【ルポ】セブ島の児童養護施設で見た「子育て」の真髄。カリスマ数学教師「イモニイ」の教育支援同行記

Mercy Villageで授業するイモニイ(C)Kosuke Hisadomi

学校の長期休暇のたびにセブ島に通う

 むわっ。全身を生温かい湿気が包む。東京の空気との違いに、しばし細胞が戸惑うのがわかる。フィリピンのセブ島に降り立った私たち4人は、タクシーでセブシティのホテルを目指した。19時をまわっていた。

 知る人ぞ知るカリスマ教師・井本陽久(通称・イモニイ)の、セブ島での教育支援に同行した。イモニイは、神奈川県の進学校・栄光学園の数学教師でありながら、週2回は一般の中学生を対象にした学習会を開いており、毎週金曜日には児童養護施設に暮らす子供たちへの学習支援活動もしている。イモニイのそれぞれの場所での活動は、以下を参照願いたい。

●論理と答案作成は違う。幾何の教え方に革命をもたらすある数学教師の信念

●奇跡」が起こる名もない教室。超進学校のカリスマ数学教師の壮大なる実験

●児童養護施設で毎週勉強を教える有志高校生たちの活躍と、それを見守る名物教師「イモニイ」の眼差し

 イモニイはセブ島での教育支援活動を6年以上前から続けている。学校の長期休暇中にはほぼ毎回渡航し、児童養護施設や貧困地域の小学校で教える。

 栄光学園はセブ島のSacred Heart Ateneo de Cebuというセブ随一の名門私立学校と姉妹校関係にあり、生徒交流に引率したのがセブ島に通うきっかけだった。それだけであれば、よくあるエリート校同士の国際交流でしかない。しかしそこからイモニイはいくつかの児童養護施設や貧困支援プログラムに関わるようになり、そのうち現地の小学校に飛び込みで訪れていきなり授業をやらせてもらうなどして、現地の人々との関係を築いてきた。

 毎回、イモニイを慕う誰かが同行する。栄光の卒業生であったり、教師仲間であったりする。今回は、鎌倉学園の英語教師・飯塚直輝さん(通称・ナオ)と駒場東邦と京華で数学の非常勤講師をしている久富耕輔さん(通称・ドミー)がいっしょだ。イモニイの教師仲間であり、学習会「いもいも」のスタッフとしても活動する。この2人も相当に変わり者の教師たちである。

 が、実は、今回の話の主役は、イモニイではない。ナオでもドミーでもない。

セブに来ると、むしろ日本の子供が心配になる

 正月休みを利用しての3泊4日の短い滞在だった。活動できるのは中2日しかない。活動1日目は、世界各地で活動するSOS Children’s Villageという団体が運営する児童養護施設でのランチ、Mercy Villageという児童養護施設での授業、再びSOSに戻って夕食。活動2日目は、午前中にCubacub小学校で授業、午後はMaguikay小学校で授業、夕方Gawad Kalinga Village(GK)というコミュニティー訪問。訪問に当たっては、各団体と直接イモニイがコンタクトをとっている。

 イモニイはどこにいっても人気者だ。子供たちはイモニイの顔を見ると「ジャッキー・チャン!」と叫びながら集まってくる。覚えやすいように、こちらでは「ジャッキー・チャン」と名乗っている。最も頻繁に通っているSOSでは、集まってくる子供1人1人の名前をちゃんと覚えていて、「おい、もう俺より背が高くなっちゃったじゃん!」などと、親戚のおじちゃんのように話している。

Mercy Villageの広大な敷地 (C)Naoki Iizuka
Mercy Villageの広大な敷地 (C)Naoki Iizuka

 セブの児童養護施設は、SOSにしろMercy Villageにしろ、敷地が広い。SOSは一見、ヴィラ形式のリゾート村のよう。Mercy Villageは日本によくあるキャンプ場のよう。そこで畑を耕し、家畜を飼い、できるだけ自給自足で生活している。おかしな話だが、訪れると、「ああ、自然豊かでいい環境だなあ。こんなところで暮らせたらいいなあ」と思わず羨ましくなってしまうのである。

GKでの路上授業 (C)Naoki Iizuka
GKでの路上授業 (C)Naoki Iizuka

 GKは、貧困地域の人々に簡易な家を提供し、コミュニティーを形成し、貧困状態からの脱出を支援するというプロジェクトだ。日本にもかつてあった、下町の長屋暮らしに近い環境。路地は狭く、汚水が垂れ流しになっていたり、ニワトリやヤギ、野良犬などがうろついていて、決して衛生的といえる環境ではないが、それでも各家庭にはテレビも扇風機もある。大人たちはそれぞれに職を見つけ、経済的に自立しようとしている。

 また、Cubacub小学校もMaguikay小学校も比較的貧しい地域にある公立の小学校だ。給食だけが1日の食事の機会という子供たちもいる。

セブの小学校の近くには必ずといっていいほど駄菓子屋がある (C)Toshimasa Ota
セブの小学校の近くには必ずといっていいほど駄菓子屋がある (C)Toshimasa Ota

 しかしいずれの小学校にも、校門近くに駄菓子屋さんや簡易な食堂、かき氷を売る屋台などがあって、賑やか。休み時間に学校の柵の隙間から手を出して、屋台のおばさんから駄菓子を買う子供たちもいる。「毎日買えるわけではない」とは言うが、買い食いしながら下校するのが日常風景のようである。

 日本の小学校よりも自由でおおらかで、それがまた羨ましく見えてしまう。日本の一般的な家庭と比べれば、経済的には明らかに「貧しい」はずなのだが、彼らの生活からは「貧しさ」は感じられない。表情が「豊か」だからだ。

 どうやったらそんなに幸せそうに笑えるのか、日本の子供たちに教えてほしいと思ってしまう……。いや、違う。教えてもらうべきは子供たちではない。大人たちである。

 なぜ物質的には豊かであるはずの日本の子供たちが、決して物質的に恵まれているわけではないセブの子供たちよりも、浮かない顔をしているのか。責任は大人の側にある。

考えることが楽しくなってしまう体験

 Mercy Village、Cubacub小学校、Maguikay小学校の3カ所で授業を行った。授業といっても、計算ドリルをやったり数学的な技能を教えたりするのではない。その代わりに、イモニイは、ロシアの科学者が考えた「ボンガードパズル」と大量のコピー用紙の裏紙を日本から持ってきていた。

 ボンガードパズルとは、左右に分類された図形に法則性を見出し、左右の違いを言い当てるというシンプルなルールの思考力パズル。シンプルながら、答えがわかったときの爽快感がたまらない。幼児から大人まで誰でも楽しめる(以下問題サンプルはhttp://www.foundalis.com/res/diss_research.htmlより抜粋させてもらっている)。

 たとえば最も簡単なレベルのこの問題。

ボンガードパズル1
ボンガードパズル1

 「正解」は、「左側はすべて三角形で、右側はすべて四角形」である。

 次はやや難しい問題に挑戦してみてほしい。

ボンガードパズル2
ボンガードパズル2

 「正解」は、「左は点の集合が2つずつグループになっているが、右は点の集合が3つずつのグループになっている」である。

 小学校では、私たちが想定していなかった珍解答が飛び出した。下の問題を見てほしい。

ボンガードパズル3
ボンガードパズル3

 「正解」は、「左側の図はすべて三角形が弧の内側にあるが、右側は外側」だが、「左側は幸せそう、右側は悲しそう」と答えた生徒が多数いたのだ。「なるほどねぇ。この感性、面白いね」と私たちは顔を見合わせた。

Maguikay小学校での「言葉でお絵かき」 (C)Toshimasa Ota
Maguikay小学校での「言葉でお絵かき」 (C)Toshimasa Ota

 イモニイが主宰する学習会「いもいも」で定番の「言葉でお絵かき」というゲームもやった。黒板の前に生徒を一人だけ呼んできて、それ以外の生徒に「絵」を見せる。黒板の前の生徒にその絵の特徴をみんなで言葉で伝えて、黒板に「絵」のコピーが描けたら「成功」だ。

 このゲームはどこでやっても熱狂的盛り上がりになる。生徒たちは一生懸命言葉で形を伝えようとするが、表現が曖昧だったりすると黒板には間違った絵が描かれてしまう。そこで「違う!違う!」ということになり、もっと正しく伝わる方法をみんなで考えることになる。試行錯誤をするうちに、どのように伝えると、ビジュアルイメージを誤解のない言葉に置き換えることができるのかがわかってくる。論理的なコミュニケーション力が鍛えられる。

Cubacub小学校での「紙タワーづくり」(C)Toshimasa Ota
Cubacub小学校での「紙タワーづくり」(C)Toshimasa Ota

 大量のコピー用紙の裏紙は、「タワーをつくる」というアクティビティに使った。A4サイズのコピー用紙だけで、できるだけ高いタワーをつくるというミッションだ。4~5人のグループで作業する。

 試行錯誤をするうちに、紙を円柱にしたり、三角柱にしたり、コの字型に折ったりして、「柱」をつくり、その上に紙を置いて、「床」をつくり、そのくり返しで高さを出せばいいことに、ほとんどのグループが気付く。上手なグループは教室の床から天井にまで届きそうな高いタワーをつくった。

 これがイモニイの「授業」である。何かを教えたわけじゃない。ただ、考えることが楽しくなってしまう体験を提供しているのだ。

 「じっくり時間をかけて考えて、自分のやりたいようにやってみて、できたとき、子供たちは一気に伸びるんですよ」

 ここでの「伸びる」とは、思考するための「エンジン」の馬力が増すみたいなニュアンスだ。イモニイはときどきセブにやって来て、子供たちを夢中にして、エンジンをめいっぱいふかして帰っていく。

31年間で41人の子供を育てた「偉大なる母」

 今回のセブ滞在でもっとも印象的だった時間が、SOSでの「家族」団らんだ。

 SOSは、国際的な組織が運営する児童養護施設。さまざまな理由で親といっしょに暮らせない子供たちが保護され、いっしょに生活する。

 SOSの敷地は緑が豊かでまるでリゾート施設のよう (C)Toshimasa Ota
SOSの敷地は緑が豊かでまるでリゾート施設のよう (C)Toshimasa Ota

 日本の児童養護施設とは印象がだいぶ違う。広い敷地内には、南国の草花があふれている。バナナやパパイヤの木もいたるところに生えている。そんなリゾート地のような環境のなかに、12の平屋が軒を連ねている。その平屋を「ハウス」と呼ぶ。それぞれの「ハウス」に「家族」が暮らしている。

 1つのハウスに1人の「ナナイ(母親)」がいて、幼児から高校生くらいまでの子供たち7~8人を育てる。ときどき兄弟姉妹で連れてこられる子供たちもいるが、基本的にはみな血のつながらない「家族」である。

 ナナイは一生をこのハウスでの生活に捧げることを約束している。ハウスが「自宅」であり、結婚もしない。完全に「母親」なのである。老いて引退すると、近くにある「リタイヤメントハウス」で余生を過ごす。

 イモニイは、セブに来るたびにSOSの「ハウス・イレブン」に必ず立ち寄る。そこを「第二の実家」と呼ぶ。ハウス・イレブンのナナイであるディティーさんも、イモニイのことを「わが子」と呼ぶ。

 今回、ナオ、ドミー、そして私もハウス・イレブンにお邪魔した。そこでナナイが用意してくれた文字通りの「ごちそう」を、おなかいっぱいいただいた。田舎のおばあちゃんのうちにやってきて、「ほら、遠くから来て、おなかすいたでしょ。田舎の食べ物しかないけれど、たくさん召し上がりなさい」と言われているような、ほっこりした気分になる。

 壁にはハウス・イレブンを巣立っていった子供たちの写真が飾られている。生活費は、子供1人につき1日50ペソ(約85円)。その「家計」のなかでやりくりし、ナナイはハウス・イレブンで、31年間にわたって41人の子供たちを育て上げてきた。

 この日はイモニイに会うために、すでに自立して暮らすマージョリーも「実家」に遊びに来ている。ナナイのごちそうに負けじと、あま~いラザニアとケーキを焼いてくれた。

 マージョリーはとにかく明るい。常に冗談を言って踊って、みんなを笑わせる。調子に乗りすぎるマージョリーを見て、ナナイはときどき「いいかげんになさい」というような表情をするが、そのすぐ次の瞬間には思わずほほをゆるめている。マージョリーは生まれてすぐ病いにかかり、親が養育をあきらめてしまい、死ぬ寸前だったところを保護され、ナナイに育てられた。

 マージョリーは、ナナイと、ハウス・イレブンと、自分の人生に誇りを抱いている。胸を張ってこう言う。

 「ナナイは厳しかったわ。でもそれは、私たちのことを思ってくれているからだということが痛いほどわかっていた。だから私はナナイの言うことをちゃんと守って、ちゃんと勉強して、大学まで行って、幼稚園の先生になることができた。お金を貯めて、いずれ海外で働きたいと思ってるのよ。でもナナイが『まだ早い』と言って、許してくれないの(笑)。ナナイのおかげで、ハウス・イレブンの子供たちはみんな立派に育って、みんな成功しているわ」

 マージョリーの話から、「経済的に自立して、人生を前向きに生きることができているのなら、人生は成功だ」というシンプルな原則が見えてくる。大学までしっかり勉強することは大事だが、どこの大学を出たとか、どんな職業に就いているかとかはどうでもいい。ナナイはそんなことを子供たちに求めなかった。

 みんながしんみりしていると、マージョリーは「弟」のラスティーに話題をふる。

 「私は大学を出るまでは異性にうつつを抜かすことなく勉強しなさいとナナイに言われてそれを守って生きてきた。それなのに、ラスティーは、いまカノジョのことばっかり。早くわかれなさい!」とわざと大げさにプンプンしてみせる。

 いつもマージョリーからおもちゃのようにいじられるモレスくん、さりげない気遣いのできる心優しいジョエルくん、寡黙な二枚目のルイージくんも、私たちとともに食卓を囲んだ。

 ナオが男の子たちに聞いた。「みんな幸せ?」。全員が「YES」と即答する。続いて「なんで? どんなときに幸せだと思うの?」と理由を尋ねると、みんなはキョトンとした。質問が意味を成さないのだろう。理由なんてないのだ。

 おそらく彼らは「~だから幸せ」「~を持っているから幸せ」という「条件付きの幸せ」を感じているのではなく、いまある人生そのものに「無条件の幸せ」を感じている。それ以上の幸せがあるだろうか。子供たちにそう思ってもらえるのなら、子育ては大成功であろう。

 食卓が温かかった。どこからどう見ても、「本当の家族」だ。本当の家族のように見えるんじゃない。本当に疑いなく「本当の家族」なのだ。

ハウス・イレブンでの家族団らん (C)Naoki Iizuka
ハウス・イレブンでの家族団らん (C)Naoki Iizuka

 「理想の家族」といってもいい。まるでどこか懐かしいホームドラマを見ているよう。「こんな温かい家庭を築けたら幸せだよな」と、おそらく誰もが思う食卓の風景なのだ。「かわいそう」とか「貧しい」とか「悲しい」とかいう言葉を寄せ付けない強力なオーラが、ハウス・イレブンを包んでいた。

 そのオーラの発生源が、ナナイであることは間違いなかった。

ナナイが明かす「子育て」の真髄

 ナナイは物静か。眼差しは菩薩のよう。子供たちのはじけるような笑顔に応じてときどき見せる微笑みが、じわりと温かい。日本の昭和の母親と父親の両方の風格を兼ね備えたような佇まいである。ときどき鋭い視線で、しかしとても静かな声で、子供たちを注意する。

 「モレス、なんでご飯を食べないの。ハウス・イレブンではダイエットは禁止でしょ。もっと食べなさい。アイ・ラブ・ユー」

 すると年頃の子供も、言われた通り、食べる。

 子供たちがナナイの昔話を始めると、いっしょに笑って、最後に一言。

 「アイ・ラブ・ユー」

 マージョリーが茶化すように言う。

 「ナナイは、アイ・ラブ・ユーが口癖だから(笑)」

 それを聞いたナナイが微笑む。

 「アイ・ラブ・ユー」

 取材活動のなかで、私が卓越した教育者に出会ったときに共通して感じるのと同じ、悲痛なほどの「覚悟」が、彼女の全身からビリビリと伝わってくる。私は完全に心を打たれていた。ほかの3人も同様だった。

中央がハウス・イレブンのナナイであるディティーさん (C)Kosuke Hisadomi
中央がハウス・イレブンのナナイであるディティーさん (C)Kosuke Hisadomi

 実はナナイ、大病を患っている。パーキンソン病。脳の異常のため、少しずつ体が思うように動かせなくなる病いだ。日本では難病指定されている。2018年に病気がわかり、ナナイを引退することになった。今回イモニイのために、ハウス・イレブンの家族が集合したが、実は、すでにハウス・イレブンは解散し、別のハウスでバラバラに暮らしている。ナナイは早期退職手続きをとり、リタイヤメントハウスで暮らすことになっている。

 2019年の末には60歳を迎える。みんなで盛大にお祝いをするから、私たちにも来てほしいとマージョリーが訴える。私は日本の「還暦」のしきたりをみんなに教えた。「日本では60歳で人生が一周して、赤ちゃんに戻るといわれています。だから真っ赤な服を着て、みんなでお祝いするんです」。面白い風習だと、ナナイもマージョリーも喜んでいた。

 「そうか! ナナイの面倒を私たちが見る番ということね。まかしといて!」

 さすがマージョリー、理解が早い。

 東大に子供を何人入れようが、オリンピック選手を育てようが、その家でどのような子育てをしていたかということには私は興味がない。よその家庭でまねたって、同じ「成果」が得られるわけがないからだ。

 しかしいま、31年間にわたって女手一つで41人の子供たちを育てた「偉大なる母」が目の前にいる。彼女に育てられた子供たちの個性はそれぞれだし、社会での活躍の仕方もそれぞれだが、血のつながった兄弟姉妹以上に共通した雰囲気をもっている。明るさ、優しさ、まじめさ、前向きさのようなものだ。

 彼女の「母親」としての姿勢には、普遍性があるように思われた。私は普段の取材ではしない質問をした。

 「ハウス・イレブンの子供たちはみんな、とびきりいい子です。あなたは30年以上にわたって、こんな素敵な子供たちを41人も育ててきました。驚くべきことです。どうしたらこんな子供たちが育つんですか? 子育てで最も大事なことは何ですか?」

 ナナイは私をまっすぐ見据えてまずこう言った。

 「Love and care(愛して、心をかける)」

 わずかな迷いやためらいもなく続ける。

 「Take care of the children with love. Unconditional love. Try to understand them with care. Sacrifice myself to the children. (愛をもって子供たちと関わる。それも無条件の愛で。深く彼らを理解しようとする。子供たちにすべてを捧げるつもりで)」

 ナナイの静かな声に、ときおりマージョリーのおしゃべりがかぶり、部分的に聞き取れなかったのだが、おそらくこのような主旨のことを語ってくれていた。

 言葉としてはシンプルで、ありふれている。フィリピン人の大半はカトリック教徒であり、カトリックっぽいフレーズといってもいい。しかし言葉の重みが違う。「愛とは何か」「子供を深く理解するとはどういうことか」「自分を捧げるとはどういう意味か」……本当の意味を理解している親は多くはないはずだ。

 私は「子育てで最も大事なことは何ですか?」と尋ねた。しかし返ってきたのはさらに大きな「問い」だった。

 ただしこれだけはわかった。ハウス・イレブンで育った、まったく異なる個性をもちそれをそれぞれに発揮している子供たちが共通して醸し出しているものの正体は、「私は愛に包まれている」という安心感だった。

食後の「ボンガードパズル大会」 (C)Toshimasa Ota
食後の「ボンガードパズル大会」 (C)Toshimasa Ota

 食事を終えると、イモニイが、「ボンガードパズル」を取り出した。食卓が教室に変わる。例題をいくつか見せると、子供たちはすぐにルールを理解した。「数学は大嫌い」というマージョリーも、最初の数問を正解すると、調子づいてきた。

 兄弟で競い合うように問題を解いていく。イモニイに○をもらうと、マージョリーとモレスは飛び跳ねながら喜ぶ。ナナイはそれを満足げに眺めていた。

 「また来なさい。あなたたちはもう私の子供よ」

 ナナイが私たちに言ってくれた。

 「ハグをしてもいいですか?」

 私は聞いた。

 ナナイは私をハグしてくれた。母のぬくもりを感じた。

セブと日本の違いは何か?

 日本で見た児童養護施設の雰囲気とはまるで違った。子供たちの様子も全然違った。日本の児童養護施設では、ちょっと扱い方を間違えるだけで壊れてしまいそうな繊細さを感じさせる子供が多く、イモニイが用意した課題に取り組むことすら怖がる子供たちが少なくない。しかしセブの施設の子供たちは、人生に対して前向きな態度をもっていて、イモニイが用意した課題に意欲的に取り組む。この違いはどこからくるのか。そのことをイモニイに聞いてみた。

 「そうなんですよ。親と暮らせないという点では同じなのに、なぜこんなに雰囲気が違うのか。僕も不思議に思ったんです。同じ条件でも、セブでは子供たちがもっと明るくて生きる力に満ちている。もちろん施設の運営面での違いは大きいのですが、きっとそれだけではありません。子供の安心感が違うんじゃないかと思ったんです。安心感があるのとないのとでは、学びに対する意欲がこうも違ってしまうものなのかと気付いたんです。そこから、僕の授業の組み立て方や子供たちとの接し方も方針が定まったような気がします。そういった意味では、ハウス・イレブンが、僕のいまの教育的スタンスの原点だったかもしれないですね」

 栄光学園での授業、学習会「いもいも」での授業、日本の児童養護施設での学習支援の様子など、イモニイの子供に対する接し方を間近で見てきた私には腑に落ちる説明だった。

 念のために補足をしておくと、イモニイがここで言う「安心感」とは、「親」から与えられる安心感だけのことではない。その点では日本の児童養護施設の職員だって、最大限のことをしている。しかしそれ以上に、社会の空気がとげとげしい。

 「親がいない子は不幸」「お金がないのは不幸」という一方的な価値観で、「スタンダード」な家庭像から外れた暮らしをしている子供たちを、無邪気な哀れみの目で見てしまう社会的風潮が、子供たちの自己像を傷つけている可能性がある。私はそう思う。

 その点、セブでは貧困が身近にある。「経済的に恵まれない状態」にあるだけで、そのひとの生き方がダメだとか不幸だとか決めつけない。見下さない。むしろ助け合って生きていく文化が残っている。だから、施設の子供たちが差別を受けることがない。東京都の一等地で、児童相談所を含む施設の建設反対運動が起きたのとは対照的な状況だ。

 ただし、日本において心配なのは、児童養護施設の子供たちだけではない。血のつながった親元で、「愛情」を十分に与えてもらいながら物質的には何不自由なく暮らしているはずの子供たちも同様である。

ハウス・イレブンの「兄弟」たち (C)Kosuke Hisadomi
ハウス・イレブンの「兄弟」たち (C)Kosuke Hisadomi

 セブで今回私たちが出会った子供たちよりも、日本の多くの子供たちのほうが、緊張していて、不安げで、落ち着きがないように感じられる。いわゆる「いい学校」に通っていても、そういう子は少なくない。その差は何か……。

 冒頭で述べたように、今回の話の主役はイモニイではない。これは、偉大なるナナイの話である。そして、以下が、ナナイから宿題として渡された「ボンガードパズル」ということになる。みんなで知恵を出し合って、解いていかなければならない。それが大人の責任だ。

【左右の違いは何か?】

●セブの児童養護施設←→日本の児童養護施設

●セブの小学校←→日本の小学校

●ハウス・イレブン←→日本の家族

●ナナイと子供たち←→血のつながった親子

●セブの子供たち←→日本の子供たち

●ナナイ←→日本の親

セブで受け取った大きな「問い」

 ホテルに帰ってから、私たち4人はナナイの言葉を反芻した。

 「愛とか理解とか、言葉としては、『そうだよな』と思えるけど、本当に子供を愛するとか、本当に子供を理解するってどういうことなのかは、実はわかっていないケースが多いんじゃないですかね。日本の親たちだって、子供を愛していることは間違いないんですよ。でも、親の身勝手な愛を与えるとか、親の価値観で理解するとかになりがち……」

 「深く理解するというのは、もちろん言いなりになるという意味ではなくて、ただ話を聞いてあげるということでもなくて、子供の置かれた状況や子供自身が自覚できていない心の葛藤なんかまでをも含めて、いまその子のなかに何が起きているのかをつぶさに受け止めるということですよね」

 「Sacrifice(犠牲)という言葉を使ってましたけれど……」

 「カトリックの神父さんがSacrificeという言葉をポジティブな意味で使っているのを何度か聞いたことがあります。決して『自分を殺す』というようなネガティブな意味じゃないんですよね。どちらかというと神聖な仕事に全身全霊で取り組むみたいなニュアンスだと思います」

 「そして、大事なのが、『与える』んじゃなくて、『心をかける』って感覚ですよね。常に子供のそばにいて、気持ちに寄り添いながら見守るみたいなことですよね」

 「お米とかジュースとかの差し入れを持っていきましたけど、むしろ今日なんて、ナナイの愛に包まれて、こっちがもっとたくさんの宝物を分けてもらっちゃったわけですよね。ナナイは僕らに心をかけてくれて、愛してくれた。それが伝わってきて、純粋にうれしかった」

 「『教育支援に行く』と言いながら、多くを学んだのは私たちのほうでしたね」

 「僕は、物質的に豊かであるというだけで、自分たちのほうが恵まれていて幸せで、すなわち『上の立場』なんだと錯覚していました。でもむしろ逆でした。何かを与えようと思っていた自分自身の気持ちのほうが、実は、貧しかった……。猛烈に反省です」

 「そうなんだよなぁ。だって、億万長者のIT社長みたいなひとがさ、オレたちに『君たち年収が少なくてかわいそうだね。お金わけてあげようか』と言ってきたら『いやいや大丈夫ですから』って思うでしょ。それと同じだよね」

 「ナナイのスタンスもきっとそうなんですよね。『この子たちには足りないものが多いからたくさん与えてあげよう』ではなくて、『あなたたちはそのままですでに愛されるべき存在なんだ』ということを、常に言葉やそれ以外の方法で伝えているんですよね」

 「あなたは○○ができるからすごいとか、テストで何点取ったから自慢だとか、ひとに優しくできたから偉いとか、そういうことではなくて、無条件の愛ですね」

 「ナナイは子供を注意しても、そのまま続けて『アイ・ラブ・ユー』って言うからね」

 「無条件の愛という概念を理解すること自体が、普通のひとにはなかなか難しい。ナナイは30年以上ナナイをやってきたから、いまや達人の域にいるけれど、たぶんナナイだって最初はうまくできなかったんじゃないかなって思うんです。でもだんだんとそれができるようになるっていうのが、親としての成長なんだと思うんですよね」

 「ナナイが言っているのは結局、子供という存在のすべてをありのままに受け入れるという、たったそれだけのことなんですよね、きっと。頭では理解できても、実際にはなかなかできないことなんだけど……」

 イモニイがしみじみとつぶやいた。 

 「オレたちは、勝手に子育てや教育を複雑にしているんだな。それで子供たちに窮屈な思いをさせてしまっているのかもしれない」

 イモニイが引いた補助線のおかげで、私たちが解くべき「真の問い」が鮮やかに浮かび上がった。

 <私たちはなぜ複雑にしてしまうのか?>

 このシンプルだがとてつもない難問に挑もうとする仲間が、いま実はイモニイのまわりに続々と集結している。ナオとドミーだけではないのだ。私がこの媒体で過去に書いた記事がきっかけで仲間に加わったひとたちもいる。

 お互いを認め合って力を合わせ時間をかければ、どんな難問も必ず解けるということを、イモニイたちはこれから証明してみせるはずだ。私も微力ながら、協力していきたいと思っている。

ハウス・イレブンの居間にて。右上(水色のシャツ)が久富耕輔さん、右下(黄色のTシャツ)が飯塚直輝さん (C)Toshimasa Ota
ハウス・イレブンの居間にて。右上(水色のシャツ)が久富耕輔さん、右下(黄色のTシャツ)が飯塚直輝さん (C)Toshimasa Ota