Yahoo!ニュース

五輪報道で何に注目するか 〜異常事態で問われるジャーナリズム

奥村信幸武蔵大教授/ジャーナリスト
(写真:松尾/アフロスポーツ)

こんな形で「始まってしまう」オリンピックをフェアに伝える「報道」とは、どのようにあるべきか、このところ考えていたのですが、整然とまとまった「論」のような形にはならそうもありません。

しかし、もうイベントは始まっています。競技に関する「情報の洪水」が訪れる前に、少しだけ落ち着いて頭の中を整理しておきたいと思い書いています。私たちがこの「歴史的」な出来事を検証するために、メディアが貢献できているのか、ジャーナリズムの真価が試される大事な局面だとも思われます。

1)「権力の監視」の機能を果たすために

新型コロナウィルスの国内での感染拡大が深刻な中、五輪の「バブル」の中でも次々と感染や濃厚接触者の情報が出ています。現実となってはならないと思いますが、万が一、今後感染が拡大し、医療のリソースが決定的に不足する事態が訪れた際に、公正な優先順位の判断がなされているか、厳しく見守ることがメディアに求められるでしょう。

「安全・安心」というお題目だけを言い続け、それをいかに実現するのかという具体的な「How」をほとんど説明しない首相を追及し切れなかった最近の記者会見などを見るにつけ、国民の命にもかかわる重大な局面を見極め、斬り込み、スピーディーな検証ができるかどうか、少し心配です。

五輪報道の陰で「報道されない出来事」が増えるのが心配です。合理化が進むニュースメディアでは、人員配置によって、「情報はあるけど出しどころがない」のではなく「そのような情報をそもそも取ってない」ことが発生する事態が起きないか懸念されます。

新型コロナでダメージを受けている社会を見つめるというのは、街で「五輪どころではない人たち」を探し、五輪報道と比較すると非常に見劣りする、そしてネットなどでも注目されない情報を、わざわざ発信するということです。メディアの経営者レベルで、注目されない、カネにならない営みを、どれだけやろうと覚悟を決めるかという問題のように思えます。

2)いかに「五輪以外の報道」に時間やスペースを確保するのか

情報の収集だけではありません。一般市民と海外からのゲストである五輪関係者、国内の地域格差、経済を維持するために特定のセクターの活動を制限する措置など、事態が深刻であればあるほど、報道のボリュームは増えるはずです。

しかし、競技が始まってしまうと、スポーツのパフォーマンスや試合結果に注目が集まってしまう強い力が働きます。我が家も21日夜の女子サッカー日本対カナダ戦を息子といっしょ声援を送ってしまいました。ニュースの消費者に対し「みなさん、五輪以外のニュースもキャッチして」という、やせ我慢に近い「べき論」は意味がないように見えます。

反対に、純粋にスポーツの素晴らしさに触れる機会なのに、頭の片隅に「こんなことしていていいのだろうか」という罪悪感が残ってしまう時期に、開催されるような祭典で良かったのか、個人的に残念でもありますし、アスリートにも失礼だとも思います。

新型コロナの感染や経済のニュースが、五輪報道のボリュームに「かき消されない」方策は、なかなか有効なものが思いつけません。テレビだったら、いっそ番組を明確に分けて、「ニュース」と「オリンピックの情報」を区別して報道するとか、頭の体操をしてみましたが、おそらく境界がうまく引けません。

バブル内の感染対策やボランティアに関する出来事とか、「○○選手の出身校では後輩の部員たちが・・(この状況下でパブリック・ビューイングはできるのか疑問が残りますが)」などはどちらに入れればいいのか・・。

しかし、テレビのニュースショーで、一般のニュースの中でコロナや五輪のニュースを重大に深刻に伝えておきながら、コーナーが変わると、さわやかな笑顔の「スポーツキャスター」が登場し、その前の「ためらい」や「懸念」が何もなかったかのように伝えられるのを見ると、すごく違和感があるのです。番組として、あるいはその局としてどのように考えているのか、一貫したメッセージがわかりません。

朝日新聞では坂尻信義 ゼネラルエディター兼東京本社編集局長が『光も陰も報じます』と「決意表明」しています。ペイウォールで読めない方がいる可能性があるので、以下に一部だけ引用します。

私たちは開催期間中、コロナ下での開催に必要な準備がなされ、実践されるのかを丹念に取材します。五輪が感染状況や市民生活にどのような影響を及ぼし、後世に何を残すのかについても、目をこらします。そして、逆境を乗り越えて競技の場に立つ選手たちが躍動する姿は、しっかりと伝えます。

歴史的な五輪であることは、間違いありません。その光も影も、報道していきます。

報道機関として認識している課題を読者と共有しようという感覚は評価したいと思います。しかし、知りたかったのは、やはり「陰の部分のほうの報道を、どのように確保するのか」という「How」についてです。また、記事の一部としてではなく、独立した読者へのメッセージとして発信してもらいたかったとも思います。

3)リーダーたちの言葉には注目したいが・・

これから開会式など、さまざまな公式なイベントが続きます。大きな記者会見などもあるでしょう。

五輪を強行し、それを支持したIOC、日本政府、東京五輪組織委員会のリーダーたちが、それらの場で発する「公式な言葉」に注目したいと思います。メディアは、それを「垂れ流し」するだけでなく、その「意味や意義」、「解釈や含意」について、こだわって伝えてほしいと思います。

「日本国民が感染拡大で過去最大かも知れない危機に瀕している状況で」、「安全安心って結局何のことかわからないまま」「バブルは隔離されていて中は感染ないから安心なはずが破れ目がたくさんある中」「復興五輪でも何でもなく」「多様性や包摂とはほど遠く、どうやって選ばれたのかわからない人たちが作り上げたセレモニーを通して」、それでも開かなければならないオリンピックの価値や必要性について、世界に、日本国民にどのように説明するのかは、とても重要な局面だと思っています。

「日本人のみなさんはヒーロー」とか「平和と連帯」などの、どこかで聞いたフレーズではなく。彼らには言葉を尽くす責任は、少なくともあると思っています。メディアはたくさん聞いて欲しいと思います。

反対に、スポーツの政治利用には敏感でありたいと思います。政治はアスリートの活躍には「いっちょかみ」してきたがるものだからです。「金メダルを取った○○選手に国民栄誉賞を検討」的な報道も注意が必要だと思われます。

公式な動きは政府の動きとして、ある程度伝える必然性はあると思います。しかし、テレビがワイドショーなどのため、映像素材を増やす目的で、閣僚会見などで五輪のリアクション求める質問を記者にさせるような形で引き込んだりするのは、いかがなものかと思います。

健闘したアスリートに対するニュースでの賞賛は、街の人たちと分かち合う共感と、コーチら関係者のトレーニングのタネあかしやねぎらいの言葉で十分ではないかと思われるからです。

武蔵大教授/ジャーナリスト

1964年生まれ。上智大院修了。テレビ朝日で「ニュースステーション」ディレクターなどを務める。2002〜3年フルブライト・ジャーナリストプログラムでジョンズホプキンス大研究員としてイラク戦争報道等を研究。05年より立命館大へ。08年ジョージワシントン大研究員、オバマ大統領を生んだ選挙報道取材。13年より現職。2019〜20年にフルブライトでジョージワシントン大研究員。専門はジャーナリズム。ゼミではビデオジャーナリズムを指導し「ニュースの卵」 newstamago.comも運営。民放連研究員、ファクトチェック・イニシアチブ(FIJ)理事としてデジタル映像表現やニュースの信頼向上に取り組んでいる。

奥村信幸の最近の記事