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落雷を受けた国宝・犬山城。現地取材で分かった意外な事実

大竹敏之名古屋ネタライター
落雷で鯱一体が破損してしまった犬山城。天守閣への入場禁止の措置が取られたが・・・

落雷で天守閣の鯱が半壊!

国宝・犬山城(愛知県犬山市)の天守閣の鯱(しゃちほこ)に雷が落ちて半壊―! そんな文字通り電撃的なニュースが飛び込んできたのは7月12日のことでした。

被害を受けた鯱は天守閣北側の一体。尾びれの部分がそっくり欠けてしまい、割れた瓦の一部は地上に落ちているのが見つかりました。避雷針もぐにゃりと曲がっていて、ここに雷が直撃した衝撃で鯱も壊れてしまった模様。破損の原因が落雷であることはほぼ間違いないようです。

日本最古の天守として大人気。10年余りで来場者は2・5倍に

犬山城は現存する木造天守閣では日本最古ともいわれ、観光都市・犬山の押しも押されもせぬシンボルです。近年は人気がうなぎ上りで、10年連続入城者増を続けて2016年は過去最高の54万5322人。今年は1~6月で既に29万人を突破し、さらに記録更新する勢いです。2003年には20万人を割り込んでいたといいますから、10年余りで2・5倍以上にも飛躍的にアップしているのです。しかし、今回の事故によって天守閣への入城は当面禁止と発表され、観光客への影響も心配されます。

入城再開の目途は? 鯱以外の部分は大丈夫? 気になって、早速現地を訪れてみることにしました。

入口には「天守内への登閣は不可とさせていただきます」の貼り紙が
入口には「天守内への登閣は不可とさせていただきます」の貼り紙が

訪れたのは事故の2日後の14日。平日の上、午前中に周辺で集中豪雨があったこともあって人影はまばら。入城門付近には「天守内への登閣は不可とさせていただいております」との案内書きが貼り出されていました。それでも天守閣前の広場までは無料で入ることができ、天守閣をバックに記念撮影する観光客の姿は何組もありました。ちなみに破損した鯱は北側で、表門から入るとちょうど裏側にあたり、通常のルートで城を望む際には見た目にも影響はありません。変わらぬ雄姿にまずはほっとひと息です。

入城禁止の解除はいつ? 意外な答えが・・・!

築約480年の歴史を誇る天守閣。高さ19mと小ぶりだが端正で美しい
築約480年の歴史を誇る天守閣。高さ19mと小ぶりだが端正で美しい

それにしても、鯱の修復が完了するまで中へ入れないとなると果たして何カ月かかるのか? ガイドスタッフに声をかけるとこんな答えが返ってきました。

「安全が確認できたら登閣禁止は解除されるはず。明日か明後日にも入れるかもしれませんよ」

えっ、そんなに早く? それはひと安心。後ほど観光協会にも問い合わせたところ、解除の日にちはまだ未確定ですが(14日18時現在)、できるだけ早く登閣再開する意向であるのは確かとのことでした。いずれにしても、鯱が元通りになるまで何カ月も天守閣へ入れない、なんて事態は避けられそうです。また、壊れた鯱は昭和39年に作られたもの。今回の事故は、犬山城の歴史的価値が損なわれるものではないようです。

ちなみに破損した鯱は、北側の木曽川沿いからだとはっきりと見られます(トップ画像参照)。車で行く場合はカーナビで名鉄犬山ホテルを目的地にすればちょうど北側からアプローチでき、また正門方向からも徒歩で6~7分で木曽川沿いへ出ることができます。これはこれで貴重な姿なので、見ておくのもいいでしょう。

※追記=7月16日より無事、登閣再開されることが発表されました。破損した鯱の破片の一部の展示もあるそうです。

平成までお殿様がいた(!)ミステリーに包まれた犬山城の魅力

思わぬピンチに見舞われた犬山城。愛知県のシンボルであるこの名城を応援する意味もこめて、あらためてその魅力を紹介したいと思います。

中日本の21城を巡る「日本どまんなかお城スタンプラリー」も開催中
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犬山城は、国内にわずか12か所しかない江戸時代までに建てられた現存天守閣のひとつで、国宝5城のひとつ(他は松本城、彦根城、姫路城、松江城)。しかもその中でも最古とされ、正確な築城年も分かっていません。1537(天文6)年に織田信長の叔父・信康が造営したと伝えられますが、それを記した文献は見つかっていません。1617年に尾張徳川家の付家老・成瀬正成が城主となりますが、それまでの約80年間は城主が目まぐるしく替わり、史料が満足に残っていないのです。

最古の城にして、最も近年まで“お殿様”がいた城だったのも面白いところ。明治維新後、政府にいったんは接収されますが、20年後に再び成瀬家に譲与されます。これは極めて異例の措置で、幕末の動乱期に成瀬家が官軍側についたのが理由との見方もありますが真相は判然としません。以後、100年以上にわたって成瀬家が城主を務め、財団法人に移管されたのは2004年のこと。平成の世になるまで個人所有の城だったのです。

筆者は以前、財団法人白帝文庫理事長で、本来なら13代城主に就くはずだった成瀬淳子さんにお話を聞く機会がありました。城主の座から下りるのはさぞや無念だったに違いない、と思いきや、「城を手放すのは成瀬家の長年の悲願で、ようやく肩の荷がおりました」とほっとした表情でおっしゃるではないですか。国宝を個人で管理するのは財政的にも精神的にも大変な負担だったそうで、にもかかわらず城主でい続けなければならなかったのは何と主君の意向だったとか。「尾張様(尾張徳川家)が“ひとつくらい個人所有の城があっても面白いじゃないか”とおっしゃったんです」(成瀬さん)。軽い調子の言葉だったそうですが、主君の意に背くことはできないと城を守り続けてきたといいますから、まさに武士の鑑です。

犬山城は長い歴史を持つと同時に、こうしたミステリアスな謎やユニークなエピソードを数多く持つ魅力あふれる史跡なのです。

城下町の再生も来場者アップの大きな要因。犬山城へは名鉄で名古屋から約30分
城下町の再生も来場者アップの大きな要因。犬山城へは名鉄で名古屋から約30分

天守閣だけでなく、城下町の活気も近年観光客が急増している大きな要因です。町家を活かした店や施設が数多く軒を連ね、グルメや買い物の立ち寄りスポットにも事欠きません。さらに国宝茶室如庵のある「日本庭園有楽苑」、ユネスコ無形文化遺産に登録された犬山祭の活気を体感できるミュージアム「どんでん館」、からくり人形の実演や制作風景を見られる「からくり展示館」などもあり、1日、歴史体験を楽しめます。

「天守閣に登れないらしいから・・・」なんて早合点して行くのを躊躇したりせず、足を運んでみることをお薦めします。

名古屋ネタライター

名古屋在住のフリーライター。名古屋メシと中日ドラゴンズをこよなく愛する。最新刊は『間違いだらけの名古屋めし』。2017年発行の『なごやじまん』は、当サイトに寄稿した「なぜ週刊ポスト『名古屋ぎらい』特集は組まれたのか?」をきっかけに書籍化したもの。著書は他に『サンデージャーナルのデータで解析!名古屋・愛知』『名古屋の酒場』『名古屋の喫茶店 完全版』『名古屋めし』『名古屋メン』『名古屋の商店街』『東海の和菓子名店』等がある。コンクリート造型師、浅野祥雲の研究をライフワークとし、“日本唯一の浅野祥雲研究家”を自称。作品の修復活動も主宰する。『コンクリート魂 浅野祥雲大全』はその研究の集大成的1冊。

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