TPPとは何か(4)国益論と国家主義の罠
TPPを語るとき、常に出てくるのは「国益」あるいは「国家主権」という言葉である。この言葉からはそれぞれの地で生きる具体的な人は見えない。そんなTPP像があることを2011年のAPECホノルル会議でであった太平洋の先住の人びとから教えられた。国内では見えないTPP像である。ヨーロッパが新大陸や太平洋の島々、オーストラリアなどを「発見」して以来続く植民地化とそこに住む人々の生存の権利やそのための地域の資源の収奪が、グローバリゼーションのもとで最後の段階を迎えていることが、ホノルルでAPEC首脳会議と並行して開かれた民衆会議「MOANA nui」会議のなかでも、当事者の先住民から再三にわたり指摘された。
ハワイからの報告者のひとりは、自分と家族はホノルル国際空港の建設で強制退去になった経過を語った。
「祖先はここで魚を捕ってくらしていた。海がコンクリートに変わり、くらしがたたなくなり、家族はばらばらになった」
「ぼくは今日この会場までバスで二時間かけてきた。乗っているのはみんな有色人で白人は一人もいない。白人は乗用車で移動する。これがTPPなのだ」
日本のTPP反対運動はもっぱら国内の問題を被害者の視点で語る。確かに農業も医療制度も労働現場の規制緩和も重大事であり、人々の生存権そのものにかかわる問題であることはまちがいない。同時に私たちの運動は、彼ら先住の民がいう世界の現実ともっと向き合う必要があると、ホノルルの街頭で改めて考えた。
日本は世界ではまぎれもなく経済強国である。私たちの運動がアメリカからの経済侵略を心配するだけでは、余りに内向きで、国家主義の罠に落ち込む恐れさえある。アジアや太平洋、中南米に進出した日本の企業が環境破壊や人権侵害をおこした事例は枚挙にいとまがない。
TPPは、投資に自由の名の下に企業に大幅な権限を与える仕組みを内包している。ISD条項(投資家対国家間の紛争解決条項)といわれるものだ。これを使えば、締結国に進出した外国資本は、進出先の国の法律や制度、慣行で投資に見合う利益を上げることが出来なかった場合は、その国を世界銀行の国際仲裁委員会に訴えることが出来る。NAFTA(北米自由貿易協定)や韓米FTAなどにも盛り込まれており、NAFTAの場合、メキシコやカナダに進出した米国企業が環境汚染を引き起こし、進出先に法律によって操業停止などの処分を受けたにもかかわらず、「投資に自由を阻害し、損失を被った」と相手国政府を訴え、賠償金を獲得した事例がある。
この条項をもっぱら訴えられる側からの視点だけで捉え、「日本の主権が侵される」という言説が日本のTPP反対運動ではまかり通っている。だが、日本は世界ではまぎれもなく経済強国であり、アジアや太平洋、中南米に進出した日本の企業が環境破壊や人権侵害、労働者への弾圧などをおこした事例は枚挙にいとまがない。私たちの運動が米国からの経済侵略を心配するだけでは、あまりに内向きで、国家主義の罠に落ち込む恐れさえある。
TPP反対運動は日本国家と日本資本がもつ加害の側面を見据える運動を組み立てなければならないと思う。日本はTPPによって被害を受けるかもしれないが、他国に被害を与える側にもなりうるのだ。現実に、日本におけるTPP反対運動に日の丸が林立し、「TPPは亡国の道」とか「国家主権を侵す」という言説がとみに目立つようになった。TPPに抗する運動が、安易に「ナショナリズム」「排外主義」と結びついているのである。こうした動きに対抗するには、1パーセントのカネ持ち世界をoccupyする世界の99パーセントの民衆と手を結ぶ運動を構築するほかない。