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「ブラック体質」を変えるためにも必要! 高校野球の転校規制緩和

大島和人スポーツライター
(ペイレスイメージズ/アフロ)

高校野球になお残る球児を害する規制

野球好きからも、アンチ野球からも“共通の敵”としてやり玉に挙げられる組織――。そんな役回りを引き受けているのが、日本高校野球連盟(高野連)だ。ただし彼らも、時代の変化に対応した動きはしている。理不尽の象徴としてやり玉に挙げられることが多かった「プロアマの壁」も実質的に消失した。2013年に学生野球憲章改定により、元プロ野球関係者が高校、大学を指導する道が大きく開いた。

現在は3日間の研修を受講することで、学生野球資格を回復できる。元プロの高校野球指導者はそこから大幅に増え、彼らの手腕で成長を遂げた球児も多い。

選手の健康問題でも登録数の増加や休養日の設定など、一応の動きがある。地方大会は各都道府県の地方組織による運営だが、今夏の異常気象に対して、開催時間変更などの努力が聞こえてくる。努力が十分か、方向性が正しいかといった議論は当然あろう。しかし様々なジレンマがある中で、最適解を求める努力が皆無ということではない。

現場も「昭和の高校野球」が結果を出す時代ではなくなった。昨夏の選手権、今春の選抜大会とも複数の投手を起用するチームが勝ち上がっている。ウエイトトレーニングやコンディショニングの知識が広まり、根拠を欠いた根性論は大よそ解消された。

しかし高校野球にはまだひとつ、球児の未来を害する規制が残っている。それは「転校規制」だ。

転校生の出場停止は1年

日本高野連の「平成30年度大会参加者資格規定」第5条にはこうある(抜粋)

・平成30年4月2日現在で満18才(平成12年=2000年4月2日以降の出生者)以下のもの。

・転入学生は、転入学した日より満1ヵ年を経過したもの。ただし満1ヵ年を経なくても、学区制の変更、学校の統廃合または一家転住などにより、止むを得ず転入学したと認められるもので、本連盟の承認を得たものはこの限りではない。

・参加選手は、高等学校在籍3年以下のもの。

〔注〕この在籍3年とは、あらゆる高等学校または高等学校に準ずる学校に計3年間在学するという意味である。例えば、第1学年に入学し、1年生のとき中途退学して翌年改めて第1学年に入学しなおした時は、在籍2年目と見なす。

内容はオーソドックスで、「当たり前」のものとも読める。一方でこの規定により不利益を被る選手が実は多い。

他競技を管轄する高体連に比べても、高校野球は転校生に対する“ペナルティ”が大きい。転校した生徒の出場停止期間が高体連傘下の一般種目は半年なのに対して、野球は1年と長い。サッカー、バスケ、ラグビー、バレーは4月に転校すれば、冬の全国大会に出られる。しかし野球は丸1年を棒に振る。

サッカー界に多い転校の活用例

サッカー界は転校がかなり多い。高校在学中のトップ帯同、プロ契約などで通学とプレーの両立が難しくなった場合は、基本的に通信制課程への転校が行われる。

また半年の出場停止は高体連内の移籍に限られ、サッカーでよくある「クラブチーム→高体連」の移動ならば制約がない。神谷優太(東京ヴェルディユース→青森山田高→湘南ベルマーレ)、中村駿太(柏レイソルU-18→青森山田高→モンテディオ山形)のような、年代別代表やプロに絡むレベルの選手が進路変更を機に成長を遂げた。

高体連内の移籍には有名な成功例もある。関憲太郎はJ1ベガルタ仙台に所属する32才のGKだが、高校2年へ上がるタイミングで、前橋育英高から国見高へ転校した。当時の前橋育英はGKに有望株が多く、逆に国見は人材が薄かった。さらに指導者同士のつながりがあったことで、三者が納得した上で移籍は実現した。

関は高3冬(2003年度)の高校サッカー選手権を正GKとして制し、明治大を経てプロ入りした。国見は移籍でチームを強化し、関も自身のサッカー人生を開いた。

野球界でも転校は珍しくない

ワールドカップロシア大会の登録メンバーだったGK東口順昭(ガンバ大阪)も、福井工業大から新潟経営大に転校している。これは部の体制縮小を受けたレアケースだが、高校野球でも指導者の急な交代などで選手が不利益を被ることはある。野球界で言うと現在JX-ENEOSでプレーする山崎珠嗣選手(埼玉栄高→吉原商業高→横浜商科大)は、3年次の公式戦出場を断念してまで「監督について行った」例だ。

野球界でも転校はそれほど珍しくない。NPBの有名選手ならばヤクルトなどで活躍した西村龍次が、広島・広陵高を1年次に退部して寒川高に移っている。今夏の北北海道大会決勝まで進んだクラーク国際高のプロ注目右腕、ピダーソン和紀は熊本・鎮西高からの転校生だった。侍ジャパン大学代表のクローザーとして先日の日米野球で活躍した伊藤大海も、駒澤大から苫小牧駒澤大に転校している。

やり直しによる「二重罰」も

高校野球における1年間の出場停止は、親の転居など「正当な事情」がある場合は適用されない。ただし「部の雰囲気に馴染めなかった」「練習についていけなかった」という漠然とした理由は認められない。高校野球は3年夏に「卒業」を強いられる仕組みで、一般競技に比べるとシーズンが半年近く短い。その中で1年間、春夏秋の公式戦出場を禁じられるペナルティは相当に重い。

高校野球のイデオロギーとして「勉強より野球を優先する」「野球で進路を決める」ことが歓迎されないことは理解できる。しかし現実として、野球、サッカーのみならずスポーツに打ち込むことを学校生活のメインテーマに置いている生徒は多い。もちろん選手が転校をするにしても出席日数を満たし、必要な単位を取得することは大前提だ。受講科目の問題で「スムーズに転校したくてもできない」という例も当然ある。

ピダーソン投手はクラーク国際高に2年次から編入したため、最後の夏をマウンドで迎えられた。一方で1年途中に中退し、別の高校に1年から入り直した場合には転校規制と年齢規制の二重罰を受ける。つまり実質4か月で高校野球を終え、最後の1年は「練習だけ」になる。

菊川南陵高校時代に有望選手として名前が挙がり、TBSのドラフト会議特番でも取り上げられた大田圭利伊選手がそのケースだった。才能に恵まれ、NPBの球団が仮に興味を持っていたとしても、公式戦のプレーを見られなければ評価が難しくなる。

どんな制度にもメリットとデメリットの両面があるし、転校規制は“引き抜き”を防ぐ意図があるのだろう。アメリカでもNCAA1部校間の移籍には1年のペナルティがあり、高校も州によっては同様の扱いがある。一方でアメリカは「試合に出やすい短期大学に入学して、四年制に移る」キャリアが当たり前。コーチやチームの方針が合わなければ選手は環境を変えるカルチャーがあり、それが選手のマイナス評価につながることもない。

尊重されるべきプレーの権利

転校規制にはおそらく、生徒が安易に環境を変えることを抑止する思惑もある。日本は学校に限らず「辛くてもやり切る」「受け入れて踏みとどまる」ことが是とされる社会だ。一方で自分の意志で環境を変えることを「逃げ」「裏切り」と見なす傾向が強い。辞めることを悪とする、やり直しに不寛容なカルチャーは、部活や企業のブラック体質につながっているではないか。

実業団スポーツの世界にはラグビー、バレーボールなど複数の種目で「前所属チームの承認がない限り、移籍後1年間は公式戦に出場できない」という規定があった。しかし公正取引委員会より独占禁止法に抵触し得るという見解が出され、ラグビー界は2018-19シーズンから移籍制限の撤廃を行った。もちろん個人事業主と高校生は属性も違うが、強い負の影響がない限り選手の「プレーする権利」は尊重されるべきだ。

転校には経済的な負担が伴うし、一方的に素晴らしさを説くつもりはない。一つの大会に複数の高校の選手として参加するような極端な移動は否と言わざるを得ず、一定の制約が設けられることも妥当だ。年齢制限が無かった戦前の中学野球(今の高校野球に相当する)では「長期休学の後、社会人野球から復帰して21才で甲子園に出た」という田部武雄選手のような例もあるが、今の時代にそれは「ナシ」だろう。

ただし現状の厳しい規制は、メリットに比べてデメリットが大きすぎる。個人的には同大会中を除き、転校直後のプレーをペナルティなしに認めていいと考える。実務上の問題などでそれが困難なら、少なくとも出場停止期間を高体連と同様の6ヵ月に短縮するべきだ。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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