「大人がすべて人のせいにする間、子どもは絶対救われない」大空小・初代校長の話

「大人はなぜ かわらないのか?」問いを掲げる木村泰子先生(写真はご本人の提供)

 保護者と学校には、そもそもどんな関係性が必要なのか? PTAという組織をいったん離れて、現場に何が必要かをゼロから考えるためのインタビューシリーズ。お一人目、映画「みんなの学校」で知られる大阪市立大空小学校の初代校長・木村泰子先生のお話の後半です。

 前半(「やる人がいてへんかったら必要ないんちゃう?」PTAなしで始まった大空小 初代校長・木村泰子先生の話)は主に保護者組織についてのお話でしたが、今回は“サポーター”と学校の関係について、多くのヒントをいただきました。

  • インタビューは今年2月に行いました

*困ってる子が困らなくなる学校をつくる

――大空小では、「保護者」という呼び方をしないそうですね。地域の人も保護者も「サポーター」と呼ぶ。なぜですか?

 保護者が守るのは自分の子どもだけでしょ。でも自分の子どもは家だけでいいねん。学校の門を一歩入ったら、自分の子どものまわりにいる全ての子どもを育てる、これが「サポーター」。大人、保護者、全部サポーターじゃないですか。

 保護者、サポーターの力は、学校に要るんです。それは自分の子どもじゃなく、困ってる子が困らなくなる、そんな学校をつくるため。

 他の子を育てるていうても、実際どうしたらいいかわからへんやん。だから、とにかく学校に来る。来て、自分の子どもは見ない。自分の子どものまわりで「今日、誰、困ってるかな」と困ってる子を探しにみんな来ます。困ってる子の横にそっと何回かいて、顔と名前が一致したりしたら、子どもはこんなことで困ってる、助けてよとか言いますから。それがいま、これから必要なサポーターです。

 「うちの子はあの子にいじめられんねん、何とかしたいねん」というんやったら、いじめてる相手の子を育てたらええんですよ。いじめられてる子どもの母ちゃんが、いじめてるやつを育てたらいい。

 いま、いじめてる子を排除しようとしてるでしょ。排除されるこの子は、大人信じひんし、もっとややこしくなるじゃないですか。

 大空は、「自分の子どもがいじめられてんのん、この子やねん」って言ったら、「この子、育てに来いよ」っていう学校やから。この子は大人を信じてへんから、「大丈夫か、何かやることないか」って横に来てくれたサポーターに、もうほんとになんか食らいついていくんですよ。

 そうなってきたら、そのサポーターは、いじめてるあの子やと思うたけど、あの子もかわいい子や、となるんです。かわいい子やとなったら、その信頼するサポーターの子どもを、絶対いじめませんから。こんなん、当たり前の鉄則です。

 たとえば面白かったのは、前のとこから学校かわってきた母ちゃん、大空に来て自分の子がいじめられてんねんって。たまたまそのとき、まったく違うところから女の子が偶然いっしょのクラスになったんです。この子は過去の経験から、大人を誰も信用してない。親が大事にしてるような子は気に入らんから、いじめるような行為をするわけですよ。

 そのいじめられていると思っている子の親は、頼りになりそうなサポーターが大体わかるわけです。そこの家に行って、「あの子は問題児や、うちの子いじめてる。他の子もいじめるで、あんな子がおったらあかんから、学年集会開いて、あの子のことを問題にしよう」って言うわけです。

 ほんなら、大空のサポーターは「そんな言わんで、あんたも学校行って、その子の横におり」とか言うわけです。そこで「この親には頼んでも通じひん」ってなったら、また次の親のとこ行く。そこもまた通じひんから、また次の親のとこ行く。3~4人まわっていくんです。

 そのうちに言われた親たちがつながるんです。「どうしよう、次、どこどこ行くやろ。あんた、止めや」言うても止まれへん、ってなったときに、最後の手段は「校長室へ放り込もう」ってなるわけです。「後は校長、頼むで」って連絡が来る。ほな「よっしゃ、わかった」って。その母ちゃんが来るわけ。「いらっしゃい」とか言って、「あんた自分の子、育ってほしいんやろ」とかいう話をして何となく気付いていく。

 親を変えるのは校長や学校じゃないんです。親同士なんです。子どもは子ども同士。教職員は教職員同士。ここの自浄作用が育てば、住みやすい社会になるじゃないですか。

 親が学校のせいにする。先生が子どもや親のせいにする。すべて人のせいにしてるわけですよ。人のせいにしてる間、子どもは絶対救われませんからね。こういうの毎日の事実から教えてもらいました。どうしたらいい、どうする? ってみんなで言ってる間に、いろんなアイデアが生まれてきました。だからみんな、主体は自分なんです。

*参観日をやめた理由

――大前提として、大空では親がいつでも学校や教室に入れるんですね。

 学校が「参観日以外は誰も入れない」みたいなことをしてるのは、究極の目的は、文句を言われたくないからなんです。誰に文句言われるって、親と地域、一番は親です。

 大空も最初は参観日があったんです。「みんな学校つくるもんやで、あんたら自分でつくんねんで、私らも自分でつくるから。新しいタイプの学校をつくろ」なんてスタートしてんねんけど、私らやっぱり過去のしがらみ引きずってるわけですよ。それは駄目よね、って言いながら。それで参観日は当たり前のように1カ月に1回やってた。

 それがあるとき、参観終わった後、ある教室にいてて出ようと思ったら、「校長先生、出ないでおって」って言うから「何で?」って言ったら、「いまから先生怒るから、校長先生おってくれたらましやと思う」って止められたんです。「何で怒るん?」って言うたら、「いつもやったら怒ってんのに、ママたちがいてたから怒れへんかってん、ママたち帰った後怒るで」って、子ども全部お見通し。

 「わかった、おったるわな」って、先生入ってくるやろ。「いまから先生怒るから、おって言うてんねん、この子ら」って言うたら、「言うたらあかんやん」子どもらが言うて。「言うたらあかんかったん? ごめん」って、それでばれてんねんけど。

 そうなったときに「あんたら、参観日ってどんなふうに思ってる?」って言うたら、3年生の子が「おかしいで、つくる学校やのに、なんで参観日だけ見せるん」って言いはってん。その通りでしょう。「なんで参観日だけ見せるの」って。私ら、それが当たり前やってん。でもなるほど、見せてるんですよ。「どういうとこで、あんたらそう思うん?」って言ったら、すぐ3つのこと言いやった。

 1つ目は、「服着替える」。ふだんユニホームやのに、参観日だけ服を着替える。2つ目は、「いつも張らへんもん、黒板に張る」。参観日って取って付けたええ授業するやん。3つ目は、「普段言えへんことを先生が言う」。たとえばって言うたら、「まだ意見を言ってない人はいない?」とか言うねんて。いつもは意見言うてようが言うてまいが「はい、終わり」って終わるくせに、「まだ意見を言ってない人はいない?」って、先生言うやろって。

 私、この3つ実践してたから。だって、親が見に来てて1回も意見言わんと帰ったら、親、悲しいやろうなって。帰って怒られたらかわいそうやなと思うから、「ごめん、まだ手上げてへん人? まだ当たってへん人あったんちゃう?」って、私も必ず参観日言うてたから、見事にそれを言われて。

 その日子ども帰った後、職員室で「今日、こんなん言われた」って職員と雑談タイムやな。みんなが「確かに。参観は見せる。じゃあどうしょう。参観日やめよ」って、その日に参観日やめるんです。

 それから、「子どもにこんなん言われて参観日やめたから、自分の意志で来れるときに学校に来て。学校は見に来んのと違って、つくりに来るんや」ってことをスクールレターに書いて、ばーっと回覧板で発信しました。

*スクールレターが本当に届いた理由

――スクールレターというのは、どんなものですか?

 1か月に1回私が書く、学校通信です。スクールレター以外の発信はしません。保護者集会とか、ただの一度もやったことない。だって一部の人しか来ない。それが伝達ゲームするやろ。あれはだめ。

 教育委員会は「保護者集会をやれ」と何度も何度も言う。説明責任を果たせって言う。私は大間違いと思ってる。説明責任は文書で。文書はみんなが読む。読んで理解できひんかったら、直接声が届くでしょ。

 9年間包み隠さず、いいことは一切発信しなかったんです。失敗したこととか、困ってることを全部発信した。だから学校に来る目的がいっぱいあるんです。

――確かに、いいことだけ書いてあったら安心して、学校に行こうと思わないです。

 こんなことあった。子どもが顔あざだらけで学校来て、親にも私らにも「電信柱に自転車でぶつかった」って言うから、「気い付けや」って言うてたけど、違う学校の子に違う地域でぼこぼこに殴られてたんです。でもその子らが「親や学校に言うたらもっとやるぞ」って脅されて、よう言わんかった。それを地域の人がたまたま見てて、学校にすぐ言いに来てくれたんですよね。

 「それは子どもが悪いんじゃないよね、殴られた子どもに信じてもらえない私らが変わらなあかんのちゃうかな」って話を、スクールレターで発信して。もちろん名前は一切出せへんけど。

――そういうスクールレターを、町内会の回覧板でまわしていた?

 そう、地域の回覧板。読んでもらわれへんかったらあかんから、大空のスクールレターだけブルーの紙。ほかはわら半紙やから、ブルー、ぱっと見えるでしょう。会社の社長さんなんかも読んでくれて、学校へ来て「なんかやれることないか」って。企業ともつながっていきました。

 でも私、書きたいことなかったらよう書かんねん。言葉もしゃべらん。なんか書きたいことあるときは、もう書きたくて仕方がないからばーっと書いて、はよ回しや、とかって出すねんけど。書かなあかんから書くっていうのは、絶対やめようと思ってるんです。

 そうしたら一度、その社長さんが学校へ来はって、「うちは保護者ちゃうから、どうもスルーされてるみたいや」って言いに来よってん。先生たちが平謝りに謝って、「違うんです、校長が書いてないだけ」。でもありがたいでしょう、そうやって読んでくれてる。

――スクールレター、楽しみにしてくれていたんですね(笑)。

 この社長さん、すごい高級家具の会社なんですけど、ここの人たちが夏休みに「親子のものづくり教室」ってボランティアで来てくれて。それで「学校に、いま必要なん何?」って。職員室のここに戸棚が欲しい、って言ったら、取り付けの戸棚を作ってきてくれたり。スクールレターだけでつながったそういう人たちが、ずーっと自分の意志でつながっていてくれると、ウィンウィンなんですよね。

*「文句を意見に変えて」自分の学校・社会をつくる

――サポーターには「文句でなく、意見を」と伝えているそうですね。

 自分の学校つくるのに文句言うてたら、話になれへんでしょ。

 でも文句は社会を変える原動力なんです。だって、おかしいやんかと思うことっていっぱいあるじゃないですか。私ら毎日生きててテレビ見てるだけでも、よくあんなことが通るな、みたいに思うこといっぱいあるじゃないですか。「頑張ります言うて、何を頑張るか言えよ」みたいな。なんでこれをみんなが「はい」って言うやろう? みたいなことなんて、いっぱい思うでしょ。

 それを文句として言うから、対立が生まれるわけです。でも、これを意見に変えて発信する。大空は6年になったら「文句を意見に変える力」を全員が付けますから、「大人の私らも文句を意見に変えような」って。文句は誰ひとり幸せになれへんやろ、落書きと一緒やでって。でも文句は社会を変える原動力やから、「文句を意見に変えて、自分の学校をつくり」って、これを入学式で言います。

 だから「文句は言われへんもんや」と親は思うてる。でも文句を意見に変えたら、どんどん学校変えれるわけです。自分の学校やから。だって自分のものに文句言ったって始まらんでしょう。人のせいにしてるから文句って言えるけど。

 だからものすごい単純、シンプルなんですよ、「みんなの学校」って。誰でもできることなんです。

 ひとりやったらできひんだけなんです。「今のアウトやで」「いや、やり直すわ」っていう大人が続出すれば、自分だけちゃう、と思う。そういう大人を子どもが見てるから、子どもも相手のせいにせんと、やり直しに来るんです。だから人のせいにしないっていうのは、今の教育現場に一番必要なことですよね。

――PTAの問題もそうですね。

 学校の助けをするなんて、要らんから。だって対等や。サポーターも学校も対等なん。

 そもそも、「子どもを人質に取られてるから、親はあんまり文句言えない、何か言うとモンスターに思われる」って、その時点で学校が上で保護者が下でしょう。「預けます、お願いします」、そんな預けられて責任持って仕事できる学校なんて、今どこもありませんよ。でも違うよって。学校は「つくるもの」なんです。

 学校には、全ての子が育っている事実があればいいんです。ひとりの子どもが来れていない、家で苦しんでる。それがありながらPTAがただあるって、何のためのPTAや。

 「子どものため」って言いながら、平気で「子ども来れてへん」って。「子どものため」っていう言葉は、困ってる子が困らなくなったら、その子の回りの子どもはみんな困れへんから。それが「全ての子ども」なんです。子どもっていう言葉に、多くの大人はごまかしをしてる。

 PTAで「あそこの子ども来れてへんねんけど、どうしたらあの子来れるようになるかな、私ら何したらええかな」ってしゃべってるか? そうでなく、「あの先生、宿題1個も出せへんねん、言いに行こう」とか、「あそこの子暴れるから、やっぱり障害あんのちゃうの、放り出してもらおう、私ら校長室に言いに行こう」って。それはおかしいよ、って。そこを事実として、きちっと発信する言葉は必要やと思います。それ文句ちゃうから、事実やから。

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 木村泰子先生へのインタビューは、以上です。この取材に関する筆者の考察は『教職研修』(教育管理職のための総合研修誌)の連載に執筆します。