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J3は“プロ”なのか?

大島和人スポーツライター

J3の開幕で何が変わったのか?

明治安田生命J3リーグが、3月9日に開幕した。東京、神奈川、鳥取、沖縄で計6試合が行われ、合計観客数は18,710人に達している。今季のJ2ライセンスを持たないクラブも含めた平均で、昇格の最低基準となる”1試合平均3千人”を突破した。

「J3とJFLは何が違うのか?」という質問をよく受ける。例えば「5千名以上を収容できるスタジアム」「3名以上とのプロ契約」「監督のS級ライセンス所持(選手との兼任禁止)」といったJ3に課せられる新しい条件はある。全試合にテレビカメラが入り、スカパーでハイライト番組が放送されるのも、サポーターにとっては小さくない変化だ。ファンとメディアの関心を高め、行政を巻き込むため、そして練習や試合の環境を向上させるために、Jのブランドには大きな価値がある。ただし予算と人材には限界があるし、あくまでも3部リーグだ。Jリーグ登場のような劇的な変化にはならないだろう。

J3発足は“プロ化”ではない

J3発足は必ずしも”プロ化”でない。とはいえJ3がアマチュアリーグと定義されたら、それも違う。強いて当てはめるなら、大相撲における“幕下”だろうか?長野、町田などはほぼ全選手とプロ契約を結んでいるが、一家を養えるような給与を得ている選手は全登録選手のごく一部。少なからぬ選手が他の仕事で収入を得ながら、日々の練習に励んでいる。位置づけが中途半端と言われたら、確かに中途半端だ。

練習時間を“プロ仕様”の午前中に移すチームも増えたこともあり、選手は“9時5時の勤務”が難しい。試合の関係で日曜日にも仕事を入れられない。そういう条件の中で本人、クラブが受け入れ先を見つけるのは骨の折れる作業でもある。スクール事業に取り組んでいるクラブが多いため、“育成コーチ兼任”は一般的だ。他にも選手たちはスポーツ施設の管理、コールセンター、飲食店と多彩な仕事に励んでいる。場合によっては家族からの仕送りも必要になるだろう。

そんな生活には“若者のモラトリアム(猶予期間)”としての側面もある。選手はプロとしての大成を目指しているだろうが、それが唯一の終着点とは成り得ない。ただ教員資格を持つ選手なら、“元J”の肩書は私立校の採用などで売りになる。少子化の進む昨今では若者が教育系学部を卒業しても、講師などの“浪人生活”を経てから常勤教員に採用されることが一般的だ。となれば二十代の回り道は収入に影響せず、むしろセカンドキャリアにつながる。

大学サッカーに比べれば、J3でのプレーは金銭的な負担が小さい。もちろん学費はないし遠征費、用具、寮費などの負担も抑えられる。“4年で1千万円”とも言われる親の負担が無いので、経済的な事情により高校生がJ3を選ぶケースもあり得るだろう。野球なら“社会人野球”というカテゴリーがある。中には仕事を一切せず、プロ並みの施設で練習を積むチームもある。落合博満、野茂英雄、宮本慎也の名を挙げるまでもなく、プロ野球の歴史を支えた名選手は多くが社会人経験者だ。“プロとアマチュアの境目”を充実させることは、もちろんサッカーにおいても、全体のレベルを上げる重要なポイントだ。

そもそもプロという名乗りが、何かを変える訳ではない。野球の独立リーグやバスケットボールのbjリーグを見れば分かるように“観客3千人”は簡単にクリアできるハードルではない。J3は経営規模が小さく、ビッグマネーを期待できるカテゴリーでもない。スポンサー、サポーターはもちろん、スクール生、ボランティアなどで関わる人を増やすこと――。“地道な活動を続け、スポーツ文化の芽を育むこと”が、J3の目指すべきものだろう。

プロとアマチュアの中層を担うJ3

そもそも“アマチュア”ほど、日本スポーツの進歩を阻んできた言葉はない。長らくオリンピックの出場資格として金科玉条だった“アマチュア資格”は、選手の行動を徹底的に縛るものだった。元ラグビー日本代表監督の平尾誠二氏は選手時代、アマチュア規定違反で処分を受け、代表への参加を辞退したことがある。理由は「スタイリストに着せられたセーターで撮影に応じ、ブランド名のクレジット入りで雑誌に掲載されたこと」だった。ギャラは一切受け取っていなかったにも関わらず、である。

スポンサーから用具の提供を受け、胸に企業ロゴの入ったユニフォームを着るJ3の選手たちは、そんな規定に準ずれば、アマチュアと程遠い存在だ。J3クラブの年間予算は1億~4.5億円の幅に入ると思うが、その規模の組織をビジネス的な要素を欠いて運営することはできない。クラブと選手は契約、費用対効果といった事情を背負い、ステイクホルダーに対して“プロの責任”を果たさなければならない。

日本サッカーを見通せば、その頂点には本田圭佑、香川真司のような“完全なプロフェッショナル”がいる。一方でその裾野を見下ろせば、自腹で用具を購入して草サッカーに興じる“完全なアマチュア”もいる。J3は“プロとアマの混ざり合い”が発生する中層カテゴリーの一つだ。ラグビーユニオンが1995年にアマチュア規定を撤廃した時は、プロ化ではなく、“オープン化”という表現を使った。J3もそういう意味では“オープンなリーグ”と言えば分かりやすい。

底辺の拡大はもちろんだが、中層の厚みを増すことが、頂点を高めることにつながる。1年2年ですべてがガラリと変わることはないだろう。しかし5年、10年と時間を経たときにJ3発足と、それをきっかけにした環境の変化は、小さくない意味を持っているはずだ。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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