教育局。GHQの一部局)や当時の文部省は、PTAを通して日本に民主主義を根付かせようとしましたが、でもそれはかないませんでした。いまだに自動強制加入のPTA、つまり「会員の意思を尊重しない」PTAが多いのです。

 そうなってしまった最大の原因の一つは、草の根から組織が立ち上がるのを待たず、上からの指示でPTAをつくらせてしまったからではないのでしょうか。なのになぜ、コミュニティ・スクールもPTAと同様に、上からの指示でつくらせてしまうのか。

 本当は文科省に聞きたかった疑問を、代わりにすみませんが、岸さんに、ぶつけさせてもらいました。岸さんは、言葉を選びつつ、こんなふうに答えてくれました。

 「ふたつあると思うんです。ひとつは学制が敷かれた1882年から、コミュニティ・スクールの法律ができた2004年までの間に、学校任せ、行政任せという住民が増えたと思うんです。戦後にPTAができて『意見が言える』というくらいのことは民主主義として理解した人は多いんだろうけど、『主体的に自分が意見を学校に言う』という習慣は一切できなかった。一方、近年、税金が右肩下がりの傾向で、住民自治でやってもらいたい思いが国会議員に増えてきた。その意向に文科省は沿うてきた。そういう背景があったと思います。

 もう一つは、保護者や教職員が、PTAが発足した理念を学ぶ機会がなかったこと。本来、任意で組織する社会教育関係団体なんだから、所轄する教育委員会が教えてくれないと。「任意」というのは「PTA法」がないから。それがなく、4月に子どもが入学したらいきなりPTAの役員決めでノイローゼになっちゃうなんて、任意の意味を学ばないのでおかしいよね」

 どういうことか? 岸さんは、PTAで民主主義が根付かなかったのは、上からの指示でつくらせたけれど、保護者も教職員も教育委員会も「お任せ」体質で、PTAの理念が周知されなかったことが原因だと考えているのでしょう。

 たしかに、そういった面もあるかもしれません。PTAも、皆が発足理念を学ぶ機会があれば、また違った展開があったのかもしれず? ただ、コミュニティ・スクールだって、発足理念がみんなに知られているとは言い難いでしょう。CSを導入した自治体でも、一般保護者は発足理念どころかCSの名称も知らない人が多いですし、PTAの役員さんでも、中身を理解している人は少数です。

 それにもし、PTAで民主主義が根付かなかった理由が上記の2点だとしたら、なぜPTAでそれを改めようと考えなかったのか? 同じやり方で、コミュニティ・スクールがPTAと同じ轍を踏まないと判断した理由が、ちょっとわかりません。これ以上のところは、文科省に直接聞かねばと思います。

 さらにもうひとつ、筆者には疑問がありました。文科省は結局のところ、PTAをどうしたいのか? という点です。コミュニティ・スクールや地域学校協働活動をつくることで、PTAの役割を代替し、無償労働を担い続ける保護者、実質母親たちを、パワーバランスの末端から解放しようとしてくれたのでは? という善意の解釈をしていたのですが(筆者は基本的に人がいいのです)、どうも違うのか?

 「コミュニティ・スクールの法律づくりにかかわった有識者や議員らは、PTAをあえて外したと思います。法律の文言にPTAが一切ないのも、あえて入れなかったのでしょうね。だってPTAって任意団体だから、学校によって、あるところもあれば、ないところもあるしね」

 あえて外した、ううむ…。確かにまあ、そうなのでしょう。法的な裏付けをもたないPTAという団体をコミュニティ・スクールの前提にするのも問題がありますし、逆に文科省が任意の団体について「なくす」などと誘導しても問題があります。

 むしろ岸さんは、「今後、PTAがコミュニティ・スクールにどうかかわるかの議論が深まるのでは」と考えているそう。

 「最近コミュニティ・スクールの所轄の部署が『CSの在り方等に関する検討会議』という新たな委員会をつくったんですが、そこに日本PTA全国協議会(日P)の常務理事が入りました。だから今後P連のなかでも、PTAとしてCSをどうするかということの議論が、積極的に始まると思いますよ」

 それは、どうでしょうか。日Pと、各学校にあるPTAは、ある意味まったく別の世界で動いているので(ほとんどの一般会員は日Pの存在すら知りません)、日Pの役員がコミュニティ・スクールとのかかわりを検討することはあったとしても、現場のPTAや保護者、教職員につながることは、筆者は想像できません。

 コミュニティ・スクールについては、まだ導入していない自治体・学校も多くあります。来年度はCSの法律を見直す5年目に当たるので、それに向けてまた何か新しい動きが出てくるのか?(*2) 引き続き様子を見つつ、考えを深めていきたいと思います。

・・・

  • *1 1948年に文部省が各都道府県教育委員会に送付したPTA第一次参考規約には「(第七条)本会は、教員、校長および教育委員会の委員と学校問題について討議し、またその活動をたすけるために意見を具申し、参考資料を提供するが、直接に学校の管理や教員の人事に干渉するものではない。」とある。その後、1954年に出されたPTA第二次参考規約では、このような文言はなくなり、「(第五条4)学校の人事その他管理には干渉しない。」の一文だけが残った。「改悪」と評される所以。
  • *2 2020年12月、自民党内に『コミュニティ・スクール推進議員連盟』ができたこともあり、今後、CSの設置が『努力義務』でなくなり、『義務化』する可能性も、岸さんは指摘する。