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原発技術神話崩壊から10年 技術信仰と食の安全

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

◆あれから10年が経った

 テレビで時の最高権力者が壊れたレコードのように、「国民の安全安心」を繰り返している。それに続いて、次の位の権力者たちが、テープレコーダーのように同じ言葉を繰り返す。福島原発事故から10年が経ち、東京オリンピックがコロナ禍で強行される。そういえば、東京オリンピック・パラリンピックで当初掲げられたアピールは「東北大震災復興のあかし」だった。いつの間にかそれは消え、「コロナを克服したあかし云々」にとってかわった。“壊れたレコード”をテレビで聴きながら、彼らが言う「国民の安全安心」とは一体何なのだろうと思う。

 福島原発が破裂して一か月後の4月中旬から下旬にかけて、福島の農村を歩いた。農地の放射能汚染がひどく、農家に「田んぼや畑に出るな」「何も植えるな」という指示が出されていた。「早くジャガイモを植えなければ間に合わなくなる」と訪ねた家の主人がやきもきしていた。「百姓は耕してなんぼ、種をまいてなんぼ、だもんなあ」とその家のおかみさんがため息をついた。乳牛を飼っている家では、毎朝乳を搾り、捨てていた。乳牛は毎朝絞ってやらないと乳房炎になってしまうのだ。

 こうして農の営みは長い中断に追い込まれた。爆発した原発やその周辺地域では、農民は農地を捨て、農業からの撤退を余儀なくされた。原発破裂は科学技術の発展とか発達とか進歩とかいうことについての疑問を生みだした。原発破裂前、たいがいの人は原発の安全性を疑わなかった。それには理由がある。ほとんど全員の専門家が「原発は安全」といったからだ。原発は危ないといっていたのはコンマ何パーセント以下の専門家(それも下っ端)と素人の運動家だけだった。これでわかったことは、原発の安全神話は技術信仰と表裏一体だったということであった。

 そして10年が経った。人びとの科学技術信仰はどうなったか。農と食に関して言えば、絶好の教材をいま政府が提供してくれている。農林水産省がこの5月に出した「みどりの食料システム戦略」(以下「戦略」)と題する文書だ。

◆農民も消費者もいない農と食の戦略

 「戦略」はある意味で政府がこれから進める農業政策の流れを定めたものとみることができる。2050年までに(これから30年後)合成化学農薬の使用量を30%、化学肥料の使用量を50%低減し、耕地面積に占める有機農業の面積を25%、100万ヘクタールにまで広げる。これだけ見れば、食べる側にとってまさに夢のような農業が出来上がる。ちなみに現在の有機農業面積は、耕地面積の0・5%程度とされている。

 筆者が共同代表を務めるNPO法人日本消費者連盟は4月12日、まだ中間とりとりまとめ段階だった「みどりの食料システム戦略」について、パブリックコメントを農林水産省に出した。消費者の立場から見解を取りまとめたものだ。「戦略」では、農と食の一方の当事者である消費者を主役の1人であるとは捉えず、単に働きかけられる存在としてしか見ていないこと、「戦略」における有機農業の捉え方が、農の健全さと食の安心を求める食べる側の考え方にそぐわないことを指摘、考え方を改めるよう求めた。実は、この「戦略」はもう一方の当事者である農民、食べものをつくる側の農民についても、主体と見ておらず、操る側とみなしている。

 そこで、パブリックコメントには次のように書いた。

ーー「戦略」における消費者の位置付けは、「消費者の行動変容の促進」といった言葉に表れています。 消費者を「行動を変容させる」対象としか見ていないことがわかります。そうではなく、消費者は「農業と食料」に関して責任ある主体であると見るべきです。作る側と食べる側が、お互いの立場を理解し合い、協力することで、健全な農と食のあり方が作られるのです。

 「戦略」は有機農業推進を表看板に掲げている。この国の有機農業をつくってきた歴史を見ると、産直、提携といった有機農業運動が創造し、発展させてきた流通システムは、食をつくる側と食べる側が共同してつくってきた。食べる側はそこから生産過程にも参画した。パブリックコメントでは、「戦略」は消費者に対する見方を改め、有機農業発展の主役として位置づけるべきと指摘した。

◆「次世代有機農業」というが

 より重要なのは、「戦略」の基本的な考え方であった。「戦略」を形成している基本的な思想は、「生産力の向上と持続性の両立」という言葉に象徴されている。ここでいう「生産力の向上」とは、人工知能を駆使するAI農業と、遺伝子組み換えやゲノム操作といった生命操作技術を駆使する農業だ。これら最先端の技術を取り入れることで、労働生産性を高めて政府の成長戦略の一環に農業を組み入れると同時に、国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)達成に寄与することをうたっている。農業の持続性を損なっている農業者の高齢化や集落の消滅、気候変動による農業生産へのマイナス影響に対応する、というのである。

 AI農業というのは、ドローンによる農薬散布、自動運転のトラクターやコンバイン、田植え機を駆使するスマート農業のことを意味する。5Gやその次の通信規格である6Gの完備、ビッグデータの活用が前提となる。「戦略」の目玉ともいえる農薬や化学肥料の低減では、合成化学物質に代わり家畜や作物の免疫力を高めるためのゲノム操作が主流となる。土壌微生物や家畜類、作物が改造され、病気や冷害、干ばつ、高温など迫りくる気候変動に強く、収量や増体力の高い作物、家畜が登場する。

 「戦略」はこうした農業を「次世代有機農業」と名付けている。消費者は安心して食べられる農畜産物を求めて、生産者と手を組んで有機農業を進めてきた。有機農業の技術の核心は、お日さま、土、水、そして植物や動物が本来持っている生命力を活かすことにある。つまり自然こそが、有機農業の核心なのだ。

 これは有機農業だけでなく、農業全般に言えることでもある。農業の本来の生産力とは、自然の生命力を営農の中に取り込むことによって得られるものである。ここに農業生産活動の本質がある。しかし、「戦略」が依拠するAIや生命操作技術は、自然性を排除することによって成り立つというところに本質がある。まさに正反対の技術思想であり、有機農業とは似て非なるものということができる。農業から自然性を排除するということは、生命性を排除することに他ならない。自然性、生命性を排除された農業からつくられる食べものを安心して食べることなどできない。

◆農と食の分野で拡がる技術信仰

 この技術思想は日本だけでなく世界中に拡がっている。日本政府はむしろその後追いをしているに過ぎない。2021年9月、国連はニューヨークで「食料システムサミット」を開催する。

 原発破裂の背後に技術神話があったと冒頭で書いた。この10年は、その反省から出発したはずだった。そして今、私たちのくらしのもっとも根源的な部分、生命を再生産する農と食の分野で、人工知能と生命操作という最先端技術に全面的に依拠する技術信仰が上からかぶせられているのである。

◆農も食も“生身”の営為のはず

 ではこの現実にどう向き合うか。ぼくが住む済む秩父のような辺境の地で最近面白い現象が起きている。もう30年ほども前、秩父市内のいたるところに農家が運営する無人の野菜販売小屋があった。それが次第に姿を消した。じいさんばあさんが引退し、その後の世代はこんな割に合わないものは敬遠したからだ。それがいま復活しつつある。街のはずれの道路脇や畑の隅に、小さな無人野菜直売所がいくつか出現した。小さな直売所は、買い物難民となった地域のお年寄りに愛され、みんな「おいしいね」といって買っている。

 農業生産の現場はAIと生命操作技術で武装し、食は加工食品、野菜もカット野菜となって農も食も身体性を捨て工業化されていくが、作る方も食べる方も生身であることに変わりはない。生身の、身体性をもった確かな農業と食に立ち返ることで、何とかなるのではないか。田舎町に復活した無人野菜直売所を眺めながら、そんなことを考えている。(了)

初出 『まなぶ』2021年7月号

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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