嘘とポエムと内部告発

1.その場しのぎの嘘

どうやら今の日本社会では「その場しのぎ」がかつてないほど流行しているようだ。STAP騒動の顛末は、そもそもの始まりの論文作成から今の理研の対応に至るまで、「その場しのぎ」で塗り固められた不祥事であったことが明らかになってきた。ES細胞やiPS細胞とちがって胎盤にも胎児にもなる能力があるとしてNatureの論文になったSTAP細胞は、(すくなくともその該当実験は)胎児になれるES細胞と、胎盤になる能力のある幹細胞「TS細胞」を混ぜたものであった可能性が高いことが、理研の遠藤高帆・上級研究員による独自のデータ解析により明らかにされたという。

こうした小細工で無意味なデータをつくり論文を出しても、やがてぼろが出るのは明らかだ。どうしてそんなことをしたのだろう。科学の進歩ということについて少しでも理解しているひとならば、まさかそんなことはしないだろうと思う、信じ難い話ではある。

しかし、われわれの生きている社会が、その場しのぎで嘘でも何でも許されて、それどころかむしろ得さえしてしまう社会ならば、こうした信じられないような事態が横行しても、さして不思議ではない。

考えてみれば、これはSTAP騒動に始まった話ではない。つい数年前の未曾有の原発大災害で、東電や政府、官僚、科学者がその場しのぎの嘘や言い訳ばかりすることで、事態に明確な責任を誰もとらないまま今日に至っている。証拠捏造して冤罪をつくりだしてきたことが明らかになった検察組織も、同じように誰も明確な責任をとらないまま、今や何事もなかったかのようにふるまっている。

やはり今のわれわれの社会は上から下まで腐敗して堕落しきっているのかもしれない。

そもそも人間の行動や研究、作品といったものは、いずれ歴史の審判を受けるものだ。こういう、歴史を学ぶ上で一番大事なことが理解されないまま忘れさられている。歴史が評価すると意識していれば、小手先のごまかし、その場逃れの嘘、誇張はできない。 

ましてや今はインターネットの時代だ。情報はかつてないスピードで広がり、昔なら数年かかったであろうSTAP論文の検証が、SNS(11jigen)・科学者ブログ(kahoの日記Stem Cell Blog)・論文審査内容を公開する雑誌F1000Research上におけるSTAP論文データの検証といった新しいプラットフォームのおかげで、ほんの数ヶ月でSTAP騒動に片がついてしまった。

STAP騒動の根底には、日本の医学生物学研究がもつ深刻な構造的問題がある。随分前から、論文における中核的存在であるデータそのものについての信頼性は、第一著者ら若者の肩だけにかかってきた。つまり、教授らシニアの怠慢のために、若者が職務と真実への忠実さを持って人並みならぬ努力をしなければ、論文の信頼性が保てないのだ。それなのに、大学の上層部のひとたちは、若者らの雇用環境を改悪して彼らの未来を潰しつづけてきた。一方で、旧帝大で始まった上層部の教授たちによるお手盛りの優遇策はとどまる所を知らず、理研もそれを真似しようとしたときにSTAP事件が起きたのだった。

腐敗は、随分前に、上のほうから始まった。そして今や社会を支える根っこのところまで腐敗が広がっている。STAP騒動はその結末の一つの形に過ぎない。

2.公益通報

STAP事件のように、上から下まで利益を共有するひとたちがつるんで、その場しのぎの嘘や言い訳で塗り固められてしまったとき、その問題を知ってしまった個人ができることは、内部告発という方法以外にはなかなかない。

実は、日本には公益通報者保護法という法律があり、大学・企業を含めた全ての事業者に対しては公益通報の窓口を設置することが定められており、「公益のために事業者の法令違反行為を通報した事業者内部の労働者に対する解雇等の不利益な取扱いを禁止する」とされている(厚生労働省リンク)。

私はこれをふまえて、Natureの編集部論説記事「変わるための機関」に対する反論を同雑誌に送付した。Natureの同論説記事は、日本の研究不正には奇妙な例が多いと決めつけて、アメリカ型の研究公正局を作れという指示をする、偏見に満ちた上から目線の論説であった。(もう一言いうならば、STAP論文は理研とハーバードからの論文なのだから、本件でアメリカ型の研究公正局の存在が役に立っていないのは自明なのに、である。これでは日本を狙い撃ちして信用を落とすことでNatureの責任を逃れようとしているとしかいえない)

予想通り、私のレターは紙面への掲載は断られたので、同文章を記事の下にコメントとして貼付した(「変わるべきなのは誰か?」)。ここでは、現状で政府機関を増設しても効果は期待できないということと、むしろ既存のメカニズムを最大限利用すること、特に(公益通報者保護法を念頭に)内部告発者保護の仕組みを生かして、(立場の弱い)若者が、(上層部の)シニアたちに率直に意見を言える環境をつくっていくべきだということを述べた。(ついでに言うと、「変わるべき機関」にはNatureも含まれるのをお忘れなく、というのがこの文のメッセージである)

3.ポエムと内部告発

STAP事件と内部告発と言えば、STAP論文の問題点を指摘したオホホポエムという怪文書の存在があったそうである(私自身は5月の尾崎氏(@TJO_datasci)のツイッターで初めて知った)。この文章の作者も明確な意味も不明だが、どうやら今回のSTAP事件において、問題が明るみに出る状況をつくった一つの因子であったようだ。

この通称オホホポエムは2chへの投稿で、「ポエム」と呼ばれているが、内容は詩というより、隠語に満ちたおとぎ話(fairy tale)である。実は、こうした隠語による会話、おとぎ話化したうわさ話というものは、日本の大学では決して珍しいものではない。私自身、京大にいたころは研究室の先輩にこうしたおとぎ話をよく教えてもらったものだ。もっともこれは決して健全な状態ではない。隠語に頼らなければならない状況は、上部の圧倒的な権力ゆえに息苦しくなった小社会に生きていることを意味しており、下の者たちは理不尽な現実をおとぎ話として解釈しなおすことで日々を耐え忍ばなければならないほどストレスに満ちた環境にいるということなのだから。

今回のオホホポエムは、少なくともそういう状況に慣れた人物が作者のように見える。そして、その分野の科学者でなければ書けないような細部にまで立ち入った内容である以上、ただのいたずらにしては手が込み入り過ぎているように見える。未だに真実は定かではないが、ひょっとすると、理研という組織の中からのかろうじての抵抗であったのかもしれない。

しかし、匿名でできる方法は逃避や攻撃にはなっても、息苦しい社会の雰囲気を和げることはできないし、問題の根本的な解決につなげることも難しい。

だからこそ、理研の遠藤高帆・上級研究員が顔と名前を出して、データによりSTAP論文の根源的な問題を指摘、明らかにしたこと(上記)は、大きな救いだ。日本の狭い研究者世界で、理研というトップダウンの組織で、上層部への異議をはっきり唱えることがどれだけ困難なことであるか。しかも一連の経過で、理研の上層部はその場しのぎの対応で有耶無耶にしようとしていることが明らかであったのだ。この状況で、決して立場が強いわけではない若い研究者が勇気を出して真実に仕える生き方を世の中に見せてくれたということは、一連の経過の中でおそらく最も重要な出来事であり、大きな賞賛に値する。

しかし残念なことに、遠藤氏の勇気をもった告発に対して、理研(*)は「この結果だけではSTAP細胞の存否を結論付けることはできない」として、理研内の再現実験チームの検証結果が出てから慎重に判断するといって、正面から答えることを避けた。のらりくらりと逃げるつもりかもしれないが、今や組織としての体面を気にしても滑稽なだけだ。むしろ、理研が健全な組織として再生するためには、遠藤氏のような存在をどれだけ大切にできるかにかかっていると言えよう。

注 * 理研の誰の言葉であるかは記事からは不明