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「ISO14000」について語れる男 Bリーグ川崎・新指揮官のユニークな経歴

大島和人スポーツライター
佐藤賢次・新ヘッドコーチ(左)と北卓也・新GM(右):筆者撮影

地区優勝、四強進出を逃した川崎

プロバスケBリーグの川崎ブレイブサンダースは17日、川崎市内で「ヘッドコーチ退任および就任記者会見」を行った。佐藤賢次・新ヘッドコーチ(監督)の就任は8日に発表されていたが、席上では北卓也・前ヘッドコーチのゼネラルマネージャー就任も公表された。

川崎は旧リーグ時代から日本を代表する強豪として鳴らし、Bリーグ初年度の2016-17シーズンにも準優勝。今季はニック・ファジーカスの日本国籍取得もあり、優勝候補の一角と見なされていた。しかし中地区の優勝争いで新潟アルビレックスBBに遅れを取り、地区2位で出場したチャンピオンシップも栃木ブレックスに連敗を喫している。

2018-19シーズンからはクラブのオーナー(筆頭株主)が東芝からDeNAに変わり、経営体制も刷新された。地域へ根ざすという部分では成果を出し、21%の大幅な観客増を達成。新アリーナ建設についてもとどろきアリーナよりも好アクセスの建設地を絞り込んでおり、飛躍に向けた足場固めは進んでいる。一方でクラブはコート内の変革に向けても、舵を切ろうとしている。

北卓也・前ヘッドコーチがGMに就任

元沢伸夫社長はヘッドコーチ交代の経緯をこう説明する。

「今シーズンの成績に関しては、大変重く受け止めています。ホーム最終節の新潟戦で2連敗した夜に、北さんから辞任したいと連絡をもらいました。北さんほどの人なので決意は固いだろうと思い、引き止めはしませんでした。70周年を迎えるクラブの素晴らしいところは引き継いでいくつもりですが、それだけでは優勝できない。小手先の改善ではなく大きな変革が必要という認識を、北さんと話す中で感じました。歴史を継承しながら大きな変革をするのは言うは易しで大変難しいミッションです。しかしそれをやってくれるだろうと期待して佐藤賢次さんにオファーし、快諾をしてもらいました」

北氏のGM就任についてはこう述べる。

「(クラブの)代表としてやらせてもらうにあたって、ヘッドコーチをサポートする存在、中長期的にチーム編成を考えられる存在、クラブ経営全般を分かった上でチーム作りを支える存在が必要だと痛感しました。私の方からヘッドコーチ退任後に何度も強く就任のお願いをして、最終的に北さんから快諾をしていただきました」

北・新GMは東芝時代から通算して選手13年、アシスタントコーチ3年、ヘッドコーチ8年と計24シーズンにわたってコートに立ってきた。ヘッドコーチ時代から選手編成などでも手腕を発揮しており、GM就任は自然な流れだ。

佐藤氏が満を持して新指揮官に

北・新GMはヘッドコーチの交代についてこう説明する。

「いつ変わってもいい準備はしていました。僕はもう8年やっていますので、ちょっと長いなとも感じていました。賢次も8シーズン、アシスタントコーチをやっています。もう一つ上に上げるタイミングはいつかなと思っていました。心配なくバトンタッチができます。敢えて“ケンジ”と言いますけれど、賢次の強みは準備をすごくやることーー。色んな情報を集め、色んな提案もしてきます」

佐藤・新ヘッドコーチは1979年12月14生まれの39歳。現役時代はポイントガードで洛南高、青山学院大と名門チームを経て、2002年に東芝(現川崎ブレイブサンダース)へ入社した。2011年からはチームのアシスタントコーチを任され、2014年から16年まで長谷川健志ヘッドコーチの元で日本代表のアシスタントコーチも兼任していた。強豪クラブのヘッドコーチを担う「準備」は済ませている。

東芝入社は「ポッと拾ってもらった」

ただバスケ界のエリートコースを歩んできたように思える佐藤だが、東芝入社からのプロセスは波乱に富んでいる。

彼はこう振り返る。

「大学1、2年ではあまり活躍していなくて、3年で少し試合に出て、4年でバーッと活躍できた」

バスケ部はあってもトップリーグではない企業へ入社が決まっていた彼だが、4年秋のリーグ戦でMVPに輝いたこともあり、長谷川健志監督(当時)の後押しも得て4年の秋に急転直下で東芝入りを決めた。

佐藤は続ける。

「他の内定が決まっていたんですけれど、東芝にポッと拾ってもらった。恩しかないです」

大学のゼミで「環境会計」を研究テーマにしていた佐藤は、東芝でも環境に関係する部門に配属されていた。当時の東芝バスケ部は8時半から12時まで仕事に励み、午後から練習という環境。佐藤はコーチ就任で異動するまで9年間、事業所の環境報告書作りに励んでいた。「ISO14000」について話を振っても、バスケと同じくらいの濃さで説明できるはずだ。

39歳の指揮官就任はプロ野球などの感覚だと早く感じるかもしれないが、Bリーグの中では決して若手でない。

千葉ジェッツの大野篤史氏は1977年8月生まれの41歳。栃木ブレックスの安齋竜三氏は1980年12月生まれの38歳。琉球ゴールデンキングスの佐々宜央氏は1984年5月生まれの35歳。Bリーグの「四強」に残った日本人ヘッドコーチを見れば一目瞭然だろう。

コーチ就任も想定外

佐藤は同世代のヘッドコーチ陣に比べるとクールなタイプに見える。ただ飄々とした語り口の中でもユーモアがあり、緻密で、話の整理整頓も巧みだ。17日の会見でも「キーワードは2つ」「3つのミッション」と前置きをして、話の大枠を提示するプレゼンが印象的だった。伝えることを絞る、整理する習慣は社業を通して身につけたものかもしれない。

2011年、東日本大震災でリーグが中止となったオフに、佐藤は選手を引退した。彼は経緯をこう説明する。

「その年は選手として活躍して一番楽しかったんですけど、北さんに『アシスタントコーチをやれ』と。何があっても口説くからって言われました(笑)。3日くらいで『やらせていただきます』と返事をしました」

大学で競技から一線を引くつもりだった青年が、土壇場で強豪チームに採用される。先輩からの“ゴリ押し”で就いたコーチ業で力量を評価されて、ヘッドコーチに就く。人生の不思議な巡り合わせを感じる佐藤のキャリアだ。

彼は言う。

「ここでやらせてもらえることに感謝して、毎日毎日一生懸命やっていたら、こういう感じになっています」

Bリーグはコート内外で今も激しい変化が起こっている。経営者もコーチも若手の押し上げが進んでいる。そしてキャリアの紆余曲折を糧にした人材の台頭が目立つ。そんな日本バスケの流れを象徴するような、名門クラブの指揮官交代劇だった。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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