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なぜ? PTA任意にしたのに「強制に戻す」の声が上がる現場の苦悩

大塚玲子ライター
もし解散になったとしても、役員さんのせいではありません(写真:アフロ)

 加入は任意であることをはっきり保護者や教職員に伝える。入会届を整備して加入意思を確認する。クラス役員(委員)を「必ず何人出す」という縛りをなくす。活動ごとに参加者を募るーー。

 ここ数年、PTAで泣く人や苦しむ人をなくそうと、会員の意思を尊重するやり方に舵を切るPTAが増えてきました。

 そんななか、最近ときどき聞こえてくるのが「強制をやめたけれど、人が足りないから強制に戻す」という話です。本当に元に戻した、という話はまだ聞かないのですが、「このまま人が集まらなければ、戻さざるを得ない」という声は、SNS等でたまに見かけます。

 なぜ、こうなるのでしょうか。一言で言えば「みんなの頭の切り替えが追い付いていないから」ではないかな、と思います。

 仕組みを変えることももちろんとても大事ですが、同時に我々の頭のなかも変えないと、元のやり方に戻ってしまうことは避けられないでしょう。

 まず大前提として、強制ナシに人を集めるためには、一般の団体(PTA以外の団体)と同様に、“人集めの努力”が必要です。そもそも何もしないで人が集まるなら、強制などしていません。

 たとえば、活動内容や目的、集まる日時や回数をわかりやすく提示する。一回の集まりごとに人を募集する、といった人集めのくふう。

 前例踏襲だけで続いてきた活動や、負担ばかりが大きい活動をやめ、企画した本人が「これなら行きたい」と思うような活動に絞り込んで、且つその活動をアピールすることも大事でしょう。

 “人集めの努力”をするだけでは足りません。強制をやめるときには「集まった人や人数に、仕事や量を合わせる」という考え方に切り替えることも必須です。

 これまでのPTAは、先にやる仕事や量が決まっていて、それに合わせて参加者を集めていました。だから「人が足りない! 強制しなきゃ」ということになるのですが、そうではなく、「集まった人に合わせて、やることを決める」。そうすれば、人が足りないということも起きず、強制せねばという発想も出てきません。

 この発想の切り替えができないと、どうしても「強制に戻す」という話になりがちです。

*やる人が減っても役員さんのせいではない

 「過去の記憶」にも要注意です。みんなの頭のなかに「強制で、大勢でやっていた過去の残像」が色濃く残っていると、どうしても「こんなに人が減ってしまって、ヤバい!」と不安を感じ、「強制に戻さねば」と思いがちです。

 でも本当は、以前と比べる必要はないと思うのです。もし参加者が半分以下に減っても、自らやりたい人がその人数なら、「足りている」と考えられないでしょうか。

 もし「いや、どうしても、もっと参加者が必要だ」と思うなら、強制に戻すのではなく、“人集めの努力”をがんばるしかありません。

 人数が減っても、どうか役員さんは責任を感じないでください。“人集めの努力”もある程度は必要ですが、役員さんの無理のない範囲でいいと思います。それでも集まらない分は、みんな「必要ない」と思っているということ。その仕事は縮小するなり、なくすなりの方向で割り切ってはどうでしょうか。

 なかには、過去に役員や委員を経験してきた一般会員やOBなどから、「以前のやり方(強制)に戻したほうがいい」と要望されるケースもあると聞きますが、役員さんはどうか気にせず、踏みとどまってもらえたらと祈ります。

 強制をやめたところ、全体を取りまとめる本部役員の引き受け手が出ず、PTAの解散を覚悟したというケースも聞きますが、こういった場合は解散も仕方がないのでは。もし必要だと思う人が出てくれば、またなんらかの組織は立ち上がります。

 東京都には実際、PTAの廃止から9年後に「保護者の会」ができたケースもあります(東京都西東京市立けやき小)。

 役員さんは、どうか自分たちの責任を感じすぎないでください。もし強制に戻ってしまったとしても、それも、頭が追いつかなかったみんなの責任です。

ライター

主なテーマは「保護者と学校の関係(PTA等)」と「いろんな形の家族」。著書は『さよなら、理不尽PTA!』『ルポ 定形外家族』『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』ほか。共著は『子どもの人権をまもるために』など。ひとり親。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。ohj@ニフティドットコム

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