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【貧困の連鎖の中の牛丼】(下)時代の負の部分を背負うC級国民食

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

◆「金妻」の時代から遠く離れて

1970年代後半、ニューファミリーという言葉が流行した。団塊の世代が60年代末の学生騒乱の時代を経て世帯をもった時代だ。夫も妻も大学を出ている。郊外にローンで家を確保し、時代に敏感で、家族は夫婦だけ、もしくは子どもがいる単婚世帯。一見仲がよくて、友達夫婦などという呼び方も流行った。1971年には、いまでは都市の限界集落化している多摩ニュータウンが入居を開始している。

一億総中流化がいわれ、それを大衆消費社会と命名した社会学者もいた。テレビドラマ「岸辺のアルバム」が評判を呼んだのが1977年。中流家庭の崩壊を描いた。幸せの中の不安が人々をとらえていた。共同通信の花形記者斎藤茂男の取材グループが長期連載した「妻たちの思秋期-ルポルタージュ日本の幸福」が評判を呼び、1982年に単行本化されてベストセラーになった。企業戦士の男と妻の物語だった。1983年、TBSで連続ドラマ「金曜日の妻たち」が始まった。郊外の住宅街で、ニューファミリーの男と女が紡ぐ不倫のドラマである。「金妻」という言葉がはやり、高視聴率を記録した。

ニュータウン、ニューファミリーが「金妻」を生み、そして牛丼を育てた。いまでこそ幾つもの牛丼チェーンが覇を競っているが、その先鞭をつけ、牛丼をラーメンと並ぶ日本人のC級国民食にまで広げたのは吉野家である。老舗とはいえいっかいの築地の牛丼屋だった吉野家が各地に店舗展開を始めたのは70年代初めである。

当時の吉野家のキャッチコピーは「うまい・はやい・安い」。時代の本質をずばりとついた実に秀逸なコピーである。簡便さとこぎれいさが目立つ吉野家のカウンターで、「牛丼並」と一声かけると、1分と待たずに目の前に丼が現れ、それを2分でかきこんでチャリンと硬貨をおいてそそくさと立ち去る多くはスーツを着たサラリーマンだった。65歳定年を迎えたか迎えようとしている団塊の世代の男たちの若き日の姿だ。

◆早い、うまい、安い!

彼らは二つの顔をもっていた。ひとつは経済成長をひた走る日本経済の最先端をになう企業戦士としての顔。もうひとつは郊外に一戸建ての洒落た家を構え、専業主婦の妻とマイホームを築く家庭の顔。高学歴どうしのカップル、子どもは一人か二人。ニューファミリーの夫。

「妻たちの思秋期」「金曜日の妻たち」などニューファミリーを主人公とするこれらの物語には、繁栄に酔いしれる日本の都市のくらしの足元に忍び寄る人びとの不安や孤独、そして貧しさが埋め込まれていた。郊外の瀟洒な戸建て住宅はしょせん借金の塊だったからだ。繁栄の負の部分の象徴が、C級国民食牛丼チェーンの繁盛だったのかもしれない。郊外のマイホームを拠点に,専業主婦の妻たちは、生活クラブ生協の活動に生きがいを見出し、夫たちは牛丼をかっこみながら働いてマイホームの借金を払い、妻の社会活動を支えた。

時代の波にのって店舗拡大を続けてきた吉野家は1982年に倒産、83年にセゾングループが参加して現在に至る。倒産後、最初の社長に就任したのは大口債権者の新橋商事という会社の社長だが、その社長は債権者会議の席上、「これからは本物の牛肉を使いますから大丈夫です」と語ったと食品評論家の郡司篤孝さんは書いている(安達生恒・大野和興・西沢江美子編著『食をうばいかえす!』有斐閣、1984年)。だが、老舗の家業としてはともかく、大量生産・大量消費に乗った外食チェーンとして牛肉を素材に「うまい」と「安い」を両立させるには時代が早すぎた。当時牛肉は自由化されておらず、海外からの安い食材が輸入ができなかったからだ。質を落として乗り切ろうとしたが、客足も遠のいた。

1991年4月、アメリカの厳しい要求をしのぎきれず、政府は牛肉とオレンジの自由化に踏み切る。牛丼の材料となる下級肉が安く大量に手に入り時代の到来である。経営再建の終えた吉野家、60年代後半に中華と牛めし定食屋からはじまった松屋、80年代初めに開業したすき家といった牛丼チェーンが一気に店舗と売上げを拡大していった。牛丼黄金時代に始まりである。

バブルがはじけ、経済のグローバル化が進み、格差と貧困が拡大した。若者は正規の職に就けず、年収が200万円あればうらやましがられる時代。その先頭にいるのが、氷河期世代と呼ばれる、かつてのニューファミリーの子どもたちだ。牛丼チェーンは食の値下げ競争の先頭を走り、氷河期の若者はそれをかっ込んで餓えをしのぐ。すき家を展開する(株)ゼンショーは99年から2008年にかけての10年間で売上げを14倍に伸ばした。そのゼンショーはいまアルバイト店員に残業代を払えと訴えられ、敗退したことは(上)で述べた。

そしてこの2月1日から、政府はBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)の牛肉が入ってくるのを抑えるためにとっていた厳しい輸入規制を大幅に緩和した。TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加の前提条件として米国が日本に強く要求したいたものだ。米国では2012年にもBSE感染牛が発生、米国内の監視・規制は抜け穴だらけの定評があるが、経済を前に食の安全は敗退した。

牛丼にはいつも時代の負に部分がつきまとっているようだ。やはりC級なのだろう。

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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