放射能恐怖という民主政治の毒(3)権威の失墜とその責任

放射能恐怖という民主政治の毒 (2)英国の経験から続き

人々は怒りの表情で言う。3.11直後にメディア・大学関係者・政治家・行政関係者・電力会社が、自分たちには安全といいながら、情報を隠していた、と。「情報隠し」は、ひょっとしたら単純に官庁の非効率さが原因だったかもしれないし、あるいは保身のための隠蔽があったかもしれない。少なくとも多くの行政機関で情報公開が進んでいなかったことが問題を大きくした。

さらに人々は囁き合う。彼らは特権的立場を利用して、自らだけ被曝から逃がれようとした、と。こうした話の中には意図的なデマも入り込んでいるだろうが、関係者は無視をしてはいけない。事実でないものなら強く否定しなければいけないし、仮に事実が存在したならば、経緯と責任は厳密に検証されなければならない。もしこうした噂の中に事実であった話が含まれているとしたら、そしてその清算をせずに放置すれば、あたかも癌を放置したときのように、やがて日本社会のあちこちに転移して深刻な病を引き起こすだろう。

権威 (1)という言葉は語感がすっかり悪くなってしまったが、本来的には権威は人間社会の円滑な運営にとって無くてはならないものである。ここで言う権威は、盲目的に上下関係を押し付ける権威主義とは全くことなる。 あえて定義すれば、 専門性や政治的な仕組みを、個人を超えて社会の中に結晶化した存在といえるだろう。

たとえば、社会が放射線のような高度に専門的な問題を抱えているとき、人々は放射線専門家の言うことを聞きたいはずだし、聞く必要がある。こうして公衆から意見を求められた専門家は、自分個人の私的な意見を述べるのではなく、専門家業界の科学的常識と広い合意事項を、正確かつ平易な言葉で伝えることが使命になる。つまりこのとき、専門家は個人ではなく業界を代表しており、ここでの「権威」は、その専門家個人ではなく、たとえば放射線学会という業界の歴史であり、社会的立場である。

こうして各専門分野に信頼できる権威が存在してこそ、この複雑化した現代社会は円滑に運営できる。権威は社会の安定に必要なのである。

ところがここで、放射線の問題について、多くの人が放射線専門家よりも全くの素人の言うことのほうを信じるようになったとしたら(2)、社会は専門性を失い、未開の社会に逆戻りを始める。

東日本大震災は東日本の大きな範囲を破壊した。しかし多くの人の献身的な努力で驚くほどの速さで復興はなされてきた。一方で、社会の様相が同じように復興されているとは言えない。むしろ震災直後には一見健全にみえた社会が、時間とともに荒み朽ち落ちてきたようにすら見える。

この荒れ果てた社会を眺めていえると、日本に存在した権威は、戦後70年もたった今においても、どうやら、身分社会に由来する権威、つまり「お上」(上流階級)という権威に支えられていたのかもしれない、と思わざるを得ない。もちろん、戦後のより平等な社会のなかでこうした権威は多かれ少なかれ自然に合理的な理性に移行しつつあった。しかし理性に基づく社会的合意だけに支えられた、真に近代的な権威はまだ確立していなかったのかもしれない。

権威というのは、本質的に構成員が交代可能なものだ。たとえばそれが委員会なら、委員長やメンバーが誰であれ、その委員会は(政治的な方向性や方針が変わったとしても)根本的なところでは一定の質を保つことを要請される。別の言葉で言えば、個々のメンバーが、自分が実現したい方針や個人の利益をはるかに超えたところに、「委員会の権威を守る」という基本事項がある。したがって、この権威そのものを私益のために毀損した人物が出てしまたっときには、その個人を厳しく処分することで、権威そのものを守る。

残念ながら、福島原発事故とその後の対応は、メディア・行政・政治家・大学・医療といった日本の重要な権威をいくつも毀損した。こうなってしまったのは、権威に責任があった要職の人々の不適切・不十分な対応に原因があったと思うし、この経緯と責任の解明は今後十分になされるべきと思う。

一方で、相当数の人々の心の中で権威がすっかり壊れてしまった現状については、これを緊急性のある問題として相当深刻に受け止めるべきだ。とはいっても、もはや旧来然とした権威を取り戻すことはできない。この混乱に乗じて時代に逆行する動きがあったとしたら、それは強く戒められるべきだ。専門家らその立場にいる者たちには、日本の権威を近代的な権威として構築しなおす緊急かつ重大な責任があるのだから(これについては後日あらためて詳説する)。

多くの人が、震災で明らかになった行政とその関係者の腐敗を目にして、絶望的な気持ちになった。「マスコミは電力会社に買収されているから、ネットの中に真実を探すしかない」「政府と御用学者は保身のため情報を隠し嘘ばかりいう」「御用学者と無縁な科学者だけが信じられる」と考えはじめるようになり、あげくには人々は「真実を語る人」を求めてさまようことになってしまった。

しかし残念ながら「真実を語る人」は存在しない。我々にできるのは、真実に少しでも近づくために現実にはたらきかけ、語り合い、読み、あるいは書くことだけであり、この不断の努力だけが我々をかろうじて真実の方向に繋ぎとめるのだから。

こうして存在しない「真実を語る人」を求めた時、何が呼び寄せられてしまったのだろうか(つづく)。

文献・注釈

1. 英語のauthorityに相当。

2. 小野昌弘 (2013)「美味しんぼ問題」の原因は政治の機能不全にある (リンク