PTAで苦しむ人をなくすべく、取材や執筆を続けてきました。しかし、それは実現可能なことなのでしょうか。 

 そもそもPTAという団体は、何をするために存在しているのか? 現在、多くのPTAが行っている活動から逆算すると、PTAの存在目的は「学校のお手伝い」「保護者の学び」「保護者同士の交流」「地域との橋渡し」などといえそうですが、果たしてそれらは皆「本来の目的」といえるものなのか?

 本当はその名称のように、P(Parent)とT(Teacher)、すなわち保護者と学校が、対等に協力する場ではないのか? そんな疑問もありました。

 そこでいったん、ゼロベースで考えてみたいのです。PTAのことはいったん脇において、P(Parent)とT(Teacher)、すなわち保護者と学校の間に必要なものは何なのか? どんな関係性が必要で、それはどのように実現できるのか? ということを。

 そのため、学校現場をよく知るキーパーソンに、保護者と学校に必要な関係性について、考えを聞かせてもらうことにしました。

 初回となる今回は、映画「みんなの学校」で知られる大阪市立大空小学校の初代校長・木村泰子先生のお話をお伝えします。

*「去年やってるから、やらなあかん」が一切ない

――大空小学校は、PTAなしでスタートしたそうですね?

 いまから14年前、学校がやっと開校するとき、PTAをする人が誰もいないよっていう状態やったんですね。大きい学校が分離独立することになり、反対運動があったりして、20年間いろいろもめてきた。大空ができる地域で、PTAの役員経験者ってほとんどいなくて 「PTAをしてくれる人がいない、どうしよう?」って相談が私のところに来た。

 私は即答したんです。「やる人がいてへんかったら、必要ないんちゃう? ナシでいこう」って。答え簡単やったんですよ。だって自分たちの任意団体やから。学校にお願いされる団体と違うから。

 そうしたら、みんながキョトンとして「なくてもいいんですか?」って言うから、「なかったらあかんの?」って反対に聞いたんです。だって誰も自分からやりたいって思う人がいないのに、「PTAありき」でPTAをつくるなんて、学びの場やでナンセンスや、って。

 「じゃあいいやん、やめよ」って、なしでスタートした1年目、どれだけスリムやったか。学校の校長や教頭の仕事も、PTAとの付き合いで結構エネルギーと時間と取られてたっていうことが、ようわかったんですよ。会議のために夕方残るなんてこともないし、土日に出て行かなあかんということもない。PTAの事務で教頭が何かせなあかんことも、何にもない。「スリムやね、これ」って。

 PTAって、なかったらなかったで何とかなるんやん、ってところからスタートしたんです。何も困らなかったんです、PTAがないということ。

 そうしてる間に、秋ぐらいだったか、ひとりの母ちゃんが、「先生、子どもらのために何かやりたいねんけど、私らやっていいかな?」って、私のところへ言いに来たんです。「何で私に聞くの?」って聞いたら、「校長やから」って言う。でも、子どものために保護者がやりたいっていうことを、校長の許可をもらってやる」っていうのは、それは要らんのんちゃう?って。

 一見、学校立ててるように思うかわかれへんけど、よう考えたら「うまいこといったらいいけど、うまいこと行けへんかったら、校長先生がうんって言ったから」って責任転嫁の安心を持つだけちゃうか。それは要らんのんちゃう? って言ったら、「えっ? なんちゅうこと言うた」みたいになって。

――保護者は意識できていない点です(笑)

 あくまでも、自分たちがやりたい、じゃあやればいい。自由の裏には、必ず責任が伴うわけですよ。

 でも、うまく行けへんかったときにはすぐおいで、みんなで「よっしゃ」って行くからって。だから、やることの「お伺いを立てる」んじゃなくて、自分たちがやり始めて困ったらいくらでも私らの力を活用してくれたらいい、でも考えて決めて行動するのは、自分たちやんか、って伝えました。

 どんな形でやったらいいかな、っていうことになって、「プロジェクト制」を使ったんです。一番最初にやりやったのは、夏休みに学校でお泊まり会。防災キャンプを兼ねてやりたいって言うから、「いや面白いやん、もう存分にプランニングしい」とか言って。それで、「サマーキャンプをやろうと思う、言い出しべえは誰々、このプロジェクトに参加する人、この指止まれ」って、その人が文章書いて、私らが印刷して子どもたちに持って帰らせて。そうしたら、小さい学校やから180人ぐらいしか配れへんかったのに、10人ぐらい集まったんちゃうかな。

 集まってそのプランを立てんのが、ものすごい楽しいねんって。学校の1階にコミュニティルームってつくってあって、そこへお菓子持ってきて食べながら、みんなでばーっとアイデアを練るんです。子どもらもそこにいて、「何やるん? 何やるん?」とか言うてやってるわけです。これ大成功したんですよ。父ちゃんたちが花火したり、お化けになったり、カレー作ったり、いろんなことして。

 バザーもやってました。子ども、いっぱいモノ持ってるでしょ、自分のお年玉で買ったもんとか、要らんようになったら放っちゃうじゃないですか。それをバザーで子どもたちが出店して。値札付けやんのに、プラモデル5円とか10円とか、大事なもんやったら100円とかね。私も孫にいっぱい買って帰った。もう面白いですよ、遠足のシートを1枚敷いてそこに物置いて「いらっしゃい、いらっしゃい」とか言ってね。売り上げの1割は、場代としてプロジェクトに払えっていうルール。まさにキャリア教育ですよね。

 やりたいとか、必要やと思ったら、どんどん何か生まれていくんですよ。そういうのがなかったら、誰かがやろうと言えへんかったら、もうやらないんです。「去年やってるから、やらなあかん」という、これが一切ない。やりたい人がいなくて、子どもが「あれ面白かったのに、やりたいわ」って声出したら、「誰かする?」 とか言って親が動く、みたいな感じで1、2年目はスタートしました。

 そのうち地域の人もそこに入って「手伝うわ」みたいになって。Pと地域の人も、年齢全然違っても、何かこうつながってきて。つながると必ず意見の対立起こるんです。それが嫌やから、みんな離れていくねんけど、これって子どもと一緒やん。対立が起きたら話すればいい。話すればわかり合えるよ、って言いながら、そのプロジェクトつながりはできていって。

 2年目の終わりぐらいに、最初のやり出しべえの母ちゃんが、「先生、これってやりたいものがやろうってやってる間はいいけど、卒業したら消えていくやろ」って言ってきた。ただ、よそのPTAという組織はもう、限界が来てるっていうわけですよね。幼稚園なんかでも役員さんがいてて、何かお金も出さなあかんし、一生懸命やっても、うまいこといけへんかったら文句言われて、限界やと思うねんなって。だから、「子どものためにこれをしなければならない」ではなく、「自分たちのできることは何かっていうのを考える組織」をつくろうってことになったんです。

 この組織が「SEA」(Supporter Educator Associationの略)です。PTAではなくてSEA(読み方は「シー」)。SはSupporterのSです。PTAのPはParent、親だけでしょ。でも子どもを育てるの親だけ違うで、地域住民もいろんな大人が大空の子どもを育ててる。

 真ん中の「E」はEducatorのE。PTAのTは先生でしょう。教えんの先生だけちゃうやんな。

 大空は「ふれあい科」っていう独自の教科を、1年目から作ってたんです。いろんな外部の人が来て、社会とつながるカリキュラム。たとえば地域のじいちゃんが「座布団、回しい」とか言って、講座に来る。隣にある大阪市立大学の有名な地学の教授が「みんなの学校の地面は寒天と思う? プリンと思う?」とか言って授業に来る。子どもらだけでなく地域の人も私らも、その授業に一緒に学ぶわけです。

――面白そうです。ただ、活動を組織化すると、やりたい人がいないときに強制が起きがちでは?

 だからこの組織は、あくまでも「できるときに、できる人が、無理なく楽しく」。こんな合い言葉なんですよ。よそからいっぱい引っ越してくる学校やから、幼稚園でPTAの会長してましたみたいな母ちゃんみたいなのも来て、「役をやったら絶対休まんと、来なあかん」とか「みんながやらなあかん」とか言うわけですよ。世間を持ってくる。そのたびにやっぱり、ざわつくんです。

 でも、親だけちゃうから。SEAというのは地域でずっと関わってる人たちがいるでしょ。そういう人たちがアドバイスしますね。「それやったら、ぶっ壊してやる」とか、意地悪なことよく言いましたけど。

 あくまでもPTAってボランティアですよ。ボランティアの精神は「できるときに、できる人が、無理なく楽しく」です。その代わり、見返りを求めない、ウィンウィンです。これがギブ・アンド・テイクになるからみんなが困るんです。

 組織と組織は全て対等なんです。学校と地域の関係もウィンウィン、SEAと学校の組織の関係性もウィンウィン。ギブ・アンド・テイクは、上と下があるんです。「お願いします」「してあげましたよ」「ありがとう」でしょう。

――PTAは、お手伝いをする保護者と学校がまさにギブ・アンド・テイクの関係……。

 その発想は、過去を引きずってるからです。スマホのない時代を引きずってるということでしょう。今、こんな多様な時代になって、PTAは全く変わらずやろうとしてるところに、そもそも無理があるでしょう。思いませんか。

 PTAというネーミングは変えるべきですね。過去引きずり過ぎて。PTAっていう名前を使いながら新たに改革しようとか、子どものためのPTAをつくろうなんて、自分たちは無理やってん。オールジャパンのPTAやなくて、大空のSEAみたいに自分たちがそれぞれ独自のものをつくっていると、大事にし始めるでしょ。

*学校から頼むことは何もない

――大空のSEAには、本部役員みたいな役もあるんですか?

 SEAのメンバーは、役員っていう制度を、リーダー制にしはったんです。「リーダーになりたい人?」みたいに募って、自己申告でなるわけです。その中で、「会長ってネーミングがSEAにぴったりけえへんねん、どんな名前付けたらええかな」って相談が来たんです。「なんで私らに相談すんの? あんたら相談する相手、私らちゃうやろ」って言うたら、「子どもに聞くわ」って。

 それで「俺、リーダーやるで」っていうひとりの父ちゃんが、毎朝仕事に行く前に玄関立って、「おはよう、あんな俺な、SEAのリーダーになりたいねんけど、会長いう名前は嫌やねん。なんかええ名前ないか」とか1週間ぐらい聞いとったんちゃうかな。そうしたら子どもらが「キャプテンがいい」って。

――かっこいい。キャプテン、やってみたいです。

 かっこいいでしょう。だから、「次のキャプテン誰?」っていうと、「なりたい」って出てくるから、頼んだことないみたいやで。

 それに、やらなあかん仕事、全然ないから。やりたいことだけやっていく。学校から頼むことなんか何もないもん。

――ほんとに、何にもないんですか?

 何かあるか? 学校からPTAに何頼む?

――卒業式、入学式や運動会のときの、来賓のお茶出しとか……。

 お茶出さんといたらええねん。

――そうですね(笑)。そうすると、活動内容はどんなことを?

 それはその学校が必要なプロジェクトを立ち上げたらいい。前年度必要やったけど、今年度必要じゃないものもある。PTAの一番悪しき文化は「去年やってたからやらなあかん」、これです。

 PTAの目的は、「大人が学ぶ」ということです。そもそもPTAの組織って「子どものために」って言うてるけど、文句出てるじゃないですか。もうPTAなくしたらいいとか、なくしたらあかんとかいう議論をしてる。ということは、「子どものため」っていうお題目は、もう通用しないということです。

 じゃあPTAを存続する意味って何やねんっていうのは、学校は「人が人と学ぶ場やで」って。だから「学ぶ場に必要なものは何やろ」って考えたら、楽しい場が生まれてくるんちゃう? 

 PTAが必要か必要じゃないかという議論はナンセンス。文句を言って継続するんであれば、継続する必要がない。今の時代の学校のPTAの役割って何やねんやろうって。そもそもPTAって要るかって。これははっきり言うて、要りません。そう言うたらあかんのかな。でも過去の悪しき慣習を引きずったPTAは要らんのです。

――そう思います、変われないなら要らないです。

 過去を引きずったものをどう改革するかというのは、恐らく無理やと思います。そうじゃなくて、過去を否定するんじゃなくて今、起きてるこの状況の中でいったん過去は断捨離しようと。今、学校にとって必要な保護者の仕事は何やろうなって。そこから考え始めたらいいんちゃう? 

 事実と批判は大違い。今の日本社会って、なんか事実が言えない大人が山ほど増えてるんです。あったのに「ない」って言うわけですよ。でもあったものは、あったやろって言ったら、それは批判に取られるわけですよ、事実やのに。こんなおかしいことを子どもに見せてるわけです。だから批判じゃなくて、事実。事実を語る大人、もっと増えなあかんちゃう?

 だからPTAを批判すんのと違う。今のPTAはこういう現状がある、という事実を発信して、もう一回必要なものを生み出そう、つくり出そうって、これが一番必要なんちゃうかなと思います。絶対できるから。

――できたらいいなと思うんですが。

 うん。絶対できる。やったら楽しいし。

 何回もぶれるんですよ。大空もそうでしたよ。SEAだって言いながらも、PTAに戻るんです。何回もぶれんねんけど、でもその時に気付いた人間が、「いや、やり直ししよう、巻き戻ししよう」って。ひとりでもそのことを発信できるチームができてたら大丈夫ですよ。そういう人を排除する組織は、困ってる子は全部排除されます。

 いまのPTAは、そういうこと言えば、全部排除してるでしょう。でも、「いま、ちょっとぶれてるよ。もう一回みんなで巻き戻ししよう」って、こういう言葉を発信できる人間と、そこに気付いて学び直しをする大人、これ両者が生まれてたら、困ってる子が困らない学校って確実にできる。だって、誰のせいにもせえへん。自分の学校を自分がつくるねんもん。自分のもんやもん、何か悪い学校つくったら悔しいじゃないですか。

 だから大空の子どもたちは、自分の学校、自分でつくってるから、ものすごい大事にしますよ。平気で「校長、ぶれてる」って言いますよ。言われたら、納得します。言われるたびに、「この子、自分の学校つくってるねん。幸せ」とか思います。

 現状維持したいとか、過去を守りたいとか、自分の位置を守りたいとか、目的がぶれたときは事実を語ることをものすごく否定するじゃないですか。だから、そういう人たちがいるのが今の日本社会やから、そこで壁にぶつかるのは当たり前やし、落ち込んでても仕方がない。

(続く*掲載時期は未定)

  • この取材に関する考察を『教職研修』(教育管理職のための総合研修誌)に書く予定です