6月に退任するBリーグ大河チェアマン 知られざる功績と地方への献身

(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

就任から5年で退任

5月26日、Bリーグの大河正明チェアマンが退任を表明した。日本バスケが5年間の激動を乗り切った功労者の一人だ。

チェアマン(公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ代表理事CEO)の任期は2年で、大河チェアマンは2019年7月から3期目に入っていた。任期半ば、なおかつ新型コロナウィルス問題への対応が進行している時期の辞任は率直に言って異例だ。とはいえBリーグは島田慎二・新チェアマン(現時点では内定/就任は7月1日)の下で、次のステージへと向かうことになる。

大河チェアマンが激動の5年間で、どのような貢献をしたのかーー。彼が果たした役割を改めて振り返りたい。

日本バスケットボール協会(JBA)が14年11月に受けた国際資格停止処分は、国際バスケットボール連盟(FIBA)による究極の圧力だった。FIBAは文部科学省やJOCと歩調を合わせ、圧力を背景に分立していたトップリーグの統合を図った。オリンピック・パラリンピックの東京開催が13年9月に決定し、そこに向けた地ならしという意味合いもあったはずだ。

新リーグ立ち上げの実務を担う

バスケ界は15年春にそれまでの体制をリセットし、川淵三郎・Jリーグ初代チェアマンがJBA会長に就く体制となった。16年秋の開幕に向けて、新プロリーグの設立と制度設計、カテゴリー分けが一気に進められていた。

JBA改革とBリーグ設立は、川淵三郎という強烈なリーダーが旗を振って成功した革命だ。ただしフランス革命やロシア革命を見ても、歴史を見れば大切なのは革命が成就した「その後」だ。新体制が樹立されても一件落着とはならず、主導権争いや現実との乖離が起こる。飛躍の度合いが強ければ実務の難易度は上がる。バスケ界において理想と現実のすり合わせを粘り強く行った能吏が大河だった。

彼は15年春にサッカー界から移ってきた。洛星中、洛星高バスケットボール部に所属し、中学時代は全国4強も経験している「バスケ人」ではある。しかしバスケ業界とは無縁で、元々は銀行の行員。10年にJリーグへ転職したキャリアを持っていた。そんな男が協会の専務理事と新リーグのチェアマンを任され、手腕を振るうことになる。26日の記者会見で、任期中の苦労を問われた彼はこう答えていた。

「良くも悪くも一番印象に残っているのは開幕戦です。売上の見込がゼロ、従業員もゼロで15年4月にBリーグが発足しています。1年半後と期限が区切られていました。(協会の)専務理事も兼ねていたので、開幕までの1年半は殺人的でしたし、よく身体が持ったなと思っています」

取り組んだB2の経営改善

16年6月に大河はJBAの常勤を外れ、Bリーグに軸足を移す。川淵会長(当時)はチェアマン候補として様々な人材と接触したが、最終的には大河体制で落ち着いた。

Bリーグは華やかに立ち上げられたが、大河のハードスケジュールはその後も続いていた。B1は千葉ジェッツを筆頭にトップクラブが順調な成長を遂げ、「夢のアリーナ」も各地で実現された。ただし立ち上げ当初はB2クラブが成長から取り残されていた。鹿児島レブナイズ(現B3)のように早々から存続の危機に見舞われたクラブもある。当時は債務超過状態、発足から一度も黒字を計上していないクラブがザラだった。

B1にはマーケット環境の変化により、自力で飛躍したクラブがいくつもあった。一方で成功体験のない、歯車が噛み合っていない小クラブを引き上げる作業は容易でない。大河は財務に明るく、加えてJリーグ時代にライセンス制度の導入に尽力した経験を持っている。その専門性はB2の経営改善で活かされた。

Bクラブの債務超過解消にメド

スポンサー、株主からの資金注入に頼った自転車操業の経営では、計画的な投資も不可能だ。また経営者は債務保証を背負い、自己破産と背中合わせで経営に挑むことになる。債務保証を負っている経営者は「辞めたくても辞めさせてもらえない」状況に追い込まれ、そうなればクラブの変革も進まない。

黒字化、債務超過解消は集客とスポンサーセールスが前提で、要は収入を増やすしかない。その前段階として「予算を立て、収入と支出を把握しコントロールする経営体制」の確立が必須となる。

18年6月期の段階で、B1は全クラブが債務超過を解消した。一方でB2は7クラブが債務超過を解消できていなかった。大河チェアマンとリーグスタッフはそんなクラブと地道に向き合い、小クラブを自立に導いた。債務超過状態が続く最後の2クラブはバンビシャス奈良と福島ファイヤーボンズだったが、相次いで上場企業がオーナーに入った。両クラブとも20-21シーズンのB2ライセンスを交付されている。

20年6月期の決算については、新型コロナの影響で債務超過状態に戻るクラブが出る可能性が高い。ただ債務超過でも資金繰りが持てば当座はしのげる。各クラブの経営改善が遅れていれば、この6月期を乗り越えられないクラブも出ていただろう。どんぶり勘定からの脱却と資本政策は華やかさのない、地味なアクションかもしれない。しかしBリーグの未来にとっては大切な「体幹強化」だった。

欠かさなかった地方との向き合い

大河チェアマンは退任会見で「どちらかと言えばバランス型」と自分のスタイルについて述べていた。彼は一流選手だったわけではないし、周囲を陶酔させるカリスマ性の持ち主でもない。どちらかと言えば地味なイメージを持たれていたのではないだろうか。

一方で彼は粘り強さ、信頼性が際立っていた。なかなか表面には出ないがBリーグの経営者、地方協会の幹部は中央への不満を少なからず抱えている。トップがどんなに立派な計画を立ててもそれを実行するのは末端。成功するならともかく、頓挫したアイディアやプロジェクトに振り回される側はたまらない。

大河チェアマンは徹底的に地方と向き合い、彼らの声に耳を傾けた。19年2月22日の夜に、筆者は前橋で群馬クレインサンダーズの試合を取材した。その会場にはチェアマンが来場していた。19-20シーズンのライセンス判定に向けた大詰めの時期で、当時の群馬は債務超過状態にあった。

加えて日本代表もワールドカップ中国大会に向けた勝負の時期だった。翌々日の24日夜にカタールでアジア最終予選が組まれていて、これを見るには23日深夜の便で日本を発たなければ間に合わない。筆者は当日入りを選択したが、大半のメディアや関係者は既にカタール入りしていた。

チェアマンに予定を尋ねると「23日は石川に移動してミーティングをして、18時からは金沢武士団の試合を視察する。すぐタクシーで小松空港に移動して羽田経由でカタールに向かう」という驚きの答えが返ってきた。つまり23日もフル稼働して、全く休まず夜行のフライトでカタールに向かうという意味だ。

厚かった地方からの信望

B1、B2は合計36クラブで、準会員を含めれば向き合う相手は40クラブを超える。彼は毎週末、必ず各クラブの試合会場を訪れていた。現場をその目で確かめて、トップやスタッフとコミュニケーションを取っていた。365日に渡ってバスケと関わる現場マニアだった。

しかも難題に直面しても放り出さず、改善策を探り、結果が出るまで向き合った。言葉に行動が伴っていた。大河チェアマンはそんな姿勢から個性派が揃うバスケ界の「地方豪族」からも信任が厚かった。他競技から乗り込んだ「外様」の中で、彼ほどバスケ界に溶け込み、受け入れられた人材は他にいない。

62歳の大河には当然、次の舞台があるだろう。理想を実現するための地固め、地方の信頼関係構築といった手腕は、他競技でも必要とされるに違いない。調整型リーダーは過小評価をされることが多い。しかし主張が強い一国一城の主が多いスポーツ界にあって、彼のような粘り強さ、バランス感覚は希少にして不可欠な要素だった。