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高校サッカー、平成の激変を振り返る -Jリーグと共にすべてが変わった30年-

大島和人スポーツライター
島原商、国見で6度の選手権制覇を果たしている小嶺忠敏監督(長崎総科大附)(写真:アフロスポーツ)

「昔に比べたら楽ですよ」と口にする名将

このまま行けば今年の4月30日に「平成」が終わる。サッカー界にとって、平成は激変の30年間だった。ジャパンサッカーリーグ(JSL)がJリーグに変わり、完全なプロリーグ、メジャースポーツとして独り立ちしたのは1993年(平成5年)のこと。高校サッカーもそこから大きく変化した。

今年度の第97回全国高校サッカー選手権を取材していて、ハッとするコメントがあった。言葉を発したのは長崎総合科学大学附属の小嶺忠敏監督。島原商業、国見を率いて計6度の選手権制覇を達成しているレジェンド指揮官だ。

彼は1月2日の2回戦で浜松開誠館戦に勝利したあと、記者から中0日で3回戦を迎える“強行日程”への対応について質問を受けた。

73歳の名伯楽はこう語り始めた。

「昔に比べたら楽ですよ。1日に開会して2日3日4日にやって、5日に休んで、6日7日8日ですからね。休みがあるだけで幸せです」

選手権は長らく「正月(天皇杯の前座)に開会式」「2日の1回戦から3連戦」「1日インターバルを挟んで6日の準々決勝から3連戦」の日程で試合を組んでいた。それが第73回大会(1994年度)から「12月30日開会式」「12月31日1回戦」に変わった。

さらに第81回大会(2002年度)からは準決勝が1月の第2度土曜、決勝戦が成人の日に移された。成人の日が1月15日から「1月第2月曜」に移り、ラグビー協会が国立競技場を“開けた”ことによるスライドだ。これにより競技日程はさらに緩和された。

育成年代の安全やコンディション維持を社会が厳しく問い、強行日程への問題意識が高まったのも、平成に入ってからの話。また今の選手は選手権の1回戦から「青芝」の上でプレーしているが、ダブルシーディングの手法と年間を通した常緑化がゴルフ場以外で一般化したのもJリーグ開幕後だ。ユーミンが『ノーサイド』で歌っているように、フットボールはビッグゲームも枯芝の上で行っていた。今は高校サッカーの「当たり前」が大きく変わった。

名将、名門が支配した平成前半の選手権

平成のチャンピオン第一号は第67回大会(1988年度)を制した清水商業(現清水桜が丘)だ。もっともこの大会が開幕した時点の年号は「昭和」で、また昭和天皇の崩御により1月7日の準決勝は2日順延になっている。

1月8日に年号が「平成」と改まり、10日の決勝戦では清水商業が市立船橋を下した。当時の高校サッカーは静岡の全盛時代で、清水商業も藤田俊哉、名波浩、山田隆裕ら後の日本代表を擁するタレント軍団だった。対戦相手の市立船橋には後に芸能界で活躍する脇田寧人、中川秀樹がいた。

平成の前半は「名将」「名門校」の重みを感じる時代だった。2002年度(平成14年度)で「前後半」を割ると国見は前半15大会で4回優勝している。他に市立船橋が3回、清水商業と東福岡が2回ずつ制していて、優勝校が固まっていた。

清水商業は第72回大会(1993年度)のメンバーも強烈だった。GK川口能活、CB田中誠は後の日本代表選手だし、他にも佐藤由紀彦、安永聡太郎など多士済々。レギュラークラスのほぼ全員が高卒、大卒後にJリーガーになっている。(※決勝の先発メンバーでプロ入りしていないのは一人だけ。ケガで欠場した清水龍蔵もプロ入りしている)

市立船橋はFW北嶋秀朗が1年生だった第73回大会(1994年度)、3年生だった第75回大会(1996年度)を制している。北嶋は3大会連続で出場し、選手権通算16得点を挙げる活躍を見せた。現在J3ザスパクサツ群馬で指揮を執る布啓一郎監督のチーム作りは堅く、2003年12月には天皇杯で横浜F・マリノスを相手にPK戦まで持ち込んだことがある。

「高校サッカー史上最強」と言われることもあるのが第76回大会(1997年度)の東福岡。[4-1-4-1]のピッチをワイドに使ったスタイルで夏の高校総体、全日本ユースも含めて三冠を達成。雪中の開催となった帝京との決勝戦はちょうど21年前だ。

東福岡はまず攻撃陣に本山雅志、古賀誠史、宮原裕司と個性的なメンバーを揃え、金古誠司と千代反田充のCBコンビも強烈だった。本当に隙のないチームで、本山や古賀が卒業した翌年度も優勝して連覇を達成している。

2000年代前半の主役は第79回大会(2000年度)、第80回大会(2001年度)、第82回大会(2003年度)を制した国見だろう。

79回大会の得点王は大久保嘉人だ。82回大会も2大会連続得点王となった平山相太の活躍もあり、圧倒的な強さで制した。平山の他にも関憲太郎、中村北斗、兵藤慎剛、渡邉千真と後にJリーグで活躍した選手が揃っていた。

予定調和が消えた今の選手権

一方で第82回大会以降(2003年度)の15大会は15校が優勝を分け合っている。そのうち11校は初優勝で、より多くのチームが現実的に優勝を目指せる戦国時代になった。

理由は二つある。一つはシンプルに環境が底上げされたこと。有力校は人工芝などサッカーに適した施設を持ち、強化の手法もライセンス制度などを通して広く共有されている。もちろんチームごと、指導者ごとの個性はあるが、無駄な取り組みで消耗するチームが減った。この競技をやる上では害になる“意味のない上下関係”も薄れている。

もう一つは有望選手がJリーグの育成組織でプレーする割合が増えたことだ。高校側も中高一貫でしっかり基礎からトレーニングしているチームは増えているし、人材が出続けている。しかし年代別選手に入るような有望選手の集まり具合はJクラブの方が高い。大迫勇也のような「半端ない」選手を3人、4人と揃えるスーパーチームはもう部活から出てこないだろう。

一方で選手権は予定調和のない、何が起こるか分からない大会になった。取材する側にとって「絞れない」難しさもあるが、本当にサッカーが好きで知識が豊富なファンにはより楽しめるイベントになっている。地域格差もほぼ完全に消え、今大会も東北勢がベスト4に二つ残っている。ディテールが左右する、競技の「中身」を問われる大会になった。

第97回大会の準決勝は12日、決勝は14日に埼玉スタジアムで2002で開催される。準決勝の第1試合は尚志(福島)と青森山田(青森)の東北対決。準決勝の第2試合は瀬戸内(広島)と流通経済大学附属柏(千葉)の対戦だ。尚志か瀬戸内が優勝すれば初優勝だ。

改めて振り返るとサッカー界にとって、高校サッカーにとって、エキサイティングな30年だった。「平成の次の時代」にも、これほどの激変はあるのだろうか?

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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