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活動休止前最後の『紅白』、嵐がともに歩んだ「苦難」の時代とは

太田省一社会学者
(写真:アフロ)

 昨年末、嵐が活動休止前最後となる『NHK紅白歌合戦』(以下、『紅白』と表記)に出演した。当日はライブ『This is 嵐 LIVE 2020.12.31』の生配信と時間が重なったため、中継での出演。「カイト」「君のうた」「Happiness」の3曲メドレーを披露した。これでいったん『紅白』に区切りをつけることになった嵐だが、その歴史をこの機会に振り返ってみたい。『紅白』とは嵐にとって、そしてジャニーズにとってどのようなものだったのだろうか? 

いつも“合唱”の中心にいた嵐

 『紅白』の嵐で思い出されるのは、いつも“合唱”の中心にいたということだ。

 嵐の初出場は2009年の第60回の『紅白』。デビュー10周年の節目の年だった。すでに国民的アイドルであった彼らは、いきなり「A・RA・SHI」「Love so sweet」「Happiness」「Believe」のスペシャルメドレーを披露している。その後2020年まで12回連続出場。トリを4度(大トリは3度)務め、史上初のグループでの司会も2010年から5年連続で担当した。ほかにも2015年には映画『スター・ウォーズ』とのコラボで話題になるなど、まさに『紅白』を支える大黒柱的存在であった。

 そんな嵐は、特別企画でも中心だった。

 「ふるさと」は、2010年『紅白』の企画「僕たちのふるさとニッポン」のためのオリジナル曲として制作された楽曲だった。このときも、嵐を中心に合唱している。

 だが2011年に東日本大震災が発生したことで、この曲はより大きな意味合いを持つものになった。同年の『紅白』では、被災したが修理によって復活したピアノを櫻井翔が演奏し、嵐など出場歌手が同曲を合唱。以降も、嵐と小学生による合唱などがあった。

 2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けた「NHK2020ソング」として制作された「カイト」は、2019年の『紅白』で嵐によって初披露された。作詞・作曲の米津玄師と嵐の対談、そして新しくなった国立競技場から嵐が歌う姿は、いまも記憶に新しい。

 ところが、2020年に入ってのコロナ禍によって状況は一変した。東京オリンピック・パラリンピックも延期になった。それでも冒頭に書いたように、活動休止前最後となる2020年の『紅白』で、嵐は「カイト」を歌った。ここでもサビの部分では、視聴者から寄せられた歌唱動画との合唱があった。

 このように、嵐が出場した2009年から2020年は、『紅白』にとっても日本社会にとっても予期せぬ出来事の連続だった。大きな災害やコロナ禍、それに伴うイベントの中止や延期が相次ぎ、『紅白』も日本社会も苦難の時代だった。

 それは、嵐にとっても同じだっただろう。おそらく本来であれば、活動休止前の予定された活動をすべて行い、最後を中継ではなく『紅白』のステージで迎えることもあり得たはずだ。だがコロナ禍によってそれは不可能になった。それだけに、「カイト」の歌の途中で「叶わなかった夢も、嵐の21年の歴史の一部です」と語った二宮和也、そして「嵐が去った後に虹のかかった美しい空がどうか皆さんの前に広がりますように」と語った松本潤など5人の言葉には、万感の思いがこもっていた。

ジャニーズ『紅白』ヒストリー~SMAPから嵐へ

 嵐が出場したこの10年余りは、ジャニーズが『紅白』での存在感をいっそう増した時期でもある。2020年の『紅白』では、ジャニーズの出場は当初7組。その後Snow Manがメンバーの新型コロナ感染によって残念ながら辞退となったため、6組となった。

 ジャニーズと『紅白』の歴史は長い。初めてジャニーズ勢が『紅白』に出場したのは、1965年の初代ジャニーズ。その後現在に至るまで、数々のジャニーズアイドルが番組を彩ってきた。

 ただ、あえて分ければ、ジャニーズと『紅白』の歴史はSMAP以前と以後に区切ることができるだろう。

 SMAPの初出場は、デビューした1991年。1980年代までのジャニーズは、『紅白』での存在感は比較的薄かった。歌う順番で見ても前半のトップかそれに近い順番がほとんどで、後半に歌うことはむしろ珍しかった。爆発的ブームを巻き起こした光GENJIが1988年に初出場した際には「ガラスの十代」などの4曲メドレーという当時としては破格の扱いだったが、歌った順番は白組のトップバッターだった。

 その流れを変えたのが、SMAPである。当初は彼らも前半に歌っていたが、1996年には「SHAKE」で後半に、1998年の「夜空ノムコウ」では白組の最後から3番目と序列を上げていき、そしてついに2003年に「世界に一つだけの花」で初のトリ(大トリ)となった。その間、中居正広が1997年に史上最年少で白組司会を務めるなど、SMAPはまさに『紅白』の顔になっていく。

 一方1994年以来、恒例のカウントダウンライブとの兼ね合いもあって、ジャニーズからの出場は基本的にSMAPとTOKIOの2組のみという時期が続いていた。その構図が変わり、ジャニーズの存在感がぐんと高まり始めたのが、嵐の初出場した2009年からである。この年はNYC boysも初出場で、ジャニーズは計4組。さらに嵐が初のトリを飾った2014年にはV6の初出場など計6組となり、当時の史上最多記録となった。

『紅白』の嵐が示した“ジャニーズらしさ”

 そもそも嵐は、1990年代後半の「ジャニーズJr.黄金期」の中心メンバーによって結成されたグループ。CDデビュー前のジャニーズJr.が爆発的ブームを巻き起こしたこの黄金期は、いわば現在のジャニーズ隆盛の原点と言える。その世代からの最初の出場組となった嵐は、いわば『紅白』における“ジャニーズらしさ”の象徴でもあった。

 たとえば、2014年初のトリの際には「感謝カンゲキ雨嵐」と「GUTS!」のメドレーを歌ったが、そのなかでフライング、早着替えを披露して客席を沸かせた。

 フライングや早着替えは、ジャニーズの舞台ではおなじみの演出でもある。その意味では、この演出には「ジャニーズここにあり」というアピールの意味合いもあったと言える。“ジャニーズらしさ”を背負った嵐が、ジャニーズ伝統の演出で初のトリのステージを飾ったのは、ある意味必然であった。

 またライブなどで常に最新の技術やアイデアを取り入れ、観客を飽きさせないことに全力を挙げるのがジャニーズ、そして嵐のエンタメ哲学である。松本潤の発案による嵐ライブでの「ムービングステージ」と呼ばれる可動式ステージは有名だ。それゆえ『紅白』でも嵐は、プロジェクションマッピングやAR(拡張現実)など最新テクノロジーを駆使したステージ演出で毎年のように私たちを驚かせ、楽しませてきた。

これからのジャニーズと『紅白』はどうなる?

 こうしたジャニーズエンタメのエッセンスは、2020年の初出場組にも受け継がれている。

 天童よしみの歌のときにジャニーズJr.の少年忍者が披露した腹筋太鼓はジャニーズの舞台『滝沢歌舞伎』でおなじみの演目であり、元々はSnow Manが披露する予定だった。また初出場のSixTONESが「Imitation Rain」を歌った際には、ステージの色彩がプロジェクションマッピングによる演出で自在に変わるなど、楽曲の世界観が見事に表現されていた。

 嵐の活動休止の年に初出場となったSixTONESの世代は、Snowmanも含め近年ジャニーズが積極的に展開し始めているネット進出の中心でもある。海外での活動も視野に入れたこの世代が、今後『紅白』をどのように担い、さらに『紅白』を変えていくのか、目が離せない。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

社会学者

社会学者、文筆家。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本社会の関係が研究および著述のメインテーマ。それを踏まえ、現在はテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、歌番組、ドラマなどについて執筆活動を続けている。著書として、『水谷豊論』(青土社)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『テレビ社会ニッポン』(せりか書房)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『中居正広という生き方』『木村拓哉という生き方』(いずれも青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩書房)などがある。

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