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東日本大震災から10年:報道各社のインタビューを見直し、考えた

奥村信幸武蔵大教授/ジャーナリスト
2021年3月11日 地震発生時に黙祷する福島県広野町の中高生ら(写真:つのだよしお/アフロ)

東日本大震災から10年になりました。犠牲になった方、未だ行方のわからない方とそのご家族に、改めて哀悼の気持ちをお伝えするとともに、物理的な復興だけでなく、「心の復興」(この言葉は、石巻市の石巻日日新聞の元報道部長、武内宏之さんから聞きました)に取り組み、これからも向き合って行く方々にも敬意を表します。

2018年に「トップが語る3・11報道 ―主要メディアは何を考え、何を学んだか」というインタビュー集を3人のメディア研究者(東京大学・林香里教授と田中淳教授、大妻女子大学・五十嵐浩司教授)と連名で公表しました。

東日本大震災の一連の報道で、特に全国メディアである通信社と5大紙、NHKと民放のネットワークの報道部門のトップ(編集局長や報道局長、発災当時の役職者を含む)などに、平均3時間を超える集中的なインタビューを行ったものです。情報の公開に消極的なメディアも何社かあり、企画から5年を要しました。

インタビューの文字量は膨大ですから、その成果をもう一度お伝えするために、エッセンスを5つにまとめました。南海トラフや関東直下地震、大型の台風直撃などに備えが必要な今、災害報道を考えるヒントになればと思います。

「このまま、うやむやにしてはならない」

このプロジェクトは東京大学情報学環の林香里教授の声がけで始まったものです。2014年の春、間もなく震災発生から3年という時期でした。震災から3年経過したが、メディアの側から自らの災害報道について情報を公開し、検証するような論調や動きは非常に乏しい。「やれることは、やり切った」的な、達成感を強調した発言も散見されるが、「今後起こり得る大災害の備えのために、このままうやむやにしてはならない。メディアを巻き込んで論点整理をしよう」という発言が印象に残っています。

大津波からの緊急避難から、避難所でのサバイバル、希望を伝える復興についてのニュースだけでなく、今も処理が続く福島第一原発事故の現状を正しく伝える科学報道のあり方まで、論点は非常に多岐にわたります。そこで、まず「主要な報道機関は、自分たちの報道を振り返って、どのような課題を発見したのか」というヒアリングを入り口に考えてみるというアプローチを取ることにしました。

それまでも私を含め4人の研究者は、現場で実際に取材にあたった記者やカメラパーソン、日々のニュースのアウトプットに関わったデスクらに個人的に話を聞き、さまざまな問題意識に触れてはいました。しかし、それらが、「報道機関としての会社全体で『教訓』として共有され、どのような『課題』として整理されているのか、その解決のためにどのような対策が取られたのか」という報道各社の「公式見解」を聞くためのインタビューを行うことにしたのです。

「トップが語る3・11報道」のトップページ http://311hodokensho.org/ 
「トップが語る3・11報道」のトップページ http://311hodokensho.org/ 

関心のある方は、ごく一部だけでも拾い読みしていただければ理解が深まると思います。発生は突然で、即時に全力を注入しなければならない災害報道の仕事の難しさ、多くの命や生活が奪われた中に突入するためらいや後悔、限られた情報の中で放射線物質の拡散などからの安全について伝えなければならない迷いなどが、率直に語られているコメントがたくさんあります。

公開された11社のインタビューのポイントを、いささか乱暴にですが5点にまとめて紹介し、10年後の現状分析も含めて課題をもう一度整理しておこうと思います。

1.各社は大津波の緊急避難と直後の各地の惨状を伝える報道については非常に雄弁で詳細だったのに対し、福島第一原発事故についての報道については比較的コメントが少なく未整理、あるいは公表したくないと思われる所があった。「現在進行形の問題だから」とコメントしない社もあった。

2.震度や大津波警報や被害状況、その後も電力供給などの「官製情報」をいち早く伝達することに多大なエネルギーを使い、災害時に公共のリソースが公平に使われていたか、あるいは公平に使われるように政府中枢が妥当な判断をしていたかを検証する「権力の監視」機能は非常に乏しかったのではないか。

3.印刷の新聞、地上波のテレビという「従来のプラットフォーム」維持に対して非常に熱心で、インターネット、スマートフォン(スマホ)に対応する報道を優先する姿勢は乏しい。新聞各社が真っ先に言及したのは「輪転機の確保」だった。

4.インタビューした全国メディアの中には、メディアどうしが協力して取材やニュースの伝達に取り組むという姿勢はほとんどなかった。

5.一部の報道機関を除いて、原子力や原発、放射性物質の拡散などの専門記者を置き、取材の方針や解説に役立てるという発想は乏しい。「ゼネラリストを養成する」という伝統的な記者育成の方針に例外は作れない、あるいは平常時に原子力などのニュースネタは関心を持ってもらえないため、経済的に合理的でないという理由から。

インタビューから数年が経過しており、その間のメディアの努力も無視できませんので、この問題が2018年に考察したのと同じ深刻さとは言えないものもあるでしょう。しかし、2月13日深夜に起きた福島県沖地震の対応(こちらでに分けて気がついたことをまとめてあります)などを見ると、構造的な問題はあまり解決していないようにも見えるのです。

災害報道に期待されることは何か

押し寄せる津波から命を守らなければならないような局面を考えると、とにかく「早くて正確」でなくてはならないことは論を待ちません。接近してくる台風や、「今揺れている」地震や津波の恐れなどに、「『その場所では』、どのように安全を確保すればいいのか」というデータやアドバイスの提供が、今後の災害報道には非常に重要になってくるように思います。

従来のテレビなどで伝えられる震源地や震度情報、広域の地図をもとにした津波警報では、「全体で何が起きているのか」を理解するのは容易ですが、「今ここにいる私はどのくらい危険が迫っていて、何をすべきなのか」というメッセージは比較的弱いものです。

気象庁の震度などの情報や、国土交通省や地方自治体からの河川の水位の情報などは、もっと細かいローカル単位でニュースの消費者に届けられる必要があります。しかし、ユーザーとしては、たとえ避難をしている最中であっても、「それが、どのくらいの地理的スケールとインパクトを持った災害なのか」という情報を知りたいというのは自然な心理でしょう。また緊急避難情報が万が一行き届かなかったとしても、全体の構図を伝える情報が、個人の判断で安全を確保するための重要な参考になることもあるでしょう。

ユーザーがミクロなローカル情報と、マクロな全容を伝える報道の間を、自由に行き来できるようなサービスが求められていると思われます。

メディアの役割を再定義する必要

そうすると、ポイントの1や2でまとめた、震度のデータ伝達の早さで競争するような姿勢でなく、別の価値観に基づいて、災害報道で扱うべき情報を整理し直すことが必要になるでしょう。「災害報道のパラダイムシフト」として議論してきた通り、震度データなどの速報を競うのは、もはやニュースメディアのメインの役割ではないのです。

一定の広域をカバーしてきた伝統的なメディアは、どこまでローカルな情報をカバーするべきなのか、公共機関やネット企業にどれだけ任せつつ連携を探った方がいいのか、大きな戦略図はメディアも社会全体としても、まだ描けていないのが現状です。

震度データなどがネット上で参照できるような環境が整った上で、なおもテレビに期待されることを考えると、地上波としては、非常に危険度が高まっている地域を的確に選択し、安全確保を効果的に伝えることだと思われます。

そのような安全確保を強く訴えるメッセージの発信という観点から振り返ると、2月13日の福島県沖地震の緊急報道で各局のアナウンサーのコメントで、さまざまな状況にある視聴者を想定し、震度情報のすき間をぬって、「河口に近づくな」、「火の始末を」などと呼びかけ続けたのが、一部のアナウンサーにとどまったということなどは、けっこう心もとない状況ではないでしょうか。

属人的なトレーニングの差であると済ますことはできないと思います。誰が担当になっても、同じようなクオリティで災害報道ができる態勢を整備できているのかが問われています。

「早さ」は本当に実現できているのか

テレビは多くのスタッフが同じ目的に向かって同時に作業をしないと機能しないメディアですから、動き出すまでにさまざまな調整ごとが必要です。それを考えると2月13日の地震の際に、各局とも数分で何らかの速報が発信されたことは、東日本大震災の教訓も生かされているものと思われます。

しかし、ニュースの消費者としての私たちは、さらにレベルの高い、数秒を争うかもしれない緊急避難の役に立つニュースメディアを望んでもいいのではないでしょうか。

2月13日、民放の各ネットワークが、NHKのようにスタジオを開いての速報番組を始めるのに、数分から数十分のタイムラグが発生しています。この差が決定的な差になっています。

民放はNHKと違いスポンサーのCMを放送してメインの収益を上げており、またローカル局と個別の契約関係でネットワークをつくり全国放送をしているという仕組みのため、緊急災害報道に踏み切る際には、さらに多くの連絡調整作業が必要です。

物理的に考えると、現在のシステムでは、一斉のメッセージで事前に連絡するだけでも、かなりの手順を踏まないと、多額の制作費をかけたドラマやバラエティを中断して緊急災害報道の、重要だが非常に見栄えがしない(そしてNHKよりは報道の内容も見劣りするかもしれない)番組に踏み切ることができないという、構造的な問題は克服されていません。

さらなるスピードアップを目指すとしたら、誰かに判断の権限を集中させ、また経営的な責任も負うような抜本的な態勢作りがなされなければ実現は難しいものと思われます。

2月13日の地震が休日の深夜という、人員配置が手薄で、民放にとってはドル箱とも言える番組を放送していた時間帯に起きたことは、ある意味で課題を明確に認識できたのではないかと思います。

ビジネスの斜陽化がもたらす影響

災害報道は、さまざまな局面に臨機応変に対応することが要求されるため、準備や人員配置の態勢作りに多大なコストがかかるものです。メディアが10年前に学んだ教訓を生かす改革を、必ずしも実現できていない背景には、メディアビジネスの順調な成長が展望できなくなっている状況があるのではないかと思われます。人員合理化による取材や発信の弱体化は、災害報道ではフロントランナーであるNHKでも深刻になっているとの指摘もあります。

理論的にはやらなければならないことはわかっていても、それができないという理想と現実のギャップが、むしろ拡大しているのではないかとも懸念されます。

メディア・エコノミーの問題は例えば、ポイント5の原発専門記者の問題に象徴的に現れているように思われます。3月12日から数日間の、原子炉の状況を限られた情報から推測し、ニュースの方向性を決め、どの程度の強さのメッセージを出すかを判断するのに、外部の専門家だけに依存する態勢では非常に心もとないということは誰もが理解できると思います。

確かにいつ発生するかもわからない原発事故のために原子力専門の記者を確保するのは、経済的には非効率です。「平時に原子力関連のニュース特集をやっても関心が薄い」「ネットワーク内の西日本の放送局から、『いつまで共通の原子力災害ネタをやるのか?視聴率が上がらなくて困る』と言われた」などの証言はヒアリングでもありました。

ニュースの信頼を増し、より魅力的なコンテンツを作る備えを「Luxury(ニュースのぜいたく)」と呼びます。原子力記者という「ぜいたく」は、この10年の間に、ごく一部のメディアを除いて、経済的効率のために切り捨てられてきたのが現実です。

原子力災害とともに、専門記者の知識や人脈などが必要とされるもうひとつの分野が医療です。私もこちらの文章などで指摘している通りです。しかし、新聞社やNHKには科学部があり、一部には医療専門記者もいる一方で、民放では専門記者がいません。

新型コロナウィルスの感染状況のアセスメントに関して、「データから何がわかると言えるのか」、「科学的に予測できる結果はどのようなものか」、「予測を確実にするためには、どのような情報が欠けているのか」、「その必要な情報は誰に要求すべきものか」、などについて、的確な判断ができるのが専門記者です。しかし現状は、原子力専門記者のケースと同じ轍を踏んでいるように思えてなりません。

コラボを考えるべき時では?

災害の規模はさらに大きなものを想定した備えが必要になる一方、単体のメディアの実力に限界が見えるのであれば、メディアが相互協力して、情報の空白を埋めていく必要があるのは当然の帰結だと思われますが、意識改革には程遠いという印象です。

ヒアリングを行った際に、メディアの人に相互協力の可能性についても必ず水を向けましたが、少なくとも全国メディアでは「積極的に考えたい」という反応は皆無でした。ポイントの4つめに示した通りです。

リアクションは大きく分けて2つあり、メディアは競争しているのだし、「権力を監視する」機能もあるのだから協力はあり得ないという原理原則を強調する主張、もうひとつは、2011年に東京のヘリコプターの大半が水没し、使えなかったことから、各社持ち回りで筑波など別の場所に当番制で1機を置き、映像をシェアする態勢を整えたということを協調するものの、その先の議論がないというものでした。

また、ヒアリングをした際に、新聞社の幹部は、地震や津波の緊急避難を促す速報報道は「テレビに任せて」という前提でコメントをしていた印象でした。しかし、ネット・スマホの時代に、震度データなどの情報が公共のチャンネルで揃うような状況では、「速報に関しての競争には参加しない」という姿勢は通用しないと思われます。これからのメディアの協働は速報も含めて新聞にも入ってもらうような形を模索するべきだと思います。

福島第一原発事故に伴う計画停電だけでなく、水道やガスなどのインフラの復旧、交通網の状況など断片的な情報が飛び交い、各社が同じような情報しか伝えず、しかもテレビだといつ放送されるかわからないという不安と不満から、当時ツイッターなどでは、「1日に数時間だけでもいいから、テレビ局がインフラの分野を分担し、電気はA局、水道ガスはB局、鉄道は・・というような報道はできないのか」というアイデアが飛び交いました。しかし、「頭の体操」すら行われた形跡は、筆者の知る限りありません。

確かに何のニュースを優先して伝えるかというのは、報道機関の「編集権」の問題に深く関係がありますし、「権力の監視」には多様なチェックが必要で、複数の視点が確保されることは重要です。しかし、発災直後に生死を分ける重要な情報提供の必要があったり、避難所などでのサバイバルフェーズになった際の医療サービスなど、「権力の監視」などのタテマエを一時的に凍結してでも、優先して伝えなければならない情報もあるのではないかと思います。完璧ではなくても、想像力を駆使して場合分けをしてみることも必要だと思われます。

「できない、やらない」ではなく「何ができるのか」、メディアもそろそろ発想を根本的に改める必要はないでしょうか。

「精神論」を越えて

災害報道で意見交換を行う際、「あなたのメディアは何ができて、何ができないのか?」という冷静なアセスメントを求めているのに、「とにかくやるしかないんです!」とか「やれることを一生懸命やるんです!」というような気合い全開の回答が、かなりありました。実際に災害が起きて、スタッフを鼓舞する上では有効なコメントかもしれませんが、自分のメディアの客観的な実力を把握していない状況はかなり深刻です。

反対に、ある小規模なローカル民放局の中にも、厳しい予測を受け止めた上で、「やれるだけのことをやる」と腹をくくっているような所もあります。そこでは、当地が大地震や津波に見舞われたら、家庭を放って出社できるのは何人程度などという前提を設定し、情報源の担当に割り振ると、報道以外の経験者スタッフをかき集めても、最悪では、カメラを持って街の撮影に出かけられる人がひとりもいないことが想定される事態も現実的に考えて計画を立てる冷静さがありました。

残念ながらその局では、その悲観的な見積が経営陣に承認されているとは、必ずしも言えない状況でしたが、それでも現場でそのような具体的な分析を始めているところもあります。気合いで乗り切ろうとせず、地に足のついた思考を積み重ねていかなければ、10年来の課題を乗り越えて先に進んだことにはならないと思うのです。

武蔵大教授/ジャーナリスト

1964年生まれ。上智大院修了。テレビ朝日で「ニュースステーション」ディレクターなどを務める。2002〜3年フルブライト・ジャーナリストプログラムでジョンズホプキンス大研究員としてイラク戦争報道等を研究。05年より立命館大へ。08年ジョージワシントン大研究員、オバマ大統領を生んだ選挙報道取材。13年より現職。2019〜20年にフルブライトでジョージワシントン大研究員。専門はジャーナリズム。ゼミではビデオジャーナリズムを指導し「ニュースの卵」 newstamago.comも運営。民放連研究員、ファクトチェック・イニシアチブ(FIJ)理事としてデジタル映像表現やニュースの信頼向上に取り組んでいる。

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