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ゴール裏出身の青年社長はなぜ関東リーグから「J」を目指すのか?

大島和人スポーツライター
栃木ウーヴァの大栗崇司新社長(左)と堺陽二監督(右) 撮影=大島和人

関東1部リーグにして体制はJ3と同等以上

日本のサッカー界に「新加入びっくり度ランキング」があるならば、このクラブがJ1のビッグクラブをしのいで今オフのチャンピオンだろう。2018シーズンの栃木ウーヴァは選手、指導者ともに「関東1部リーグ離れ」をした顔ぶれを一気に揃えた。

ウーヴァは2010年に当時の“全国3部”にあたるJFLへの昇格を果たしたが、8シーズンの最高成績は11年の10位。14年のJ3発足や他チームの消滅に救われて辛うじて残留を続けていたが、JFLの底に沈むドアマット的存在だった。17年の成績も16チーム中16位と最下位で、ついに関東リーグ1部への降格が決まった。

そんなクラブが関東リーグ降格とともに、体制を一新した。関東リーグ1部はJ1から数えて「5部」に相当するカテゴリーだが、今季の年間予算は2億円とJ3レベル。J3は選手の多くがアマチュア契約だが、ウーヴァは新加入の21選手だけでなく、残留した8選手も全員がプロ契約になった。

登録29選手のうち、15名にJ2以上の在籍歴がある。例えば野崎陽介は横浜FCで昨季は15試合に出場し、J2通算277試合・26得点のキャリアを持つ。津田琢磨はヴァンフォーレ甲府の主力として15年、16年のJ1残留に大きく貢献したCBだ。鈴木隆雅は2011年のU-17ワールドカップに背番号10を背負って出場し、世界の8強入りに絡んだ。他にも“デカモリシ”こと森島康仁や高地系治、原田欽庸といった超地域リーグ級の顔ぶれが揃っている。

チームスタッフを見れば、岸野靖之氏がアカデミーも含めたクラブの「戦略統括責任者」に就任している。サガン鳥栖などの3クラブの監督経験を持ち、「赤帽」の愛称で愛されている熱血漢だ。ヘッドコーチに就任した松田岳夫氏もガイナーレ鳥取がJ2に昇格した時の監督で、昨季はなでしこリーグの強豪INAC神戸の監督を務めていた。昨季は堺陽二監督が練習を一人で見る体制だったとのことだが、今季は兼任も含めて5名のコーチがつく。

栃木ウーヴァは何を目指すのか

なぜそんなチャレンジをするのか。そもそも経営が成り立つのか。そんな謎を持ちつつ、15日に栃木市内で行われた2018シーズン新体制発表会は出席した。

大栗崇司社長は会見の冒頭で「プロサッカークラブとなる第一歩を踏み出せた」と口にしていた。親会社からの支援やスポーツビジネス以外との相乗効果で赤字を消すということでなく、地域に根付き、スポンサー集めや集客などで収入を得ていくのが彼らのビジョンだ。もちろんそれは容易なことでない。大栗社長も「選手全員がプロになって、練習場があって、コーチ陣が増えただけではプロサッカークラブになれない。チーム、フロントの努力は当然だが、地域の皆様に幅広く愛されてこそプロサッカークラブになれる」という冷静な認識も述べていた。

クラブの目標はJFLへの1年での復帰と、その先のJリーグ参入。確かにそう公言するだけの予算と人は確保されている。練習場についても天然芝の施設を用意する予定で、既に行政と交渉し、栃木市内に候補地が挙がっているという。土地の購入、クラブハウスはウーヴァ側が自前で行う。

大栗社長が背負う二つの責任

会見へ登場した大栗社長の若さに驚いたが、彼は株式会社日本理化工業所を率いる経営者でもある。34歳にして創業1914年、年間売上220億円、従業員600名という企業の舵取りを担っている。07年に父でもある当時の社長が急死し、アメリカ留学から戻ったばかりの大栗は24歳にして大きな責任を負うことになった。

日本理化工業所はチームの株主であり、胸スポンサーでもある。ただしウーヴァはあくまでも市民クラブで、大栗社長に一企業の資金力でウーヴァを引き上げる考えはない。彼は株主やスポンサーという立ち位置でなく、現場のマネジメントでクラブを動かそうとしている。

大栗社長は言う。「スポンサーの額もJ3レベルを基準に募集させてもらっている。今年は日本理化工業所がメインスポンサーをやるけれど、ウーヴァの企業価値を上げて、将来的にはそこも販売することが目標です。色んな人がウーヴァをスポンサードするようにならないと、ウーヴァのためにならないと思っている」

日本理化工業所は本社こそ東京都の大井町だが、創業者が栃木の壬生町出身で、その壬生に工場を持っている地元企業だ。栃木は県庁所在地の宇都宮にJ2の栃木SCもあるが、ウーヴァは県南・両毛地域に根付いた活動を目指すという。

大栗社長に聞くと、現状ではサッカークラブの経営に割く労力の方が少し多い状況とのことだった。社長の若さもあるのだろうが、二つの船のかじ取りについては「サッカーは土日も多いし、1日は24時間ある。自分の(プライベートの)時間を犠牲にして、両方やっていくのは可能」と意欲を見せていた。

0-7の「ベストゲーム」で入ったスイッチ

彼がなぜウーヴァのかじ取りをしようと決めたのか。それは17年11月5日のある試合がきっかけだった。

「本当にウーヴァをやろうと決めたのは昨年11月のソニー仙台戦です。0-7で負けたんですけれど、残留のために絶対に勝たなければいけない試合でした。去年はどちらかというとディフェンシブなサッカーだったのに、その日は本当に勝たなければいけなかった。負けてしまったんですけれど、選手がガンガン上がって気持ちも入って、僕はベストゲームだったと思っています。アマチュア契約なので0円で、夜がんばって練習して、でもその選手たちがこれだけ気持ちの入ったプレーをして、立てなくなるくらい泣いている。それを目の前にして、これは誰かがやらなきゃいけないとスイッチが入った感じですね」

実は大栗社長自身も「ゴール裏」の出身だ。「アルビレックス新潟の関東隊にずっと入っていて、(01年に)ビッグスワンができる前からやっていました。母方の実家が新潟なんです。10代の頃に仲間にしてもらいましたね」

また大栗社長の母校オハイオ州立大はアメリカンフットボール、バスケットボールの全米的な強豪校。彼は「学校の中に10万人のスタジアムがあって、試合のたびに当然の如く満員になる」という夢舞台を、観客として経験していた。そういうスポーツの夢、熱を知っているからこその、ウーヴァへの参戦なのだろう。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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