「東大女子」のジレンマと「男」のプライドの奇妙な関係

喜びと希望に満ちた合格発表(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

東大女子の約7割は東大男子と結婚している

 そもそも「東大女子」という言葉が存在すること自体が世の中の矛盾を表しており、これを死語にできれば、この社会の閉塞感を打ち破れるのではないか。

 拙著『ルポ東大女子』(幻冬舎新書、2018年3月29日発売)のために取材した東大女子および東大OBの証言をもとに、性差別と過度な学歴主義の融合によってもたらされる強力な葛藤を、あえてステレオタイプ化して以下にまとめてみる。

 「女の子なんだからそこそこの大学でいいんじゃない?」「下手に東大なんて出てしまうと結婚できなくなるよ」という偏見に根ざしたアドバイスをなんとかかわし、東大受験を決心する。地道な努力の末に東大合格を手にする。

 東大の中では約2割しかいないマイノリティ。学内ではそれなりにモテるがインカレサークルには入れない。競争意識が強くプライドが高い男子を前にして、余計な摩擦を避けるためわざとできないふりをすることもある。

 就活では一般的な有名大学の男子とほぼ対等に戦うことができるようになった。逆に、かつての一般職のような条件付きの社員としての就職はまず選ばない。そこが同じく高学歴といわれる早稲田や慶應の女子とはちょっと違う。

 医師や弁護士などの士業や出版などの一部の業界では女性差別を感じることはいまではだいぶ減ったようだが、大手商社や金融、製造業といった旧態依然とした日本の大企業にはまだまだ男社会の文化が根強い。男性に最適化された環境は、女性が成長したり評価されたりするには不利だ。結果、女性は男性の後塵を拝すことになる。

 そうならないためには、女性であるという特異性を前向きにとらえて発揮するしかない。

 これまで特段意識してこなかった「女であること」を、男性社会に入ったからこそ意識しなければいけなくなるのだ。

 結婚に関しては、東大女子にも上昇婚志向が根強い。自分よりも優秀な男性と結婚したいと願うのだ。しかし東大よりも高い学歴というのは基本的に国内にはない。東大女子の学歴上昇婚は現実的に不可能なので、結果的に学歴同等婚となる。すなわち東大婚である。

 さつき会(東大女子の同窓会)のデータによれば、東大以外の男性と結婚した会員の割合は30.1%。約7割が東大男子と結婚している。ちなみに会員全体で未婚率は19.8%。2005年度国勢調査での女性の生涯未婚率は7.3%、男性は16.0%。「東大女子だって結婚できる」は本当だとしても、割合としてみると、東大女子の未婚率は一般女性の3倍近くと明らかに高い。パートナーの経済力に頼らなくても自立できてしまうことも理由の一つだろう。

 東大婚であれば、夫婦いずれも高収入。仕事のやりがいも大きければ責任も重い。東大生に顕著な負けず嫌いの傾向ゆえ、社内の出世競争でも妥協しない。東大男子である夫はもちろん、東大女子の妻も、いわゆる旧来の「男並み」に働く。

東大女子は最も幅広い選択肢をもったひとたち

 DINKS(子供がいない共働き夫婦)でいるときには問題がない。夫婦ともに家にいる時間が少ないので、家事は最低限でいいからだ。しかし、子供ができると強い夫婦間葛藤が生じる。夫婦がともに旧来の「男並み」に働いていたら、どうやりくりしても子育てをするマンパワーが足りなくなるからだ。

 高度成長期あるいはその後のバブル景気のころに至るまで、深夜残業も休日出勤もいとわずバリバリ働くモーレツ社員がそれでも健康を保ち子供をもうけることができたのは、家事や育児をすべてやってくれる専業主婦がいたからだ。

 東大婚夫婦の場合、高い確率で夫婦のどちらもやりがいと責任のある仕事を任されており、夫婦どちらも出世競争から降りたくないケースが少なくない。

妊娠・出産・育児を機にとり得る選択肢は当然ながら以下の3つ。(1)夫に専業主夫になってもらう、(2)自ら専業主婦になる、(3)夫婦で仕事とのバランスを取りながら育児をこなす。

 夫婦が納得して(1)か(2)を選ぶなら大きな葛藤は避けられる。家庭における役割分担が良くも悪くもはっきりするからだ。(3)を選ぶ場合、どのように夫婦の負担のバランスを取るのかは、その後十数年の2人の子育てライフについて回る問題となる。そして実際にはその負担が、やはり女性側に偏るケースが圧倒的に多い。子育ては女性がしたほうがいいという思い込みが、社会全体にも、夫にも、そして妻自身の中にも根強くあるからだ。

 そしてこれこそが、同じ東大生であっても、東大女子には専業主婦になるという選択肢があるのに、東大男子には専業主夫になる選択肢が現実的にはないという非対称性をもたらす。だから先述(1)は極めてレアケースなのである。

 翻って世の中全体を見てみると、専業主婦になることが許されるのは女性であってもごく一部しかいない。1人の稼ぎで家族全員を養うのが難しくなっており、経済的な必要に迫られて共働きせざるを得ない家庭が大半なのだ。その点、東大男子は1人の稼ぎで家族全員を養うことができる経済力をもち得る数少ないひとたちである。

 つまり東大女子は、医師、弁護士、官僚、一流企業の社員としてバリバリ働くこともできるし、身近にいくらでもいる東大男子と結婚すれば、専業主婦になることもできる。日本社会において最も幅広い選択肢をもったひとたちであるといっていい。

世帯収入と自分の出世、どちらを優先すべきか?

 幸い2000年代以降、育休制度のような支援制度は増えている。しかしそういう制度を利用して子育てに十分な時間をかける役割が女性側に偏れば偏るほど、雇用する側は女性を雇用することのリスクを大きく見積もることになる。結果的に男女差別的風潮に拍車がかかるという皮肉が起こる。

 いくら協力的な夫だとしても、男性中心文化の強い旧態依然とした日本の大企業で露骨な出世競争の渦中にいながらできることは限られている。企業戦士の名が表す通り、彼らは常に戦場にいるかのごとき緊張感とストレスにさらされているからだ。そして東大男子はそういう職場に就職する確率が非常に高く、負けず嫌いの傾向も強い。出世競争のトップ集団に最後まで残る可能性が高く、家のことを顧みる余裕は少ない。

 結局妻が、マミートラック的な仕事にやりがいを感じられず、会社からの評価に納得できず、仕事と家庭の両立にも疲弊し、せっかく東大を出て一流企業に勤めたというのにその職を辞するに至るケースがあるのは不思議ではない。

 同じ東大を出たのに夫だけ仕事で自己実現を継続し、自分はそれを半ばあきらめる。そこに理不尽を強く感じる場合があることも想像に難くない。

 その点、収まりがいいのが、東大よりも偏差値の低い大学出身の女性である。夫婦間の収入差は歴然なので、子育て期間中にどちらが仕事をセーブするのが合理的か判断がしやすく、葛藤は生じにくい。

 そのような女子と結婚した東大男子は、家のことはすべて妻に任せて自分は仕事だけに集中できる。一方自己実現志向の強い東大女子を妻にもつ東大男子は、自分も家のことをしなければいけなくなる。それが円環的に仕事に好影響を与えることは十分に考えられるが、短期的に見れば、出世競争において不利に働く可能性は高い。世帯収入については共働きの東大婚夫婦のほうがおそらく圧倒的に大きくなるが、東大男子が自分の自己実現欲求を満たすことを優先するのであれば、東大女子以外を選んだほうが合理的だということになる。

 そこは東大男子の人生観が決定的に問われるところといえる。

 逆に言えば、妻のキャリアを犠牲にしてでも自分の男としての価値を証明したいと躍起になってしまう男性が依然多いのは、 「男なら、ひとりで家族を養えるくらい稼げないと……、仕事でそれくらいの成果を出さないと……」という社会的圧力が根強いからである。

女性から見た学歴・収入「下降婚」は可能か?

 自らの妥協なき自己実現やキャリア形成を前提とするならば、東大男子とまったく同じ戦略をとるという方法がある。すなわち下降婚である。つまり東大女子が、自分よりも偏差値の低い大学を出た男性あるいは自分よりも収入が低い男性と結婚するという方法だ。

 それで相手の男性が育休を取ってくれたり、時短勤務をしてくれたり、専業主夫になってくれたりすることに納得してくれれば、理論上は東大女子が東大男子とまったく同じ条件で自己実現したり職場での出世競争に残り続けたりすることができる。おそらく東大男子を夫にするよりはその可能性は高まる。

 勉強が苦手で一流企業に就職もできなかったけれど、家族の幸せを大切に思う気持ちは人一倍強いという男性が、医師や弁護士、官僚、一流企業の社員として働く東大女子と結婚すれば、利害はぴったり一致するのだ。

 高学歴を武器に高収入を手に入れた女性が、そうでない男性と利害が一致して結婚するケースが増えれば、現在問題になっている低所得男性の未婚率の改善が期待できる。低所得者同士で結婚して貧困が次世代に連鎖する傾向を緩和することもできる。そして東大女子の未婚率も下がる。

 一方で、自己実現欲求の強い東大女子と結婚すると男性側がキャリアを犠牲にしなければならなくなるケースが増えるということが世間に広まれば、東大女子とは結婚しないほうがいいという風評が広まりかねない。そうなると「女の子は下手に東大なんて行かないほうがいい」という言説に加担することにもなりかねない。

 ジレンマである。

 このジレンマを解消することができるのは実は東大女子自身でなく、男性だ。

妻の自己実現や世帯収入よりも自分の自己実現や出世欲を優先するのが当たり前だという考えを手放すことができる男性が増えなければ、このジレンマは解消しない。当然東大女子の側にも、出身大学の偏差値や収入で男性を見下さない価値観が必要であるのだが。

 そうなれば男性も、大学を卒業したら定年まで約40年間、嫌なことも我慢して家族のために会社に滅私奉公しなければならないという生き方から解放される。男性が、これまで勝手に抱え込みすぎて実は重く感じていたものを「手放す」ことが、男女双方にとって選択肢を広げることになるのだ。

 つまり、女性を旧来の「男並み」に働けるようにするよりも、男性を旧来の「女並み」に近づけるほうが合理的で手っ取り早い。男性が女性に近づけば、自ずと女性が男性に近づく余地が生まれるはずだ。

※拙著『ルポ東大女子』(2018年3月29日、幻冬舎)より一部を抜粋、再編集して掲載しています。