ニセ科学・嘘・泥棒

ワシントン大学がニセ科学・虚偽のデータ・ニュースを見抜き、周囲の人々をいかにして納得させるか、という技術を習得させるためのコース「でたらめを見抜く~ビッグデータの時代において(注1)」を用意したという。

これは面白い試みであるし、おそらく重要な方向性であろうが、コースの名付け方からして、正しい立場と虚偽な立場を自明に分けられる~自分たちは安全な場所を確保できている~という前提条件があるところに彼らの姿勢の脆弱さがあると思う。このままでは危うい、と正直思う。

科学は他の社会に比べれば随分ましだが、それでも誇張や嘘に汚染されている。とはいっても、こうした科学の世界におけるスキャンダルを書くときには少々気をつけなければならないので、先に進む前にまず前提条件を確認したい。

つまり、科学の世界は、経済活動に携わる他の多くの小社会よりも、純粋に真実に人生を捧げている人々がはるかに多い小社会である。しかしながらそうした科学の世界ですら、いくつもの論文が~有名で重要な論文ですら~しばしば嘘や虚構に侵されているし、ノーベル賞を受賞した研究ですら取り下げになる間違いがあることがある。真実を常に第一にすべき科学者もまた、その本命を忘れてしばしば雑誌のブランド(インパクトファクター)を重視する。

科学者の自己批判としていうならば、科学者でさえ、こうした科学者社会の中にある内なる敵を見てみないふりをするような世界で、STAPやトランプ的な虚偽が幅をきかせるようになっても、なんら不思議はないわけである。

まだみぬ世界

世界が虚構に満ち溢れ、幽霊を恐れ、他者を切り捨て、蒙昧に陥り権威に盲従することを進んで行うのがいまの時代なのだろう。この憂鬱な時代はしばらく続きそうだが、このトンネルを抜けたあとの世界はどんな世界なのだろうか、と夢想する。

新しい流れ~たとえば論文を特別なウェブサイトにアップロードできるようにすることで論文の査読システムによる不当な遅延に影響されないようにするという、プレプリントという試みが生物学においても広がってきている。また、オープンレヴューと呼ばれる、査読者の名前および査読コメントを公開するという新しい方式が始まっている。これらはまだ傍流だが、次に来る世界がどのようなものであるかについて、ヒントを与えてくれている。

STAP現象やトランプ的な虚偽が力を失う時代は、きっとやがて来る。事実そのものを重視し、真実への愛情に世界がたちかえる時代が。もっとも、その新しい時代が具体的にどのような形であり、どのようにして実現されるかは、まだ誰にもわからない。しかしそれをあえて想像するならば、それはたとえばNatureに論文を掲載することに格別な意義を感じないような世界だろうと想像する。

内なる敵

医学分野で査読者が査読対象を盗用した事件がスキャンダルになっている。この事件では、『内科学紀要(Annals of Internal Medicine)』において、査読者が査読対象の原稿を却下しておきながら同時に盗用し、自分自身の研究結果として発表したという。被害者は5年にわたる研究結果を失ってしまったが、その盗用された論文を発見し、雑誌の編集部に連絡して、その盗用した論文はついに撤回されたという(注2)。

この話は実に酷いことだが、残念ながら、このようなことが起こっても不思議はない事件である。私自身、類似した査読者の行動を目撃したことがあるし、同様な被害経験を持つひとは多々いることだろう。

上記の盗用事件は海外において起こったであるが、ここで残念ながら指摘しなければならないのは、こうした科学者の盗癖・モラルの底抜けは、おそらく特に日本で酷いことである。

筆者自身、様々な形で研究を盗用された経験があるが、犯人は全て日本人であるし、日本において、こうした盗用事件の話はよく聞く。こうした問題の国際比較はデータがなく困難だが、筆者の日英の研究キャリアがほぼ同年数であるし、両国でそれなりの地位において研究をしてきたから、その範囲内で比較検討すると、圧倒的に日本において状況は酷い。米国における盗用の話もよく聞くが、いまや日本のほうがモラルが低いのではないかと思う。

以前に、そうした手癖の悪い日本人から、米国は「生き馬の目を抜く社会」だから「世界で生き抜くためには」必要な技術だと、開き直られたこともある。根拠のないアメリカ一辺倒主義に加えて、質の悪い米国人としかつきあえないという二重の悲劇と間違いが日本人のモラルを低下させている、その典型例なのだろう。

課題

こうした状況の中、STAP・トランプ以来、科学の領域が政治の戦場になってしまったのは不幸なことである。しかしながら、世界各地において似たような流れがあるということは、これが避けがたい時代の運命なのだろう。

つまり今の科学者の宿命は、上に書いたような内なる敵のみならず、それより遥かに強力な社会・政治からの攻撃との両方と戦わねばならない。しかもSNSで可視化された戦場において、である。その戦いの困難さは、日本においては特にSTAP事件において多くの科学者が実感し、教訓を得た。それだけではない。原発放射線問題・子宮頸がんワクチン問題もまた、この同じ方向性にある問題である。

日本が課題先進地であることは間違いない。我々がこれまでに得ている教訓は世界的にみて貴重なものである。ひょっとすると今は嵐の前の静けさの時期であり、これらの教訓をあらためて思い出し、次の嵐に向けて力を蓄え準備を行うべき時期にあるのかもしれない。

注釈

注1) 下品なスラングを使った表現であるが、あえてやや上品に訳してある。

注2)リンク参照