「PTAは学校のお手伝い機関ではない」と明言する杉並区の元教育長・井出隆安さん(2020年3月にご退任)。最近全国の学校に広がりつつある「地域学校協働本部」(地域の人で学校をお手伝いする仕組み)は、杉並区で始まったといいます。

 井出元教育長は、「PTAはお手伝いじゃない」ことを、どうやって現場に伝えてきたのでしょうか? 前回(「PTAがなくても学校経営はできる」PTAの真の役割とは 東京都杉並区の取り組み)に引き続き、お話を聞かせてもらいました。

  •  筆者は「学校と保護者の間には、どんな関係性が必要なのか」をテーマに、学校現場を知る方々にインタビューを行っています。本取材もその一つで、今年2月に行いました

*私は別に歓迎されに来たわけじゃない

――どうして井出教育長は「PTAは学校のお手伝いじゃない」と言ってくれるんでしょう。

 当たり前じゃない、そんなこと。

――はい、そのはずなんですけれど…。他の地域では残念ながら当たり前じゃないので。杉並では、なぜこれが当たり前になれたのかなと。

 そういう土壌もあるんですよね。「PTAは学校のお手伝い部隊じゃない」と指摘する人たちも多いですし、自主的な勉強会なども昔からいっぱいある。でも私はべつに、彼ら、彼女らがそう言うからそうしているわけじゃない。もともと以前から「その通りだよ」と思っているから。

 いまの杉並の校長は、それをやると「これはPTAのやることじゃない」とか「小間使いに使うな」と私に怒られるから、やらないと思いますよ。

 よく私が学校に行くと、昇降口に「歓迎」「井出教育長様」とか書いた紙が張ってあるから、「これ誰がやってるの? 私は別に歓迎されに来たわけじゃない。文句言いに来たのかもしれないんだから、こんなもの書くな」と言ってきた。それでも10年はかかりましたよ、下駄箱の張り紙がなくなるのに。

――その手の「お心遣い」みたいなことって、上の立場から言わないと止まらないし、上が言ってさえなかなか止まらなかったりしますね。学校と保護者の「お心遣い合戦」も同様の印象があります。卒業式の祝辞とか……。

 卒業式といえば、これから(新型)コロナウイルスがパンデミックな状況になったらどうするかというので(※取材は2月後半)、ある校長から「区長の告示や教育長挨拶の代読をやめにできるか」と問い合わせが来た。そんなの「お手元の配布物をもって替えさせていただきます」でいいんです。いちいちお伺いをたててくるような話じゃない。

 そもそも学習指導要領に載っている卒業式というのは、「卒業を認定する機会」なんだから、そのための具体的な行為は、卒業証書を渡すことです。だから区長の告示も文書に替えてもいい。そういうことを校長はちゃんと知っていないといけないんだけれど、知らないから「お断りしたいんですけれど失礼でしょうか」と聞いてくる。

 一事が万事、そういうことです。「子どもが300人も集まって体育館に2時間も缶詰めになって、飛沫感染したらどうするのか」というから、「やめりゃいいじゃない。やめるかやめないかは校長が決めればいいんだよ」って言う。そうすると「えっ、校長が決めていいんですか」って。

――校長先生たちはなぜ判断できないんでしょう。逆に考えると、井出教育長は校長先生だったとき、なぜ判断できたんですか?

 私は副校長のとき、そういう校長に鍛えられたから。ものごとの順序、軽重、フォーマルとインフォーマルの区別、そういったものをきちんとわきまえて整理するのがお前の仕事なんだから、と言われて3年間こってり鍛えられました。

 「報告の順序が間違ってる」と最初に言われたのは、体育館の床を全部張り替える工事のとき。PTAの主催で体育館を使う宿泊行事が入っていたので、日程の連絡が入って、いの一番にPTA会長に連絡をしたら、PTA会長が校長に代替案の相談をした。

 そうしたら校長が「なんで私より先にPTAの会長が知っているんだ」って。「学校の施設設備の管理者は誰だ。校長が知って、校長の指示でPTAにどうしますかと言うのが筋なんだ」って。意地悪で怒られたんじゃないんだよ、ものごとには順序があるっていう話。なるほどと思ったね、そのとき42歳だった。そういうふうに鍛えられてくると、大概のことは「あ、そうだよね」って判断できるじゃない。

 PTAもそうですよ。学校側から言われたことを聞いて「はい、そうですか」と言っている関係じゃなくて、「それって違うんじゃないですか? こうしましょうよ」ってことを、お互いに言えるような関係がいい。それってどうやって生まれるかと言うと、学習なんです。

*どんどん変質して、戻る場所がない組織

――いまのPTAには、いい部分と悪い部分と、すごく混在していると思うのですが。

 なぜかっていうと、PTAって戦後、社会的に成熟しないまま大きくなり過ぎちゃったんです。アメリカのそれをもってきて、ポンと立ち上げて、ああしてこうして、途中でどんどん変質していったんですよね。その変質していった過程を、当事者たちは相対的に認識していない。時世に合わせて変わっていったから、どこでどう変わったかわからない。

 だから、戻る場所がないんですよ。戻る場所がないから、先輩は「私たちがやった通りやればいい」、後輩は「先輩のやっていた通りやればいい」となる。何かによって変えられたという部分がなく、いつ自己変質したかもわからない状態で、ずっと「そういうもんだ」と思ってやってきたら、いつの間にか、まるっきり裏側に来てました、というような存在。変えようと思った人が、無駄な努力をすることになる。

――あ、それを言っちゃ……(笑)。でもおっしゃる通り、PTAって定義がはっきりしなくて、「戦後の民主主義をめざしたPTAこそが本質だ」という人もいれば、「PTAも(戦前の)学校後援会でいいんだ」という人もいて、いまさら誰も、正しいとか間違っているとか言えなくなっています。

 ねえ、エライところに足をつっこんじゃったね(筆者のPTAというテーマについて)。どうする、これ。当てのない旅。

 でも言えるのは、結論を決めて旅しちゃいけないってこと。さまよっている間に気が付くことが、いくつか必ずある。そのひっかかったことを大事にして、やっていけばいいんじゃない。開高健じゃないけれど「何でも見てやろう」でいけばいい。答えはないんだよ。

 切り口は「絶滅危惧種」としてPTAを捉えるか、今後の生涯学習社会を支えていくブランチ、「可能性の宝庫」としてPTAをもう一度見直すか、どっちかですよ。私は後者だと捉えて、そのスタンスでかかわっている。

 でも中学の部活と同じで、絶滅危惧種、レッドカードの側面もあります。

(了)

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 井出元教育長へのインタビューは、以上です。この取材に関する筆者の考察は『教職研修』(教育管理職のための総合研修誌)の連載に執筆します。