垣根を越えて:英国ロイヤルバレエ団のアウトリーチ活動(2)

(1から続く)ロイヤルバレエ団が日本公演ツアーにあわせてアウトリーチ担当者デヴィッド・ピッカリング氏が日本においてアウトリーチ活動を行った際、たまたま筆者は友人である岩本沙弓氏を通じて京都の西総合支援学校とピッカリング氏のあいだを橋渡しすることになった。まずは、そもそもピッカリング氏はアウトリーチ活動として何を目指して何をしようとしているのかを明らかにするために、筆者はピッカリング氏に面会して議論することにした。

4.情熱

ソロイストとして舞台で活躍していたデヴィッド・ピッカリング氏は、ダンサーらしく背が高く端正な顔立ちである一方で、飾り気のない朴訥な雰囲気をもっている人物であった。筆者はピッカリング氏にロイヤルオペラハウスの職員用の最上階テラスへと案内され、天日の下におかれているソファに座った。手すりの向こうにはコベントガーデンの広場(ピアッザ)が見下ろせる。ソファは真夏の眩しい太陽に照らされてすっかり熱くなっていた。

そしてピッカリング氏は座るといなや、溜めていた言葉が溢れるように、彼のアウトリーチ活動とはいったいどういうものか熱い言葉で語り始めた。

ピッカリング氏は言う。バレエやダンスといったものは本来誰でも楽しめるものであるはずなのに、現実にはバレエを鑑賞しに来る人は、むしろ偏った社会集団だけである~つまり、経済的に余裕があり、バレエや芸術を楽しむということが生活の一部になっているような恵まれた家庭の子供達だけがロイヤルバレエを観に来る。

こんなことは当たり前になってしまっているが、実はこの状況は本来的ではないことであり、バレエの未来にとってもよいことではない。だからこそアウトリーチ活動を行って、そうした機会がなければバレエに触れることができないような人たちに、直接バレエを届けたいーピッカリング氏は熱い口調で語った。

彼はイギリス国内で常日頃アウトリーチ活動を行っているが、海外で初めてアウトリーチ活動を行ったのは、2008年に行われたロイヤルバレエ団の北京公演のときだそうである。そのアウトリーチ活動の成功裏に終わらせたあと、今度は長年つきあいがある日本でアウトリーチ活動をぜひ行いたいとピッカリング氏は強く希望していた。

ところが、彼のアウトリーチのために日本側に協力を申し入れたものの、反応が甚だ芳しくなく、状況はすっかり停滞したいた。ピッカリング氏からみれば日本社会への善意からの申し出であったというのに、それを実現させるための力添えが日本側から少しも得られなかったわけである。さぞ歯がゆいことであったろう。途方に暮れていたピッカリング氏は、こうこぼした。

「自分は日本の政治的な問題に立ち入るつもりは全くないのだがーそして、それにしても前々から思っていたのだがーどうもひょっとすると日本にはnationalというものがあまり存在しないのかもしれないね」

つまり、「national」という概念が存在しないゆえにアウトリーチ活動についての話が通じないのではないか、というわけである。

5.私たちのもの

おそらく多くの日本の読者にとっては、national(国立・国民的といった訳語があてられている)とアウトリーチ活動が並べられても違和感しか感じないだろう。実はnationalの言葉の裏にある精神とアウトリーチ活動にかける情熱は向きを等しくしている。だから、少し脱線するようだが、まずはnationalという、中学校で習う易しい単語であるはずの、いまだ日本で知られていない言葉の意味について、少し説明する必要がある。

ピッカリング氏は舞台に立つダンサーとしての役割を引退後、ロイヤルオペラハウスの教育とアウトリーチに専念する職についている。そうして、実際にイギリス各地をまわり、英国社会に直接バレエ・ダンスを届ける活動に邁進している。

ピッカリング氏の行っているアウトリーチ活動に「National Nutcracker」というものがある。これは、誰でも聞いたことはあるであろう、バレエのくるみ割り人形(The Nutcracker)を題材にした創造的ダンスの方法を、イギリス各地の学校の先生に伝えるという事業である。直訳すると「国民的くるみ割り人形」とでも訳すのだろうが、実際これでは肝心な「National」の意味が伝えられない。なぜこの事業に「National」という単語がついているのであろうか。

イギリスでは、チャイコフスキー作のバレエくるみ割り人形(The Nutcracker)は、クリスマス時期に定番のバレエである。主人公である女の子クララは、クリスマスの夜に魔法使いドロセルマイヤーの仕掛けにより、くるみ割り人形とネズミの軍隊との戦争に参加し、ねずみたちに勝利することでくるみ割り人形にかけられたいた魔法を解く。

ロイヤルバレエのくるみ割り人形はその中でも格別である。一流のダンサーたちと巧みな大道具の共演により見事に魔法の舞台を実現している。クララがねずみや人形の大きさに小さくなるとともに、クリスマスツリーは舞台の上で巨大に成長し、おもちゃの兵隊は目を覚ましてネズミの王率いるねずみ軍隊と戦いだす。真冬の夜の雪が舞台に降る中で雪片たちが踊りだす。このクリスマスにぴったりの、まさに魔法のような舞台は、特に家族連れから安定した人気を得ている。

しかし、イギリス全国で、いったいどれだけの家庭が「くるみ割り人形」を毎年楽しむことができるであろうか。高い席を家族分購入して、ロンドンに滞在して「くるみ割り人形」を観劇するのは相当な出費である。また、そのような出費ができる余裕があったとしても、それをバレエに振り向けるのは、普段からバレエ芸術に親しんでいる家庭に限られてくるだろう。この経済と文化の垣根がある以上、「くるみ割り人形」が国民に共有されているものとはとても言い難い。

ピッカリング氏は、全国津々浦々を周って、その「くるみ割り人形」のバレエを題材にした創造的ダンスやバレエのパフォーマンスそのものを学校の先生に届け、子供達に楽しんだもらおうとしている。そうして「くるみ割り人形(The Nutcracker)」をあらゆるイギリスの人々が楽しむことができるようになったならば、それはあれゆる国民のものになる。つまり、National Nutcracker=「国民のものである『くるみ割り人形』」になるわけである。

少々話が脇にそれるが、ロンドンの観光地のひとつでもある「国立美術館(The National Gallery)」のキュレーターが、国立美術館の名前のもつ意味について語るのを筆者は聞いたことがある。彼女は、「National」とは、誰かの私物(private)ではないということなのだよ、と明瞭に定義した。私物であったら、それを持っている一部のひとしかその美術を鑑賞することはできない。つまり、「National」とはみんなのもの、私たちのものである、ということなのだよ、と彼女は語った。

つまり、ピッカリング氏が英国で精力的に行っている「National Nutcracker」というアウトリーチ活動は、「私たちの『くるみ割り人形』」と訳すのが、おそらく最も自然で正確な訳になる。

そして、ピッカリング氏はアウトリーチ活動を通じて、バレエ・ダンスをNational=私たちみんなのものに、取り戻そうとしている。

(つづく)