B・コヴァッチさんに会って考えた(1):ニュースを良くする営みとは ワシントンDC研究ノートその7

コヴァッチさんらの名著。ジャーナリズムの世界では定番の教科書的な本(筆者撮影)

米ジャーナリズム界の「レジェンド」

 アメリカのジャーナリズム界で仕事をする人なら誰でも知っているビル・コヴァッチさんという人物がいます。日本でも関心のある方なら聞き覚えがある人だと思います。彼と最近会う機会がありました。

 ジャーナリズムを学ぶ人なら必ず読む本、『Elements of Journalism』という本があります。(日本語訳として『ジャーナリズムの原則』という本が出ていますが、英語版が事例を最近のものに変更し、インターネットやスマートフォンの発達をふまえて中味を更新し、すでに3版が出ています。日本語版は2001年の最初の版の翻訳です。初版で議論された「原則」は9項目でしたが、最新版では10に増えています。)この本の2人の著者のうち先輩格が彼で、もう1人は、トム・ローゼンスティールさん、ニューズウィークのワシントン支局長などを務めた、彼もベテランのジャーナリストです。

 少し前置きが長くなりますが、コヴァッチさんのコメントを理解していただくために、前半で、彼らのジャーナリズムを改善するために行ってきた、画期的な試みについて解説します。

 コヴァッチさんは、テネシー州の地方紙の記者からスタートして、ニューヨークタイムズのワシントン支局長を長年にわたって務め、その後、アトランタ・ジャーナルコンスティトゥーション(新聞)の編集責任者を務めて2年連続でピュリッツァー賞を受賞、その後ハーバード大学のニーマンフェローのキュレーター(研究アジェンダや研究者として招聘するジャーナリストなどを選定する仕事)を務めるなどしてきました。

メディアを「監視する」団体の立ち上げ

 また、彼は『Elements of Journalism』の共著者のローゼンスティールさんとともに、ジャーナリズムのコンセプトや社会的な役割、ニュースの分析などに関する2つの団体を立ち上げ、ジャーナリズムが民主主義にどのように貢献しているのかを監視するというモデルを示したという功績でも評価されています。

 ひとつはジャーナリズムの問題を拾い上げて問題点を指摘し、ジャーナリストたちが問題にいかに対処するべきか指針を示し(それまでは、ジャーナリストが目指すものや、どのように世の中のために役に立つかという問題は詳しく議論されてこなかったということでもあります)、そのような理想を目指すためにジャーナリストのトレーニングなどを行う「危惧するジャーナリストたち委員会(Committee of Concerned Journalists)」という団体です。

 もうひとつは、ニュースの内容を数値化して分析し、偏りや抜け落ちた視点などを指摘する「すぐれたジャーナリズムのためのプロジェクト(Project for Excellence in Journalism)」という団体です。「危惧するジャーナリスト委員会」がジャーナリズムのあるべき形を中心に議論することを目指しているのに対し、こちらは、いま伝えられているニュースに何が欠けているか、改善するためにどんな取材源に当たったり、どのような視点を盛り込む必要があるかという技術的な提言を目指していました。

 彼らを中心にした人たちが、どのような問題意識や危機感を共有していたのかについては、私が2008年に書いた論文『メディアを監視する社会的な必要』に書きましたので、さらに詳しく知りたい方はそちらを読んでください。

 彼らが、ニュースの理念とともにデータ化を試みたのは、「この報道は偏っている、こうするべきだ」と批判しても、特にメディアは企業なので、「私たちは最大限の注意を払ってプロの仕事をしている。その批判はおかしい」と、組織防衛の論理なども働くため、対話が成立しなかったことが出発点になっています。

 「この問題に関する、おたくのニュースをデータ化してみると、このような特徴が認められますが、それはなぜですか? その原因はなんですか?」と、客観的なエビデンスを示し、働きかけ、ニュースをより良いものにしていくための基盤を作ったのです。

伝えるべき情報の選択と伝え方へのこだわり

 ニュースやメディアが発信するメッセージの内容分析の研究は昔からありましたが、ほとんどがテキスト分析(どのような言葉が、どのくらいの頻度で使われているかなど、乱暴にまとめると「言葉の成分の分析」と言ってもいいでしょう)でした。しかし、コヴァッチさんたちは、別のアプローチを試みました。ニュースとして選ばれる「トピック」と、政治家や政策に対する賛否などの「論調」、またテレビのニュースなら、アンカーが原稿を読むのか、VTRのレポートなのか、中継で記者がしゃべるのかなどの「伝え方」について、データ化して、メディアの人たちと共有することを目指したのです。

 私が「すぐれたジャーナリズムのためのプロジェクト」を知ったのは、テレビの世界で働いていた2003年初頭のことでした。2002年秋から会社を休職し、フルブライトのジャーナリスト・プログラムによりワシントンでミサイル防衛のことなどを研究する予定だったのですが、政治・戦争についてのジャーナリズム・メディアの研究にシフトをせざるを得なかった、という時でした。

 当時はブッシュ政権がイラク戦争にまっしぐらに突き進んでいた頃で、「イラクが大量破壊兵器を持っている」という情報のリークが、「ホワイトハウス関係者」など、いわゆる「匿名の情報源」で飛び交っていた時期でした。「イラクはトラック型の化学兵器実験室を持っており、偵察衛星に捕捉されないように、砂漠の中を逃げ回っている」など、後でウソと判明してしまった「リーク情報」が飛び交い、国際的な支持が得られない中で、アメリカ国内では「イラクの攻撃やむなし」の空気が醸成されていく、まさにその時期だったからです。

ニュースに「検証」の跡があるか

 私がコヴァッチさんらの活動を知ったのはその頃です。特にイラク戦争の取材手法で注目を浴びた「埋め込み型ジャーナリスト(embedded journalist)」の報道についての分析に衝撃を受けたのを覚えています。それまでは前線の取材をほとんど許されなかったジャーナリストたちを部隊の一部として取り込んで作戦に同行させ、カメラマンだけでなく一部の陸軍部隊にはテレビネットワークの中継車まで同行を許すなどの思い切った報道サービスは、「戦場を可視化した」として、非常に好意的に受け取られていました。しかし、「すぐれたジャーナリズムのためのプロジェクト」は、それに冷や水を浴びせるようなデータを突きつけ、手放しで喜ぶ危険性を指摘したのです。

 調査チームのレポートによると、イラク戦争が始まった最初の3日間の三大ネットワークとCNN、Fox Newsのケーブルチャンネルの朝と夕夜の時間帯、のべ40時間半のニュースで伝えられた、埋め込み型ジャーナリストのレポートの形態を分析してみると、7割以上が生中継の記者レポートか、記者のレポートの間に兵士など関係者のインタビューだけが挿入されている形態のものであったことを明らかにしました。

 

 当時、テレビのニュースの世界で仕事をしていた私も当然、イラク戦争のような「今、まさに進行中の」世界的な大ニュースであれば、「埋め込み型」で「現場」(あるいは近く)にいる自社の記者には、生中継でなるべく新しい情報をレポートさせるのが「常識」であると考えていました。しかし、「すぐれたジャーナリズムのためのプロジェクト」が指摘したのは、生中継のレポートは同時に、記者自身が何を伝え、どのような説明をするのかという「個人的に判断する」ため、ジャーナリズムに不可欠とされる、メディアが組織として、情報を複数の人がチェックして発信するというプロセスが、時間との戦いで省略される恐れがあると考えていました。

 そのような視点は、日本のジャーナリズムには非常に希薄です。新聞やテレビという伝統的なニュースメディアは手放しに一定の信頼を得てきたという、恵まれたともいえるし、ニュースの受け手側から考えると、少々不注意な状況でもあります。しかし、ジャーナリズムの基本的な考えは「情報を出す前に検証を尽くすのに加え、可能な限り第三者にも検証できる状態にしてニュースを伝えるのが望ましい」というものです。従って、見方によっては各社が競って生中継を行うことは、危うい状況とも言えるわけです。

ニュースの質を保つ別の「ものさし」

 そのように危うい要素も含んだニュースで、どのくらい客観的に伝える手続きがなされていた形跡があるのか、この調査では、レポートの内容を分析します。事実関係(93.5%)、分析(1.5%)、意見(0.9%)、感想(3.7%)という結果を得て、生中継が多いとはいえ、記者たちは一方的な意見を述べるのではなく、務めて客観的に事実を伝えようとしていたことが明らかになります。

 しかし、同時に8割近く(77%)のレポートに話者として登場するのは記者ひとりだけという状況であるというデータも示し、特にバグダッドに侵攻する陸軍の部隊の長い隊列の中で、それも装甲車などの小さな窓から戦況を把握するという非常に困難な状況下では、少なくとも部隊の幹部や兵士らのインタビューを取るなどして、客観性を強化するという作業が、もっと必要であったと、埋め込み型ジャーナリストによる取材態勢の課題を、開戦1週間あまりで見抜いてしまいました。

 また、埋め込み型ジャーナリストは単一の部隊の一部となって行動を共にするために、イラク全体で、陸海空軍、それに海兵隊も合わせて、総合的にどのような作戦の一部なのかという説明は非常に困難な状況です。「私は犬ぞりの長い隊列の真ん中あたりにいる犬のようだった」という埋め込み型取材を経験した別のベテラン記者の言葉を聞いたことがあります。「すぐれたジャーナリズムのためのプロジェクト」では、ニュース番組の中で、各方面に展開した部隊の埋め込み型記者からのレポートが、どのような文脈で使われたのか、「伝えられ方」にも注目して分析しています。

 2003年3月24日(米東部時間)夕方のニュースを比較して、ABCニュースでは、アンカーのピーター・ジェニングスがヘッドラインを述べた後、ペンタゴン(国防総省)担当記者が作戦の概要について説明した後、埋め込みで取材している記者のレポートのVTRが、比較的短い尺(10~55秒程度)で紹介されていくのに対し、CNNでは、アンカーのウルフ・ブリッツァーが、個別に記者を指名していく方式で番組が進行し、各記者のレポートは平均約100秒と長く、それぞれ内容も関連しておらず、全体の作戦の中での位置づけがよくわからない構成となっていたと分析されています。

 このような視点は、自らニュースを取材したり、編集責任者として仕事をした経験のあるジャーナリストでなければ気付かないものです。ニュースで伝えられる情報のひとつひとつが検証作業を経た正確なものか、というだけでなく、全体として文脈がわかりやすく伝えるような親切な構成をとっているか、背景が理解できる情報が盛り込まれる工夫が施されているかなども、ニュースを評価する上で重要な要素であり、ニュースをより良くするためには、その部分も客観的な評価をもとに、ニュースの消費者からも注文を出していかなければならないという基本的な考え方を、私はこの経験から学びました。

オバマ大統領を生んだ論調を詳しく分析

 コヴァッチさんたちのニュース分析は、2008年のオバマ大統領を誕生させた、数ヶ月にわたる選挙報道でも注目されました。9月のレイバーデー(9月の第1月曜日、この日で夏休みが終わると言われる)以降、選挙当日までの新聞(有名紙と地方紙をピックアップしてローテーション)、テレビ、ラジオ、ウェブニュースからサンプルを取り、論調を比較したところ、オバマ候補に対する報道は、約8割が好意的か中立だったのに対し、対抗馬の共和党マケイン候補に関する報道は、約6割が批判的な論調であることがわかり、ニュースメディアがマケイン候補を「ひきずり下ろした」構図を明らかにしました(詳しくは、こちらのレポートを参照)。

安易な「切り口」の増加に警鐘

 また、大統領候補の経歴や政治的背景などを調査するニュースが、非常に少なくなっており、予備選のスケジュールに合わせて世論調査の結果を伝え、それに地元の人たちのリアクションを付け足すような、いわゆる「競馬中継のような(horse race)報道」が約58%と圧倒的に増えてしまい、人種差別、銃規制など重要な問題に関する候補の立場や政策などを分析する報道が後退していることを指摘しました。

 また、候補者のプロフィールを調査報道するような記者をニュースメディアが充分配置しなかったり、候補に密着して取材する記者の取材経験が短く、効果的な質問ができなかった上に、ネットやソーシャルメディアでの発信も必要になって、時間をかけてニュースの内容を検討することもできなくなり、選挙報道の質が低下してしまったと指摘しました。

 このレポートは10年以上経過した現在、これから活発になる大統領選挙の報道にも当てはまる、ニュースメディアが直面している「報道の質」の問題を的確に言い当てているレポートだと思います。「すぐれたジャーナリズムのためのプロジェクト」はアメリカのニュースメディアのビジネスと、ニュースの質についての年次レポートを「State of the News Media」というレポートにしてまとめ、毎年3月中旬に発表してきました。ここで説明した2008年大統領選挙報道の問題点は「Lessons of the Election」というタイトルで2009年版に入っています(こちらの37ページから46ページにそのレポートが載っています)。

24/7のサイクルに巻き込まれないために

 2人はその後、その後のメディア状況を踏まえて、『Elements of Journalism』の続編ともいえる本を2010年に出しました。原題は『Blur』といいます。イラク戦争に至る、フセイン政権に不利な情報が「匿名の情報源から」もたらされて、世論の印象が誘導されていくという、いわゆるポリティカル・スピンの典型のような事例や、その後の戦争報道のあやうさ、2008年のリーマンショック以降顕著となったメディア産業の不振と、それに伴う人員削減によって引き起こされたニュースの質の低下を踏まえて書かれたものです。

 加えて、ツイッターやフェースブックなど、ニュースに接するゲートウェイや議論のフォーラムが多様化し、「ニュースの生態系(エコシステム)」を一変させました。そもそもアメリカではCNNやFOXなどのケーブルチャンネルが競い合って、「24/7(トゥエンティフォー・セブン)」と呼ばれる1日24時間、1週間休みなしのニュースの消費サイクルを深化させましたが、あまりに多くの情報を扱い、ゲストの政治家や評論家のトークを多用するようになってしまったため、メディア側が情報を検証する手続きが疎かになってしまいました。そこに、ソーシャルメディアが追い打ちをかけ、都合の良い事実だけを寄せ集め、客観性に欠ける情報が拡散するような状況で、「いかに信頼できる情報を得るか」、情報の洪水の中で、メディアがエビデンスに基づいた検証を確実に行ったかどうかの形跡を、どのように確認するべきなのか、解説する内容です。

情報源と「完全さ」に注意

 ソース(情報源)はその情報をもたらすのに妥当な立場の人物か、ニュースでその情報源が公開されているか、あるいは公開されていないのであれば、その理由が明らかにされているか。その理由には必然性があるか。そして、そのニュースでもたらされた情報は、問題の全体像を理解するのに、現状で想定され得るすべての項目を網羅しているか。あるいは何が欠けているのか。そのような限界はニュースの中で説明されているか、などが議論されています。

 そして、現代のニュースは、犯人捜しやわかりやすさを求めた「アンサーカルチャー」に冒されており、まだ解明されていないことを無視して決めつけを行う「断定のジャーナリズム(Journalism of Assertion)」や、特定の政治的な主張を押し付けるために、都合の悪い情報が、あたかも存在しないかのように装ったり、問題の一面だけをことさら強調し、感情をあおるような伝え方をする「主張のジャーナリズム(Journalism of Affirmation)」などがあふれている実態を、さまざまな実例を挙げて明らかにしています。

 そのようなミスリーディングなジャーナリズムに対抗する、ソースや情報の確実さについて、エビデンスを揃え、さらに、まだわかっておらず、断定することが難しいことも正直に説明をして伝えるニュースを、「検証のジャーナリズム(Journalism of Verification)」として区別しています。

 真実を伝えるのに、現時点で自分がわかっていることを過信せず、「何か他にも必要な情報があるかも知れない」という謙虚な態度は、ジャーナリズムとしては当たり前のことでもあります。しかし、それが失われつつあるという危機感から、この本は「現代のジャーナリズムのあるべき形」を明確に言語化することを目指したものです。

うのみにせずに検証をする態度

 この本は2011年の東日本大震災より前に書かれましたが、序章はアメリカで起きた原発事故、スリーマイル島の事故(1979年)が、ケーブルテレビとソーシャルメディアの情報が交錯する現代で起きたら? という設定から議論がスタートするのは示唆的でもあります。

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この本の日本語版は私が翻訳しました。ご関心のある方はどうぞ一部でも読んでみてください。ジャーナリズムとは、私たちがメディアの情報を日々消費しているために、馴染みのある言葉ではありますが、では実際に何をすることなのか、ということになると、大学の授業などでも満足な説明ができる人はめったにいません。あいまいなイメージに的確な言語化を提供できる本です。(正確に翻訳したために日本語ではボリュームが大きくなり、出版社との折り合いがつかず高価な本になってしまい申し訳ありません。電子書籍化などみなさんの要望があれば、出版社も何か考えてくれると期待していますが・・。)

 2016年の大統領選挙より前に書かれたので、いわゆるフェイクニュースという言葉は出てきません。トランプ大統領以前には、ニュースメーカー(政治家や公職者など、ニュースとして何か情報を発信する人や組織)は、少なくとも自らの社会的な立場に自覚的で、信用を重んじ、悪意に満ちた政治的な企みであっても、その正当性を認めさせるために説明を尽くす努力をするであろうという、従来の権力とメディアの環境を前提として議論をしているからです。

 しかし、ワシントンポストのファクトチェッカーによると、1日平均で10件以上の正確な情報に基づかないか、ミスリードになるコメントが発せられるような状況になっても、この本の前提は揺らぎません。「この情報は正しいとどうして言い切れるのか」と絶えず注意深く、メディアは検証を重ね、ニュースの消費者はその跡を確認するということです(メディアはニュースの消費者にそのような確認ができる説明を提供するべきですし、消費者側も要求するべきです)。この本では「疑いながら物事を知っていく方法(The Way of Skeptical Knowing)」と呼んでいます。(その2に続く)