英政府の対コロナウイルス戦争の集団免疫路線から社会封鎖への「方針転換」と隠れた戦略

先週、英国ボリス・ジョンソン首相が「国民の多数の犠牲」を予告したコロナウイルス対策を発表して1週間になる。最初はラディカルともいえる「集団免疫にたよる」方策だったのが、この1週間で外出の自粛・自宅勤務をはじめとする社会的隔離政策を一気に打ち出し、英政府の方針は大きく変更されたように表面上は見える。

英政府の対コロナウイルス政策の急激な発展は、いくつかの背景を理解しないとわかりにくく、むしろ誤解される点が多い一方、この問題は日本にとっても実は対岸の火事では全くない。それゆえ、先週の記事に続いて、英政府の対コロナウイルス戦争の「方針転換」ならびに隠れた一貫した戦略の全貌、その科学的背景について解説を加えたい。

政策の「Uターン」

3月13日のジョンソンの演説内容は、対コロナ対策を戦争に喩えたレトリックとともに衝撃を与えた。しかしながら最も異論を呼び起こしたのは、感染症状のあるひとの自主的な自宅隔離以外には社会隔離策がほとんど盛り込まれなかった一方で、英国民の多数がコロナウイルスに感染して英国民として「集団免疫」を獲得することで流行を終結する方針を明らかにしたことであった。

この首相演説に対しては各種メディアの記事も反発し、科学者は政府政策の依拠するエビデンスの公開を求め公開質問状を提出した。

一方、社会的には、全英各地のスーパーで食料品を買い求める人が殺到し、スーパーの売り場が空になった。13日の首相演説を契機に社会がパニックに陥っているのは明らかであった。

ところが、その3日後、16日の月曜日以来、ジョンソン首相はより包括的な社会隔離策を開始した。これをもってして、多くの人はジョンソン首相が「集団免疫」を捨てた軌道変更を行ったと理解しているようである。

実際、この1週間でジョンソン首相は続きばやに次の4つの方策を繰り出した:

1. 家族隔離:家族の誰かが熱や咳を発症した場合、その家族全員が2週間の自宅隔離とする

2. 自宅勤務:可能な人はすべて自宅勤務にすること

3. 小学校・中学校の閉鎖(1)

4. パブ、レストラン、劇場、ジム、レジャー施設の全英での営業停止

これらは全て社会隔離策である。つまり、人と人が接触する機会を可能な限り減らし、それによりコロナウイルスの流行を遮断するために行われる。

今週までの時点で、警察による罰金や逮捕といった強権を使わずにできる穏健な施策は全て施行されたといってもよい。この社会隔離政策の開始をもって、ジョンソン首相の「集団免疫」方針は放棄されたと理解している人が英国内でも大半であるが、これはおそらく二重に誤解であると筆者は考えている。これについて説明するためには、今週の月曜日、16日に発表された重要な研究報告書を紹介する必要性がある。

ファーガソン報告書

この激動の1週間のあいだに、重要な研究報告書がひっそりと世間に公開された。

ジョンソン首相が「対コロナウイルス開戦演説」を行った3日後の16日に、インペリアル・カレッジ・ロンドンの感染症疫学の研究センターが、大学のホームページ上に研究報告書を公開した(2)。この報告書をまとめたセンター長のネール・ファーガソン教授が政府の主要な科学アドバイザーであること(3)は英国内で広く知られた事実であり、この報告書はすみやかに英国内の科学者のあいだで共有され、筆者のところにも送付されてきた。

そして、このファーガソン教授による報告こそが、ジョンソン首相が社会隔離策を開始した「劇的な方針転換」につながったとされる。

このファーガソン報告書を見て寒気を覚えなかった研究者はいないだろう。研究は感染症疫学の数理モデルを用いて、今後行う政策ごとに、患者数の推移ならびに集中治療室による治療が必要な患者の数がどのような経緯をたどるのかをシミュレーションした結果である。この研究の結論には次の3つの重要な点がある。

1)英国の人口あたりの集中治療室ベッド数は少なく、今後の数週間でコロナウイルスの感染が爆発すると、どんなシナリオであったとしても、大多数の患者を治療できない事態になる。それゆえ、集団免疫が成立するまで全く社会隔離策を取らなかった場合の被害者は40万人を超える。一方で、可能な限り厳格な社会隔離策をとって流行の拡大を遅らせた場合、被害者の数は3-4万人という、10分の1以下まで減らすことができる。

2)厳格な社会隔離策をとり完全に流行を封じ込めた場合、その隔離策を終了して国民を日常生活に戻すと、(これは集団免疫が成立していないために)およそ2ヶ月以内に再び感染爆発することが予想される。

3)社会的に持続可能な社会隔離策として、集中治療室のキャパシティーを超えない程度の厳格さで社会隔離を行うという政策が考えうる。このためには、およそ2ヶ月封鎖を実行し、1ヶ月休むといったサイクルを長期にわたり繰り返すことが必要になる(4)。

なお、以上の数字は現在得られているデータならびに感染症疫学の専門家が妥当と考える推測に基づいて行われた計算である。それゆえに今後数カ月単位での研究の進捗に応じて、より精密な推測となり、具体的な数字は変わってくるものであることには注意を促したい。

集団免疫と出口戦略

集団免疫はもともと目的というより出口戦略であったと考えられる。現在のデータに基づく数理疫学の推測によれば、英国社会全体の6割のひとたちが感染し免疫を獲得することで、人から人への伝染がおこりにくくなりウイルスの流行は自然に終焉する(集団免疫が成立する)と推測されている。一方で、どんなに強力な社会封鎖を行ったとしても、国民の多数に免疫がない状態で封鎖を解除すると、再び流行は再燃する。それゆえ、今回の危機が収束するのは、国民の過半数に免疫をつけさせたときになると考えるのが現時点では科学的には妥当である。

つまり、今のコロナウイルス危機に確実に終息宣言を出せるのは、有効なワクチンが使えるようになる(このためには最低でも18ヶ月はかかるといわれる)か、感染がじわじわと広まって集団免疫が成立したとき(これはどのような動態で感染が広がるか次第で時間は変わる)の、いずれかの時点であると考えられる。

集団免疫の成立時期を科学的に推測し、それを根拠に社会に負担の大きい政策の作用と副作用を計算し、こうした重大な政策を発動した場合それをいつ終焉できるのかの出口戦略を綿密に立てる。これにより、長期的にダイナミックかつ強力な政策の施策を可能にする。集団免疫の議論を導入した理由はここにあったと筆者はみている。そしてこの方針は、当然いまも捨てられていないはずである。

一方で、集団免疫については二重の誤解が広まっているようである。第一の誤解は、ジョンソン首相は当初集団免疫を唯一の目的としていたのだということ。第二の誤解は、ジョンソン首相が今週月曜日16日に突如としてその施策を破棄したということである。読者の方々には、恐らくこれらが誤解である可能性が高いことは見えたであろうか。

しかしながら、その二重の誤解は、英国社会を対コロナウイルス戦争への臨戦態勢に変化させ、抑圧的な政策を受容させるためには有効であったかもしれない。これについては今すぐには結論できないが、今後、長期にわたる重たい社会隔離策・封鎖政策が英国社会に混乱なく受け入れられて英国内の犠牲者を可能な限り最小化できたならば、ジョンソン首相の戦略勝ちということになろう。

実際、来週には、70歳以上の国民の強制隔離という、より抑圧的・強力な社会隔離政策が発表される見込みである。一方で、今週はじまった社会隔離策に効果がでるのに2週間はかかるため、今後2週間は、英国内の感染者数は今までの勢いで増加すると見込まれている。今後の推移を慎重に見守りたい。

注釈

1)学校閉鎖はウイルスの流行を一定程度止める働きがあると考えられている一方、学校閉鎖により病院などの前線で働くひとたちが子供と家にいなければならなると病院など重要な施設が回らなくなる。これを回避するため、親が医療関係者であるなど「前線」で働いている場合には、子供は学校に引き続き通うことになっている。

2)Ferguson et al and Imperial College COVID-19 Response Team, Impact of non-pharmaceutical interventions (NPIs) to reduce COVID- 19 mortality and healthcare demand. 16 March 2020.

3)ファーガソン教授は、英国のコロナウイルス対策の立案のための専門家会議「緊急事態のための科学提言グループ(Scientific Advisory Group for Emergencies, SAGE)」の主要メンバーである。SAGEは主席医務官ならびに主席科学アドバイザーに対して提言をまとめる委員会であり、すなわち政権の対コロナウイルス戦の科学サイドからの具体策を決める頭脳である。またファーガソン教授は、早期から今回のコロナウイルスが世界に与える深刻な問題について強い警告を行なっていたことも追記すべきだろう。

4) このような間歇的封鎖を行った場合必要な期間については報告書では明示されていないが、少なくとも2年以上かかることはデータからみえる。