英国のEU離脱劇から学ぶこと(1)分断した社会と離脱派の多数派工作

英国の国民投票結果がEU離脱を選択して以来、さまざまな解説が流れている。しかし日本の現状から直訳して自己投影で解釈してしまうと、今回の英国民投票に潜む普遍的な問題を日本社会が学ぶ機会を逸してしまう。

センチメンタルな自己投影・舌足らずな批判

どうやら日本における認識では、離脱派は「エリートには無視された民衆・労働者階級の反乱」とされているようだが、こういった言い方に潜む60年代的なセンチメンタリズムは、あまりに一面的にすぎて認識を誤らせると思う。ロンドン以外の経済が壊滅している英国において、産業も魅力もなく社会から忘れられた地域に住む人々~見捨てられて無視されつづけている人々~を中心に、積年の恨みと怒りがあったのは確かであろう。しかしそれは今に始まったことではなく、イギリスにおいては製造業をつぶし地方を見捨てたサッチャー改革にまで話はさかのぼるであろう。

また、怒りを率いる離脱派の看板は英国独立党党首のナイジェル・ファラージと保守党ボリス・ジョンソンという上流特権階級と結びついた保守派議員たちであったことはあまりにも奇妙である。少なくとも、その場限りの嘘を繰り出してきた彼らが労働者階級とともに働くとは到底思えない。

一方で、「右派ポピュリストの宣伝による反移民感情を煽った大衆扇動の結果」という説明もまた舌足らずだろう。まず移民数が少ないほど離脱派の数が増えるという逆相関とそぐわないし、旧来の労働党支持地域で離脱派が軒並み勝利した事実や、スコットランドで残留派が圧倒的に勝利したこと、これだけ国際化したロンドンで離脱派が40%も獲得したことをいずれも説明できていない。

このEU離脱を選択した国民投票後のイギリス~さらにそのような国とともに生きて行く世界~においては、国民投票で離脱派が勝利するに至った背景とともに、離脱派が勝利したことによる影響について冷静に分析する必要がある。そして国民投票という制度に潜む問題について考えておくことは、日本にとっても有用なことであろう。

大学というEUの残留派

今回の国民投票では、大学界隈の人々は圧倒的にEU残留支持で、まさか離脱の結果になるとは思いもしていなかった人が多い。たとえば科学者団体である王立協会はEUとの関係において英国内の科学研究がどのようなメリットをうけているかを分析し、離脱で失うものが大きいことを示したが、これはアカデミアの人々のあいだですら広まっておらず、筆者自身その文書を読んだのは国民投票終了後であった。離脱の結果が想像すらできなかったからこそ、悠長で内向きの態度に終始していたのだろう。

実際イギリスの大学、特に科学研究においては、資金からいっても人的交流からいってもヨーロッパと深い関係にあるために、EU離脱による実害=イギリスにおける科学研究の縮小と競争力の低下が懸念されている。

特にロンドンは、これまでベルリンと並んでヨーロッパの実質的な中心地というべき地位を得ていた。すでに世界言語となっている英語の地であり、かつ移民に対して開かれた社会であったことから、他の多くの分野と同様に、アカデミアでも、ヨーロッパにおけるロンドンの一人勝ちを誰もが予想していたと言っても過言ではない。そうした中で、突如としてイギリス国民が離脱を選択したのである。

こうして離脱が決定するとともに大きな衝撃と怒りが沸き起こり、その後は今にいたるまで葬式のような深い悲しみにつつまれている。アカデミアのイギリス人はことあればEU離脱の問題を話題にし、政治家の欺瞞を糾弾し、左右ともどもの政治の崩壊に絶望し、離脱に導いた人々に憤激している。かたやでヨーロッパ国籍の人々は、感情をかくすことなく落胆し、あるいは静かに失望している。これが離脱決定後一週間の光景である。

EUの一部であることには、国際的に通用するようなイギリスの大学にいる人ならば、研究資金や研究者のリクルートにとどまらずに感じる恩恵があった。

たとえば学生から研究者まで欧州各国間の交流が手厚くサポートされており、これが大学卒業者の自由主義的で公平な価値観を強固にし、友人関係や国際結婚といった個人レベルでの欧州各国のつながりを強めていた。欧州統合の正の側面を具現化していた場所といってもいいだろう。

この環境を現実として生きることで、08年の経済危機以来(ギリシャなどへの対応で典型的に見られたように)EU機構に近年どれほど欺瞞とほころびが目立つようになってもなお、欧州統合の理念の普遍性を強く信じてこられたのであろう。それが国民投票によって突如として瓦解されることになったのである。筆者もアカデミアにいる幾人かのイギリス人から「まるで大事な人が亡くなったように感じる」と聞いたが、それほどに大きな喪失感をもたらしている。

分断した社会

残留を当然とするのはアカデミアの人々だけではない。日本でいうところの旧帝大レベルの高等教育を経て社会に出るような人々は卒業後、経済・行政・政治といった社会の要職につく。そしてそうした要職にあるならば欧州との密な連携はまた当然ことになっていく。ロンドンを中心に移民社会への楽観主義が根強いことのひとつにはこうした背景があるのだろう。

ところがアカデミアという社会、あるいはロンドン中心部という閉じた世界を一歩外にでると事情は異なる。投票結果にみてとられるように、ロンドン以外のイングランドおよびウェールズにおいて多くの地域で圧倒的多数の人々が離脱派であるし、ロンドンでさえ、40%は離脱に投票したのである。つまりアカデミアは他の幾つかの社会集団とともに少数派なのである。

筆者は1年ほど前にイングランド中部の町に住む知人から、ロンドンの外では人々が「離脱、離脱」と叫び合っていると聞いたことがあったが、そういう空気の場所があるということについては正直信じられなかった。それが国民投票の翌朝に厳然たる数字として現れるまでは。

またEU離脱が決定した朝には、筆者はたまたま大学病院の中で看護師たちが「離脱、離脱するんだ!」と喜びのあまり叫んでいるのを聞き、困惑した。

つまり統計からいっても実感からいっても、ロンドン中心部におけるアカデミアというEU残留を当然とする環境が二重になっている世界からは、その外の世界がまったく見えないのである。そして、離脱に歓喜する人々から、EU残留を当然と思う小社会の中は見えないはずである。それほどに人的な交流が断絶している。

離脱派の多数派工作

EU離脱派の一翼は、英国独立党(UKIP)の党首ナイジェル・ファラージが担った。ファラージはルーマニアなど東欧のEU圏からの移民を特に敵視しており、彼らの自由な移動によって英国民が被害をうけているという主張を繰り返している。そしてその移動を止めるためにはEU離脱が不可欠であるというのである。

ファラージは名の知られた政治家としては珍しく高卒の学歴であり、そうした「庶民的背景」が彼とUKIPへの支持を押し上げているようである(ただし彼はパブリックスクール出身、すなわち高額な学費の私立中高一貫校を卒業している)。ファラージは、しばしばエール(茶色の色が濃いビール)の大きなジョッキを片手にした写真でメディアに登場するので、一度はこうした写真を見たことがある人も多いだろう。イギリスにおいてエールは庶民のアルコールであり(実は中流階級の上の方はワインを好む)、ファラージが自らを庶民派として売る政治的な方策のひとつであると考えられる。

2014年の欧州議会選でUKIPが勝利した地域は、今回の国民投票でも離脱派が多数であった地域とよく一致する。ファラージが主張してきた反EU・反移民がこうした地域に浸透し、国民投票の離脱決定に寄与したひとつの因子となっていることは間違いがなかろう。

しかしこれは、ファラージの主張が論理的に受け止められた結果とは考え難い。なぜならば、こうしたUKIPの牙城は移民が少ない地域=海外からわざわざ来たいと思うような産業や魅力があるわけではない地域と重なってくるのだから。

それでもUKIPは明らかに異端児であり、社会の主流派がなびくような対象ではなかった。ファラージが離脱キャンペーンのために用意したポスターは、何千もの難民が行進する写真であり、難民への人種差別的嫌悪感を煽るものとして、残留派からのみならず離脱陣営からも距離をおかれた。

さらに重要な点は、UKIPが勝利したといわれる2014年の欧州議会選挙でも、UKIPの得票率は投票全体の4分の1程度でしかない。国民投票で50%を超える得票をするには、UKIP的なものの外にも支持を広げる必要があった。

左派言論のハイジャック

この状況下でファラージが参加したEU離脱キャンペーンが勝利したことの背景には、ファラージに加えて前ロンドン市長ボリス・ジョンソンが加わったことの効果と、キャンペーンでの論点を左のほうに広げていった効果が大きいだろう。この2つの要因は、EU離脱キャンペーンが、人種差別的行動を忌避するという社会の右側方向に確固として存在した防波堤を打ち破り、社会の中心に浸透した大きな原動力になった。

本格的なキャンペーンにおいて離脱派は、ほとんど見境なく左派的な主張をハイジャックしていく。まず、EUを離脱すればEUに払っていた週あたり3億5000万ポンドの予算が浮くので、英国の公的医療健康保険システムであるNational Health System (NHS)に回すことができると説いた。(この数字に根拠がないことについてはEU残留キャンペーン側から反論されていたが、ファラージは実際国民投票直後にこの公約を撤回している。)

さらに、離脱派はEUから離脱すれば欧州市民がイギリスから撤退するため、住宅価格が下落するという宣伝をしはじめた。ここで思い返したいのは、ほんの2ヶ月前に、現ロンドン市長・サディク・カーンが労働党から出馬して選挙戦に勝利したのだが、このときの公約のひとつは住宅危機への対応であった。ロンドン市を中心に国内外の大金持ちの投資行動に乗っ取られてしまい、普通の人が家を買う事が不可能になり、さらに賃貸も法外な値段になってきている状況で住宅危機が大きな争点になっていたのである(筆者の記事参照)。

そしてこの住宅への投機活動は加熱してロンドンから離れたイングランド地方の小さな街においてさえ、「休暇用の家」を買って自分たちは住むことはしないというロンドンからの大家が増えて、もともとの住民が追い出されて街が空き家になっていくという異常な事態になっていた。

今後の統計調査を待つ必要があるが、離脱キャンペーンが行ったNHSと住宅危機への対応という左派的な主張が庶民から中間層に浸透していった可能性について考慮する必要がある。

2へ続く