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米2020年大統領選 民主党討論会を見て政治とメディアの将来を考えた ワシントンDC研究ノートその9

奥村信幸武蔵大教授/ジャーナリスト
2020年の米大統領選挙に向けた民主党のテレビ討論会2日目(写真:ロイター/アフロ)

いま、なぜ「テレビ」討論なのか

 2020年のアメリカ大統領選挙に向けて、米東部時間(EST)の6月26日(水)と27日(木)に、民主党の大統領候補のテレビ討論会が開かれました。24人もの候補者が名乗りを上げるという「異常事態」のため、2日に分かれて、10人ずつが出演する(過去3回の世論調査で1%以上の支持を獲得するか、65000人以上から寄付を得られなければ「失格」となり、4人は参加できませんでした)という、非常に変則的な形でした。

 2日間、それぞれ2時間ずつの討論会は地上波のNBC、ケーブルニュースのMSNBCのほかに、初めてテレムンドというスペイン語のチャンネルが放送し、5人の司会者の中にNBCとテレムンドの両方でアンカーを務める、ホセ・ディアス=バラートが入ったという、ヒスパニック系の人たちにとって画期的な番組でもありました。

 アメリカではまだまだテレビが重要なニュースの情報源となっているとはいえ、半世紀以上に渡って繰り広げられてきた、伝統的な「テレビ討論会」には、今、どのような意味があるのか、また、インターネット、スマートフォン、ソーシャルメディア、そしてファクトチェックの時代に、今後「テレビ」討論という形は、どのように変わっていく可能性があるのか、クイック・リアクションをメモにして共有しておこうと思います。

 民主主義に不可欠な、私たちひとりひとりが意思決定するための「自治の情報」が、今後どのような形でもたらされるのか、「プラットフォーム」の問題とともに、それを使いこなす人間の(もしかしたらAIの可能性もありますね)効果的に「伝える技術」の問題として考えてみたいと思います。

論点その1)候補者の人となりやイメージを知り、政治家としての哲学や説明能力を見極めるには、全有権者が直接、候補者の演説会などを聞きにいくことが不可能な状況では、テレビ討論会は、さしあたり最善の方法かもしれない。

政治の能力を見極める「疑似体験」

 政治に対する関心には温度差があるものの、誰もが自分の属する国のリーダーになりたいと名乗りをあげた人がどのような人物か知る必要があります。政治家にはある程度イメージも大切な要素ですから、外見や身のこなし、顔の表情、声のトーン、話し方の特徴など、その人に直接会わなくても外形的な情報が得られる、テレビというメディアは非常に効果的だとも言えます。

 テレビというメディアは特別でもあります。そもそもカメラの前では、ほとんどの人が極度の緊張を強いられ、平常心を保つには、向き不向きも、けっこうな訓練も必要だからです。それだけではなく、政治家にとっては、必ずしも自分を支持しない不特定多数の厳しい目にさらされ、その人たちを最終的に「この人を応援してみようか」という気にさせなければならないという、かなりのプレッシャーがかかる場所です。

 しかし、大統領ともなれば戦争をぎりぎりのところで回避するために国際交渉をしたり、多くの人々の生活を守ったりするため、厳しい決断を国民に説明し、納得してもらう必要がある時があります。テレビという場は、この点で、大統領選挙のキャンペーンでよく行われる、ラリーと呼ばれる支持者だけを集めた集会などとは大きな違いがあります。重圧がかかる場で、自分の考えをどれだけ伝えられるか、有権者の側から言えば、自分がどれだけ説得されたか、見比べて選ぶのは重要です。アメリカは広く、街頭演説だけではすべての有権者が直接その体験ができないため、テレビで疑似体験をするのは合理的とも言えるのです。

2時間の討論で起きたこと

 テレビのニュースで流れる数十秒の映像を見ていただけではわからない、候補者の話し方、どのような声を出し、どのようなスピードで話し、どのような言葉や言い回しをよく使い、アイコンタクトをとっているか、など、一般の視聴者はコンサルタントのように、細かいチェック項目を設けて見てはいませんが、それでもそのような無数のチェックポイントを無意識に、しかし厳しく観察しています。

 2日間、割と真面目に討論会を視聴した個人的な意見では、26日(水)、第1日目の討論では、有色人種やLGPTQなどのマイノリティーへのいじめなどの問題を力強く訴えたブッカー上院議員(ニュージャージー州)は、歯切れがよかったように思います。また、唯一のヒスパニック系候補のカストロ元住宅都市開発長官も、不法移民を犯罪者とみなすことを止める政策の必要性に熱弁をふるい、目立っていました。

 反対に、前評判は高かったオルーク前下院議員(テキサス州)は、冒頭のスピーチをスペイン語で始めるなど、10人の候補者の中に埋没しないように差別化を図ったものの、サンダース上院議員らが主張する富裕層への70%の課税や、カストロ氏の不法移民の法的地位に関する提案などに、明確な賛否を示さず、カストロ氏に「もっと勉強しろ」と攻撃され精彩を欠くという意外な結果になりました(オルーク氏の煮え切らないもたもたぶりは、ワシントンポストも論評しています)。

 2日目の27日(木)は世論調査で圧倒的なトップにいたバイデン元副大統領に、移民の子供で候補者中ただひとりの女性黒人候補であるハリス上院議員が人種差別をしてきた上院議員と仕事をした業績を誇っていることに「個人的に傷ついた」と前置きして、1970年代に小学校のダイバーシティ(多様性)を高めるため、黒人が多数の学校には白人の学生を、白人が多数の学校には黒人の学生をバスで送迎するという政策にバイデン氏が人種差別を肯定していた議員らとともに反対したと噛みつきました。「カリフォルニア州のある少女は、公立学校の統合のため第二クラスに入れられ、毎日バスで送迎されていた。そして、その少女は私よ(And that little girl was me.)」と、今やTシャツのデザインにもなってしまった、個人的なエピソードを交えて厳しく批判は、翌日のニュースで最も大きく取り扱われました。

「競馬の実況」報道に注意

 選挙となると、すぐに「誰々がどのくらいリード」のような、情勢報道があふれます。討論会が終わった翌日の政治ニュースは「誰が勝って、誰が負けた」とか「2日目のヒーローは誰々」のような話題があふれていました。しかし、このような時こそ、私たち一般のニュースの消費者は冷静にならなければなりません。

 民主党は、国民全員を医療保険に加入させる政策や、地球温暖化への取り組み、銃規制、女性の中絶の権利などの問題などについて、どのような課題を認識し、何を目指そうとしているのかなどの「大きな問題」こそ、ニュースが詳細に伝えるべきです。しかし、「誰が勝った負けた」の報道は、一部の人は熱狂しているし、分析よりも印象で記事を書けるし、インタビューもとりやすい、いわば「お手軽」な記事です。

 過去数回の選挙で繰り返されたとして何度も批判されてきた、「競馬の実況」(horse race)報道というニュースの形が、すでに顔を出しているようにも見えます。

 日本ではあまり関心が高くないであろう、この話題を取り上げておこうと思ったのは、これから1年以上続くアメリカ大統領選挙のニュースを見る際に、「競争の分析」ではなく、「候補者たちが目指しているもの」、「社会に何がもたらされるのか」という情報が伝えられているのか、見極めてほしいという願いからです。

「誰が勝った」は意味がない・・

 大統領選挙が本格化するのは2020年です。民主党はそれに向けて、前代未聞の24人もの人が名乗りを上げたため、かなり前倒しでスケジュールを立てているようです(それでも、トランプ政権を倒し、正常な民主主義を取り戻そうとするのであれば、立候補者の事前調整などの戦略が必要ではないかという議論については、こちら)。

 CMや司会者が話している時間などを除けば、正味90分程度しかないところに、10人の候補者がひしめくという、かなり窮屈な形での討論でもあり、また、大統領に国民が期待することは、あまりに多岐にわたるため、各候補がすべての政策課題について、現在明確なビジョンを持っていないことには同情の余地もあります。そのような特別な環境下で、威勢が良く目立った候補が「有力」かどうかは、時間をかけて見極めていくべきだと思います。そのためには継続的にニュースに触れていなければなりません。

攻撃は強そうに見える

 また、政治的な討論は一般的に言って、攻撃を仕掛ける方が強く見え、それを受けて反論や説明をする方が劣勢に見えてしまうという特徴があり、この点も割り引いて考える必要はあると思います。

 しかし、ハリス氏に人種差別的な経歴を批判されたバイデン氏は「間違ったレッテル貼りだ」「私はレイシストをほめたりしない」と、かわそうとしたように見えました。しかし、ワシントンポストのファクトチェッカーの記事によると、バイデン氏のバス使用についての反対の理由は、「学校のダイバーシティには賛成だが、バスで無理やり人種を混ぜるようなやり方は、最善ではなく、学校の統合は別のアプローチをとるべきだという意味だった」、とバイデン氏の広報が説明をしているということです。教育のレベルがすべて低下し、人種間の摩擦も増えて憎悪が増す危険はないのかということだったというのです。

 反論に十秒程度しか許されていなくても、バイデン氏はアプローチの問題なのだとひとことでも言っておいたほうが良かったと思われます。ともかく、このような候補者の経歴の精査や、政策の内容や実現可能性をひとつひとつ検討していくような地道な報道こそ、評価されなければならないのです。

論点その2)司会者の討論のセンスと仕切り能力は、これまで以上に重要になった。短時間でショートアンサーを求める形式は無理があるが、長時間に及ぶのも好ましくないため、当面は代案がない状態か。

無理があった討論フォーマット

 討論会は2日とも、約2時間で、最初の1時間は、NBCが毎夕東部時間午後7時から放送している伝統的なニュース、「ナイトリーニュース」のアンカー、レスター・ホルト、モーニングショー「トゥデイ」のアンカー、サバンナ・ガスリー、NBCとテレムンドのアンカー、ホセ・ディアス=バラートの3人の中から、ガスリーが中心となって進行、後半はもう少しくだけた雰囲気をねらってか、毎週日曜日午前中の政治討論の看板番組「ミート・ザ・プレス」のアンカーのチャック・トッドと、ケーブルチャンネルMSNBCの東部時間午後10時からの、かなりリベラル寄りでエッジが立ったニュースショーのアンカー、レイチェル・マドゥーの2人に交代、最後の約15分はまとめのため5人全員が司会のテーブルに座るという形式でした。

 10人の候補者になるべく多くの話題について語ってもらおうということだと思いますが、1人につき発言は1分まで、フォローアップの質問は15秒、時間が押して司会者が「2ワードで答えて」とか迫る場面も何度もありました。

 政治は言葉が尽くされなければなりません。多ければ多いほどいいというものでもありませんが、1分はあまりに短かすぎます。実際に1分で発言を打ち切ったりする場面は見られず、すべての候補が長めにしゃべってはいたものの、1分では、強気の言い切りをする話し方が有利です。そのような意見には、細かいニュアンスの説明は省かれてしまいます。しかし、その細部に政治家がどれだけの問題を発見し、戦略を立てているのか、どのような政治的な条件が絡むと分析しているのかなども重要な情報なのに、です。

政治討論番組の「欠点」が見え隠れ

 1日目の討論で「1ワードで答えてください。アメリカの最大の地政学的脅威は何か?」というかなり無理な質問がありました。地政学的脅威というのが、安全保障上なのか経済なのか、前提も明確でない中、答えようがない「無茶振り」に見えます。

 アメリカに限らず、多くのゲストが登場する政治討論番組では、紋切り型のショートアンサーを無理やり要求し、「賛成か反対かだけ答えろ」と迫る場面をよく目にします。明確な答えは確かにわかりやすいですが、問題の極度の単純化や犯人捜しによって本質がぼやけてしまうようなことも多くあります。「アンサーカルチャー(すぐに答えを求める風潮)」が、討論の進め方にも影響している気がします。

 また、質問に正面から答えない「はぐらかし」や、「論点のすり替え」で短時間なら逃げ切れるケースも出てきます。司会者が修正を求める時間もないからです。

 正確な記録がないので記憶が頼りですが、例えば、1日目の前半、医療保険制度の改革についての賛否の立場を問われたブッカー候補は、これはもっと大きな人種間の不平等の問題で憲法の理念に反する旨の大きな問題にすり替えてしまいました。明確な賛否を示すことよりも、もっと重要な問題を指摘することに、意味がある場合もないわけではありませんが、少なくとも「ちゃんと質問に答えてください」と司会者が、発言の方向を修正するような余裕がないと、なかなか意見のすり合わせに発展せず、ひとりひとりの独立した発言の「ぶつ切り」のような展開になってしまいます。事実、討論会ではなかなかクロストークが成立しませんでした。

候補者よりもしゃべる司会者

 司会者の質問も、何を明らかにしたいのか、簡潔で明確である必要があります。前半の1時間を担当した3人は、女性のガスリーが話題を切り出し、その話題のキーパーソンとして指名した人に、政策論争のポイントについて、詳しく説明させ、ホルトとディアス=バラートの2人が、討論に割って入って、発言が少ない候補者に具体的なコメントを求め、発言を促すような形式で、テンポ良く進行していました。

 しかし、2日間とも、後半になると進行が目に見えてもたつき(1日目は音声系統の混乱など技術的な問題もありました)、議論が拡散してしまう印象を受けました。それは司会を務めたトッドの仕切りの悪さにあるのではないかと思います。

 ABCが世論調査など様々な統計やアンケートデータを載せる「ファイブ・サーティ・エイト」というサイトが、討論の1日目に、5人の司会者と10人の候補者の中で、「誰が一番多くの語数を発言したか」の集計をしたところ、司会のトッドが、他の候補者を押さえて堂々の4位となってしまいました。一番発言の少なかったインスリー・ワシントン州知事の2倍です。発言が長く、語数が多いということは、質問が明確さを欠き、いったい何を聞き出したいのか、質問を向けられた相手も、視聴者もよく理解できなかった恐れが充分にあるということです。

 このような討論番組は、出演者の緊張が弛緩し、視聴者も飽きてくる後半が非常に難しいものです。しかし後半は民主党が党としての主張を打ち出しやすい銃規制や中絶容認などの問題を扱っていただけに、強いメッセージを引き出すことができる可能性も充分にあったのではないかと思います。

政治討論番組のノリは通用しない

 特に失敗だと個人的に思ったのは、銃規制を連邦レベルで法案として審議する際、2022年の中間選挙まで共和党が多数派を占める見込みの、上院をどのように通過させ、法案を成立させる戦略があるのかを、トッドがひとりひとりに詳しく聞くことに多くの時間を費やしたことです。「マッコーネル共和党上院院内総務といかにわたり合い、審議に応じさせるか」という、「政治家の論理」にどっぷり冒された質問と言ってもいいでしょう。

 このようなトッドの司会は非常に評判が悪く、リベラルニュースサイトの「スレート」でも、「浮かれすぎ」と一刀両断にされています。このような早い時期の大統領候補者討論会で司会者が目指すべきことについて、いいことを言っているので、その部分だけ訳出しておきます。

「早いステージで、特に候補者がひしめき合っている中での司会者の役割とは、まず視聴者に候補者それぞれの主張がどのように異なるのかを明らかにするよう務めることで、理想的には、明確で的を射た質問を繰り出し、大統領を目指すひとりひとりを、自分勝手にスピーチする街頭演説のようなモードから引き離し、特定の問題に限定した答えを引き出し、彼らの政策の優先順位を明らかにすることである」

 実際の政治の場面で、どの程度の実現可能性があるのか、どのように見積もっているのかを明らかにするのは重要な問題です。しかし、候補者ひとりひとりが、自分のプロフィールや基本的な情報を知って欲しいと思っているこの段階で、議会の技術的な戦略を聞くことには、あまり意味はないように思います。「マッコーネル議員と取引する戦略はあるのですね」と聞かれたウォーレン上院議員(マサチューセッツ州)は「ありますよ」とだけ答えて黙ってしまい、会場や出演者から失笑がもれました(これ以上何を話せと言うのでしょう?)。

 トッドが司会をする「ミート・ザ・プレス」の主なゲストは、政治家や評論家、党の戦略コンサルタントなどで、次週の政治日程や、ホワイトハウスや議会の主な政治アクターの取引や戦略などが主な話題となります。しかし、候補者討論会を見ている一般の有権者が抱く、「基本的な関心」に応える能力が彼には欠けていたし、また途中から助言するスタッフもいなかったということだと、テレビ討論会の未来は危ういかもしれません。

論点その3)テレビを見ない若者がますます増える中で、「テレビ討論」という形を通して有権者に、選択のために役に立つ選挙ジャーナリズムを今後どうやって提供していくのか考えていかなければならない。

 これはまだ、私も方向性がまったく見えません。でも、このようなテレビ討論の番組をただネットやスマホで流せば済むという問題ではないような気がします。この項目は筋道を立てた議論ができそうにありませんので、課題を箇条書きにして列挙しておきます。

討論という形はぜひとも必要。候補者の主張の違いを有権者に理解してもらうだけでなく、討論の場面では、思わぬ人間性が露見したりする可能性もあり、候補者の人となりがよくわかる仕掛けだから。

・しかし2時間のフォーマットで、視聴者が、候補者の政策的な主張だけでなく、「どんな場面で、質問をはぐらかしたか」とか、「司会者に対する、あの態度は行儀が悪いな」などの人格や、上手に討論に割って入り、建設的な議論に発展させる能力があるか、などについても見極めるためには、候補者数は4〜5人が限界ではないか

・ツイッターなどでは「#DemocraticDebate」というハッシュタグで、リアルタイムでかなり活発なリアクションや意見が交わされていたし、その中には司会者よりも早く、次に質問すべきポイントを指摘するようなツイートも散見された。タウンホール型の討論会は両党の候補者が決まってからの対決型討論会3回のうち1回だけなのが恒例だが、ソーシャルメディアやフェースブックメッセンジャーなどの中継プラットフォームなども活用した「デジタル・タウンホール」のようなものは構想できないか?

候補者の主張の違いなどを特に若い有権者に認識してもらうのなら、リアルタイムでなく、特定の政治課題について、各候補が一定の尺を守って説明や反論をポストできたり、あるいはテレビ出演など(他メディアも含めて)の映像や記録などで関連のある発言がある箇所が参照できるような仕組みは考えられないか。

銃規制やLGBTQなどのシングルイシューで、もう少し突っ込んだ議論をする討論会は必要な気がする。特定の問題について「目前の問題の行政的処理の知識がある」のと「その問題の本質について構造的な理解があり、今までの政治家が発見できなかった視点から、新しい提案ができる」のは別のこと。

・関心を上げるのなら、いっそマイノリティーの問題ならテイラー・スウィフトとか、地球温暖化だったらディカプリオとか呼んでゲスト司会者のひとりにしてしまったらどうだろう?何かコンフリクト・オブ・インタレストは起きないか?

・ワシントンポストやポリティファクトなどのファクトチェック団体は、リアルタイムで発言をピックアップして、十数分から30分程度でファクトチェック記事を出して、非常に早いサイクルで、発言のミスリードなどをニュースの消費者が認識できるようになってきた。ニューヨークタイムズは記者のひとこと解説や感想などを添えた実況ツイートとファクトチェックをまじえた実況ページで進行を伝えていた。中継をフルに見られる動画、抜粋したサウンドバイト動画、テキストに起こした記録(キーワードで検索できてほしい)、ファクトチェック、記者のひとこと解説などがまとめられサイトが、テレビにとって代わる可能性はあるか。

・書いていて、これで何度も討論会が開かれると非常に情報が多くなってしまい、一般の人は手に負えなくなりそうだ。そうすると、「この問題ならこことここを見ればいいですよ」的な、ナビゲーター、図書館のレファレンスデスク的な存在が、ウェブ上で質問を受け付けるような情報サービスが必要になるかも。

・そもそも、二大政党は、そのような候補者選びの過程を周知させることで、テレビというメディアに全面的に依存する形で委託してきたという格好だが、スマホとソーシャルメディア全盛の時代になっても放送局がその役割を担うべきなのか、それともグーグルやフェースブックなのか、各党が自ら責任を持つことなのか。しかし党の内輪の論理で運ばずに、メディアが関与して選考結果を見守るような仕組みは、必要ではないか。

 2晩とも約1500万人が視聴した、プライムタイムの一大イベント番組で、ショーアップもやりすぎ感が強く、それでも無理に挿入されるCMにも違和感がありました。ビジネスモデル的にも曲がり角なのかもしれません。

 マルチメディアの時代に、日本の選挙報道や、全党の候補が揃わなければならず、各ネットワーク1回ずつのような仕切りの党首討論会などの枠組みは記者クラブの力学も作用しているだけに、今後見直されて行かなければならない課題だと思います。アメリカの事例と比較してみることで、課題や手を付けられることも見つかるかもしれません。

 民主党の次の討論会は、CNNの司会と演出で、7月末にデトロイトで開かれます。

武蔵大教授/ジャーナリスト

1964年生まれ。上智大院修了。テレビ朝日で「ニュースステーション」ディレクターなどを務める。2002〜3年フルブライト・ジャーナリストプログラムでジョンズホプキンス大研究員としてイラク戦争報道等を研究。05年より立命館大へ。08年ジョージワシントン大研究員、オバマ大統領を生んだ選挙報道取材。13年より現職。2019〜20年にフルブライトでジョージワシントン大研究員。専門はジャーナリズム。ゼミではビデオジャーナリズムを指導し「ニュースの卵」 newstamago.comも運営。民放連研究員、ファクトチェック・イニシアチブ(FIJ)理事としてデジタル映像表現やニュースの信頼向上に取り組んでいる。

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