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反町隆史・卒『相棒』 シーズン20を迎えた異例の刑事ドラマ 4つの長寿の理由

太田省一社会学者
(写真:イメージマート)

 今日3月23日の放送回をもって、反町隆史がドラマ『相棒』(テレビ朝日系)を卒業する。反町が演じる警視庁特命係の刑事・冠城亘は、水谷豊演じる主人公・杉下右京の4代目の相棒。これまでで最も長く組んだ相棒だった。また今期は、『相棒』自体が「season20」という大きな節目でもあった。刑事ドラマの歴史のなかでも、まれにみる息の長さである。なぜ、『相棒』はここまでの長寿番組になれたのか? その理由を改めて探ってみたい。

『相棒』は究極の「警察ドラマ」

 いまやドラマの定番中の定番となった刑事もの。現在の刑事ドラマの原点と言えるのが、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系、1972年放送開始)だろう。ちなみに水谷豊は、記念すべき第1話に犯人役として出演している。

 その『太陽にほえろ!』を徹底的に分析し、「新しい刑事ドラマ」をつくろうとしたのが、脚本家の君塚良一だった。取材も重ねた結果、君塚は、「刑事もサラリーマンである」というコンセプトを思いつく(君塚良一『テレビ大捜査線』)。刑事は決して無敵のヒーローではなく、警察という組織のなかの一員にすぎない。

 こうして生まれたのが、『踊る大捜査線』(フジテレビ系、1997年放送開始)だった。織田裕二演じる青島俊作は、刑事ドラマに憧れ、脱サラして刑事になる。警察も一般企業と変わらないという現実を知る青島だったが、本庁と所轄の厳然とした上下関係などに苦悩しつつ、それでも自らの正義を貫こうとする。「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」という有名なセリフは、その象徴だ。

 『相棒』は、その流れを受け継いだ、ある意味究極の「警察ドラマ」である。これほど、警視庁や警察庁の幹部たちが登場する刑事ドラマもあまりないだろう。

 たとえば、岸部一徳が演じる小野田官房長は、その代表だ。小野田は、右京のかつての上司。そのときの出来事が原因で、右京は特命係に“島流し”になった。組織にとっての正義を重んじる小野田と自分自身の正義を貫く右京は、基本的に相容れない。だが一方でお互いの実力を認め、阿吽の呼吸で協力することもある。その一筋縄ではいかない関係性には、警察ドラマとしての『相棒』の魅力が詰まっている。

 小野田は、映画版の2作目で命を落とす。ところが、今期の第3話のラストシーンでは、右京が小野田にそっくりの男性(演じるのは岸部一徳本人)とすれ違い、思わず「官房長」と声をかける場面があった。右京と小野田のストーリーがまだなんらかの形で続くことを予感させる場面だった。

特色ある「バディもの」としての『相棒』

 『太陽にほえろ!』には青春ドラマの一面もあり、萩原健一が演じたマカロニなど新米刑事の成長がストーリーの軸になっていた。そしてそんな青春ドラマ的要素を強調する定番の設定が、「バディもの」である。個性の違う2人の刑事がコンビを組み、時に反発し合いながらも、さまざまな事件に遭遇するなかで人間的に成長していく。松田優作と中村雅俊がバディだった『俺たちの勲章』(日本テレビ系、1975年放送)など昔からあるが、いまもバディものは多い。

 もちろん『相棒』も、文字通りのバディものである。これまで、初代の亀山薫(寺脇康文)、2代目の神戸尊(及川光博)、3代目の甲斐享(成宮寛貴)、そして冠城亘が、杉下右京とバディを組んできた。それぞれ相棒となる経緯も違えば、右京との距離感も異なる。そこに醸し出される組み合わせの妙も、見どころである。

 ただ『相棒』は、バディものとしては独特な面もある。バディものでは2人の友情や絆が描かれることが多いが、右京と相棒の場合は上司と部下の関係でもあるため、簡単には2人の距離は接近しない。だがそれゆえに、2人の熱い絆が見えたときは、いっそう印象に残る。今期の第19話でも、冠城亘にかけられたパパ活疑惑に、杉下右京が「ほっとけませんよ、相棒が不名誉なパパ活疑惑をかけられているのですから」と感情あらわに語る場面があった。

 つまり、杉下右京も本質的には青臭い。そしてその根底には、変わらない正義への熱い思いがある。右京は、自分の理想とする正義を決して曲げることはない。だから、警察という組織のなかでは浮かざるを得ない。しかし、右京は、たとえどのような仕打ちを受けようとも、相棒とともに真相を突き止めることをあきらめない。

「キャラ立ち」の魅力

 そんな杉下右京は、刑事ドラマが生み出した最大のキャラクターのひとりであり、その「キャラ立ち」ぶりもまた、『相棒』が長寿シリーズになった大きな理由だろう。1960年代から第一線で活躍を続ける水谷豊という稀有な俳優の魅力が、そこに寄与していることはいうまでもない。

 杉下右京は、東大法学部を首席で卒業したキャリア警察官というエリートでありながら、警察組織からはみ出してばかりのアウトサイダーという対照的な顔を併せ持つ。

 それだけではない。右京は、シャーロック・ホームズばりの博覧強記と鋭い推理力で難事件を解決する。歯に衣着せぬ語り口やどこかとっつきにくい変人的な部分もまた、ホームズのようだ。紅茶への偏愛や落語好きなど、マニアックで多趣味な部分もある。

 このような右京の多面性に呼応するように、『相棒』の世界の登場人物たちの「キャラ立ち」もまた際立っている。

 たとえば、伊丹憲一(川原和久)をはじめとする捜査一課の面々は、捜査権のない特命係と反目しながらも、犯人逮捕という共通の目的のためにひとつのチームになる瞬間もある大切な仲間だ。その一方で、ホームズにモリアーティがいたように、右京に頭脳戦を挑むシリアルキラーの存在も、『相棒』に本格推理の面白さを加えるものだ。

 また、杉下右京と趣味つながりの登場人物もいる。たとえば、落語好きという共通点があるのが、かつての鑑識係・米沢守(六角精児)だ。現在は警察学校の教官となっている米沢だが、今期の第17話で久々に登場してファンを喜ばせた。

 ほかにも個性的なキャラクターが数多く登場し、ドラマに彩りを添える。その分、毎回の話のテイストも幅広い。国家や政治家の思惑が絡む壮大なスケールの回もあれば、しみじみとする人情劇のような回、ちょっとコミカルな味わいの回もある。それを支えるのが、複数の脚本家による執筆体制だ。今期で言うと、全20話を12人もの脚本家で分担している。だからこそ、『相棒』の基本的世界観は保ちつつも、これだけ作風のバリエーションが生まれるというわけだ。

「時代」と向き合ってきた『相棒』

 最後になるが、『相棒』と時代の関係にもふれておきたい。『相棒』ほど、世の中の動きを敏感に受け止め、メッセージを投げかけてきた刑事ドラマも珍しい。

 『相棒』がスタートしたのは、21世紀になろうとする2000年。それはちょうど、日本社会の変わり目だった。不況やそれに伴う就職難などにより格差が拡大し、「勝ち組」「負け組」といった表現も生まれた。当然、若者の生きる不安は増大した。職も住むところも失い、周囲から孤立したひとりの若者が社会によって追い詰められていく姿を克明に描いて大きな反響を呼んだ「ボーダーライン」(「season9」第8話、2010年放送)は、そうした時代背景を踏まえたものだ。

 社会のシビアな現実を突きつけるこうしたタイプの話は、いわゆる娯楽作品とは対極にあるものに思える。なかには、わざわざドラマで辛い現実を見たくないという視聴者もいるだろう。しかし、こうした社会的テーマを扱うことで、他の刑事ドラマとは一線を画す深みが『相棒』に生まれているのもまた、紛れもない事実だ。

 バリエーション豊かな作風で私たちを楽しませてくれる一方で、社会を直視するエピソードが深い余韻を残す。その点、『相棒』というドラマは、エンタメと社会派のすぐれたハイブリッドと言える。誰が5代目の相棒役になるのかも大いに楽しみだが、これからの『相棒』が、時代と向き合うエンタメ作品としてどう進化していくのかにもぜひ注目したい。

社会学者

社会学者、文筆家。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本社会の関係が研究および著述のメインテーマ。それを踏まえ、現在はテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、歌番組、ドラマなどについて執筆活動を続けている。著書として、『水谷豊論』(青土社)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『テレビ社会ニッポン』(せりか書房)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『中居正広という生き方』『木村拓哉という生き方』(いずれも青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩書房)などがある。

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