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制御性T細胞とは何か - 時間から免疫細胞を理解する先端研究紹介

小野昌弘イギリス在住の免疫学者・医師

実は現在の免疫学の(さらには多くの医学生物学の)測定データの殆どが「スナップ撮影」にすぎない。そして時間の間隙は、想像で埋めることで理論が組み立てられている。これは自明のことだけれど、この問題の重要性に気がついていない人が多い。実際、免疫学の陥りやすい誤謬の大きな原因はここにあるのは間違いないと思うのだが、書かれていない・聞いたことがない話を書いても、何のことかと思われるのが関の山であろう。だから、ちょっとその背景を詳しく書いてみたいと思った。

本記事では、「免疫反応を抑える役割に特化している」とされる制御性T細胞についての最新の3論文を紹介する。これは筆者自身の研究の話でもあるが、退屈な自画自賛をする気はさらさらない。免疫療法に深くかかわっている「制御性T細胞」の隠された歴史と今後の展望を伝えたいまでである。

1.エレファントマン臨床試験と制御性T細胞

普通のT細胞は、敵をみつけると、免疫反応を起こすために他の免疫細胞を効率よく刺激するはたらきがあり、いわば免疫システムの指揮者のような存在である。ところが、T細胞の一種である制御性T細胞は、他の免疫細胞を効率よく刺激することをせず、逆に免疫反応を抑えることに特化した特別な細胞とされる。この20年間、制御性T細胞の研究は免疫学で花形であり、多くの研究がなされて数千報以上の論文が生産された。

免疫学会内で制御性T細胞のブームが静かにはじまったのが90年代終わり頃で、ブレークしたのは制御性T細胞の分子メカニズムが明らかになった2003年からである。そしてその上げ潮の雰囲気の只中、2006年にいよいよ世界初の制御性T細胞を標的した免疫療法薬TGN1412の臨床試験が行われたのである。臨床試験の舞台となった英国では、この臨床試験は、試験薬により多臓器不全に陥った患者の惨状から「エレファントマン臨床試験」として知られる。健康だったボランティアが投与後数十分以内に血圧低下・酸素低下といった医学的ショック状態になり、多臓器不全に陥り、四肢切断にまで至ったという惨劇である。

この事件が起きた当時、私は京大で「制御性T細胞を利用した免疫抑制薬」を開発するプロジェクトを担当していたため、大きな衝撃を受けた。そしてこの問題について随分考えた。

私の考えでは、もともとの問題は、研究者自身が免疫データはスナップ撮影にすぎないことを忘れ、基礎免疫学者たちが、制御性T細胞を「ギャングのような悪いT細胞の働きを抑える万能の警察官」というような特別な存在に祭り上げたところにあると思う。そして「制御性T細胞だけ」を標的にして制御性T細胞を刺激することによる免疫抑制効果をうたう新しい免疫療法を開発した。

ところが、この薬を2006年臨床試験で投与すると、ボランティア体内の全てのT細胞に効いてしまい、薬を投与された6人のボランティア全員を死の淵に追いやる惨事になったわけである。

少し詳細を書くと、この制御性T細胞を標的にした免疫療法薬TGN1412は、CD28というT細胞の活性化経路を刺激する抗体である。しかしCD28という分子は、T細胞の活性化の根本にあるもので、CD28を刺激すれば、全てのT細胞が刺激されて免疫反応を起こすことは学生でも知っている。そして実際に臨床試験では体の全T細胞が活性化して生体活性物質であるサイトカインを異常に産生し、免疫細胞をみさかいなく刺激することで血液循環まで変調させるという「サイトカインの嵐」と呼ばれる状態に陥ったのである。これは基礎研究の制御性T細胞の理論に欠陥があると考えるべきではないか。

事件後、制御性T細胞を特別視する風潮は少し改まるかと期待していた。しかし制御性T細胞を利用した抗体治療の臨床試験でボランティア全員が死に面するという悲劇に終わった後も、基礎研究者は頬被り。反省もせず、何も学ばなかった。今も同じ調子で、制御性T細胞は他のT細胞と全く違う特別な細胞であることを前提に臨床応用が準備されている。同じレベルの未熟な知識のままさらなる臨床応用を目指しているのである。

2.制御性T細胞の根幹の論文が追試不能であるということーThere is no such thing like Treg

何かがおかしいと思ったが、学問分野全体が思考停止している中で独自に物を考えるのは結構難しい。

それでも5、6年考えつづけると問題の源泉がみえてきた。まず研究者のあいだに制御性T細胞はほかのT細胞と全く異なるものであるという強い思い込みがあることに気がついた。実は、この思い込みは、免疫学会内で制御性T細胞のブームをつくった1996年のThe Journal of Experimental Medicineに掲載されたAsano et alの論文に始まる。

制御性T細胞のパイオニアといわれる坂口志文教授の書いたAsano et alの論文で制御性T細胞の分野が格段に発展したのは間違いない。問題は、Asano et al論文のコアデータ(=制御性T細胞は時間的に特別な発生)が追試不能であることだ。これは私自身何度も確かめたし、複数の論文が証明したが、制御性T細胞分野は論文量が多量すぎて理解がゆきとどかず、免疫の教科書・レビュー論文はいまだに間違った論文に基づいて書かれている。

私は臨床試験を失敗させるような制御性T細胞理論の欠陥のひとつは追試不能なAsano et al論文にあると直観したので、2013年にまずはこの追試不能なデータが制御性T細胞分野の根幹にあることがどのような影響を与えているかを分析した論文を完成させて、オーストラリア免疫学会誌Immunol Cell Biolに掲載し、頭の中を整理した。

ひとことでいえば、今皆が思っているような特別な制御性T細胞は存在しないようだということがわかった。しかし、こんなことを免疫学会で話しても、気が違ったと思われるのがオチである。この直観を学問的に検証しなければならない。

3.心理学に学んで免疫学をみる

制御性T細胞が特別な細胞ではないとするなら、制御性T細胞とほかのT細胞(ナイーブT細胞・エフェクターT細胞など)はどれだけ似ていてどれだけ違っているのかを定量的に示さなければならないはずである。この問題を考えるうえで役立ったのは教養のときに勉強した計量心理学の知識であった。

林の数量化III類は、心理学やマーケット調査で使われるが、この問題を考え出した2008年当時、医学生物学内でその発想を持っているひとは皆無であった。そこで京大の社会心理学の杉万教授および近縁の多変量解析を研究している工学部の加納教授にお願いし、個人教授してもらい、林の数量化III類を免疫学のデータに実際に適用してみたが、どうも免疫学の自分の持っている問いに直接答えてくれないことに気がついた。

当時私は保守的な日本の学会で制御性T細胞の研究を続けることをあきらめ、Human Frontier Science Programのフェローシップを獲得してUCLに留学していた。やりたかったことは決まっていたので、そのときあえて「ラボで研究が行われていない」研究室を選んだ。そして3年間の時間を手に入れて、大英図書館で文献にあたりながら、この問題にとりくんでいた。

大英図書館
大英図書館

そしてフランスに渡り日本とフランスの統計学の歴史を紐解くという話があるのだが、今回は割愛する。とにかく、林の数量化III類の亜型の解析で、環境学で発展した正準対応分析(Canonical Correspondence Analysis)を発見し、これを医学生物データ解析に適応した。この方法により制御性T細胞のデータを解析してみると、予想した通り、制御性T細胞は特別でもなんでもなく、他の活性化T細胞とよく似ているのである。

実際にメラノーマ患者からとってきた腫瘍の1細胞解析データからT細胞データを抽出して各々のT細胞を正準対応分析で解析してみると、腫瘍の中で腫瘍に反応して活性化したT細胞から制御性T細胞およびエフェクターT細胞が常に生まれ続けている様子がみえた。これらの研究は、Frontiers in Immunology誌に掲載された。

腫瘍浸潤T細胞の1細胞解析, Bradley et al, Front Immunol, 2018より改変
腫瘍浸潤T細胞の1細胞解析, Bradley et al, Front Immunol, 2018より改変

ここらへんで免疫学者もわかってくれるかと思ったが、問題は多くの免疫学者がデータ解析に不慣れであることだった。やはり実験で示さないとピンとこないようだ。

4. T細胞の時間をはかるーTocky(とき)の開発

免疫反応中に活性化T細胞から制御性T細胞が生まれるのかどうかは、時間軸をみないとわからない一方、現在の免疫学の技術では個々の細胞の時間を測定できない。そこでタイマー蛍光蛋白を使用して生体内時間を測定する技術Tockyを5年かけて開発した。タイマー蛍光蛋白は、蛋白になった瞬間は青い蛍光を発すが4時間で赤い傾向に自然に成熟する。この研究では、抗原刺激によりT細胞がタイマー蛍光蛋白が発現するマウスを作製した。そしてタイマー蛍光蛋白の特性を利用し、細胞がいつ頃分化シグナルを受容し、継時的にどのように活性化したかを計量的に分析するというものである(論文はThe Journal of Cell Biologyに掲載)。

Tockyの原理を簡単にいえば、ひとつひとつのタイマー蛍光蛋白が青から赤に変わり、細胞の中にはたくさんのタイマー蛍光蛋白があるのだから、青い色の細胞はそれまでは制御性T細胞ではなかったけれども最近制御性T細胞の形質をもつようになった細胞であると知ることができる。そして、青+赤=紫色の細胞は今現在制御性T細胞としてよくはたらいている細胞で、赤い色の細胞は、ちょっと前までは制御性T細胞としてはたらいていたけれど、もはや制御性T細胞としての形質が下火になりつつあるものといえる。このようにして生体内での細胞のはたらきを事後的に知ることができる。

Bending et al, J Cell Biol, 2018より
Bending et al, J Cell Biol, 2018より

ちなみにTockyは"Timer of cell kinetics and activity"の略語で、もちろん日本語の「とき」のこと。現在の生物学では、時間を測定するものだという概念が実に貧弱な為(これは実は英語の弱点)、新しい概念として導入したものである(Tockyは語感から英語でも時間を示唆できる)。

このTocky技術をつかって炎症がおきている組織内でT細胞がどのように変化しているか解析すると、実際に活性化T細胞から制御性T細胞が出現していることがわかった。

Bending et al, EMBO J, 2018 より
Bending et al, EMBO J, 2018 より

つまり、いまの免疫学の教科書に書いているような、制御性T細胞は特別に発生した「警察官」細胞である、という視点は間違いで、個々の細胞に「ギャング」と「警察官」の役割をもつ時間がありうるということがわかった。

実際にはもっと細かい分子生物学の話があるのだが、そこはまた別の機会に譲るとして、とにかくこれをThe EMBO Journalに掲載した。

この研究は所属のインペリアル・カレッジ・ロンドンのホームページでトップ記事として紹介してもらえたので、そのスクリーンショットを貼っておく。

Imperial College Londonウェブサイト(2018/7/10)
Imperial College Londonウェブサイト(2018/7/10)

このことは、制御性T細胞は他のT細胞と異なるとして区別して研究すること自体が危険だということことを示している。たとえば、制御性T細胞を標的にしたと思っていても、次の瞬間にはその細胞はエフェクターT細胞になっているかもしれない。これでは精密な免疫療法の開発は無理である。

5.結語

ここまで制御性T細胞を利用した免疫療法(TGN1412)の臨床試験(エレファントマン臨床試験)からの12年の自分の研究を振り返って見た。エレファントマン臨床試験が大きな事故・惨劇に終わったことに、基礎免疫学の制御性T細胞研究者は責任があると思う。そして私は専門家として12年かけて一定の責任は果たしたと自負している。

本記事で紹介したのは、数千の論文があふれる制御性T細胞分野におけるたった3つの論文である。分野が変化するにしてもまだ時間はかかるだろうが、この記事・論文で免疫学・医学生物学の将来の展望が垣間みられるようなら本望である。

文献

1. *Bending D et al. (2018) A temporally dynamic Foxp3 autoregulatory transcriptional circuit controls the effector Treg programme. EMBO J,10.15252/embj.201899013

2. *Bending D et al. (2018) A timer for analyzing temporally dynamic changes in transcription during differentiation in vivo. J Cell Biol, doi10.1083/jcb.201711048.

3. Bradley A et al. (2018) Elucidating T cell activation-dependent mechanisms for bifurcation of regulatory and effector T cell differentiation by multidimensional and single cell analysis, Front Immunol,doi 10.3389/fimmu.2018.01444.

イギリス在住の免疫学者・医師

免疫学者、医師。免疫学の研究・教育を行う。生体内でのT細胞の動態を解析する測定技術Tocky(とき)の開発者。京都大学医学部・大学院医学研究科卒業。京大・阪大で助教を務めたあと英国に移動。2013年に英国でラボを開き、現在インペリアル・カレッジ・ロンドンで主任研究者、Reader in Immunology。がん・感染症(コロナなど)・自己免疫におけるT細胞のはたらきについて研究する傍ら、大学の免疫・感染症コースで教鞭をとる。著書「免疫学者が語る パンデミックの「終わり」と、これからの世界」「コロナ後の世界・今この地点から考える」(筑摩書房)、「現代用語の基礎知識」(自由国民社)などに寄稿。

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