近未来のジャーナリズム「3つのD」(1):デジタルで作る最適な表現 ~ワシントンDC研究ノートその4

UCバークレー校ジャーナリズムスクール。(筆者撮影)

デジタルの利点を最大限に

 これまでいくつかのジャーナリズムスクールや研究機関を訪れてきました。学んだり意見交換したりしたことは、きれいにまとまる性格のものではありませんが、これからのニュースのあり方をみなさんと考えていくために3つのポイントについて説明します。

 ひとつめのDは「デジタル・ストーリーテリング Digital Storytelling」です。伝統的なニュースメディアは新聞やテレビ、ラジオなど、アウトプットに使われるプラットフォームが分かれて発達してきました。しかし、デジタル化が進み、パソコンだけでなく特にスマートフォンでニュースを消費する人が増えてきて状況が一変しました。

 記事のテキストだけでなく、写真や映像、それもスライドショーのような一覧性のあるものや、従来の縦横比率3:4や9:16のフレームで画面を切り取るような撮影ではなく、360°カメラやドローンのように、新しい視点を提供するものなど、さまざまなテクノロジーが試されています。

 ニュースの世界で現在、デジタル・ストーリーテリングがどのように使われているのか、こちらの「タテ型映像」を紹介する記事で概要を説明しましたが(現代ビジネス「テレビを見ない『ジェネレーションZ』にタテ型動画ニュースは届くか」)、どのようなニュースにどのような表現方法が向いているのか、まだ充分に議論が尽くされているわけではありません。また、従来の写真や動画でも充分に情報が伝わると思われるにもかかわらず、無理やり新しいテクノロジーが使われている事例も見られます。そのように思っている私の判断もまた、説得力に乏しいものかもしれません。

「欲しいニュースの形」を作る

 3月に訪れたカリフォリニア大学バークレー校(UC Berkley)のジャーナリズムスクールで教えられていることや、学生の作品を題材に、もう少し掘り下げてみましょう。事例は限られていても、少しでも多くのトピックに関して、新しいテクノロジーがどの程度効果的か、従来の記事や映像と情報の盛り込み方のバランスはどうかなど具体的に考えてみて、ニュースを仕事で制作している人たちだけでなく、ニュースの消費者であるみなさんも、「ああ、自分はこのようなニュースが欲しかったんだ」と意識することは、ジャーナリズムをより良いものにするために、とても大切だと思います。

UCバークレー校ジャーナリズムスクール、マルチメディアコースのスクリーン。(筆者撮影)
UCバークレー校ジャーナリズムスクール、マルチメディアコースのスクリーン。(筆者撮影)

 また、アメリカの「学生」の取り組みを見ると、もしかしたら、日本のメディアの中で、デジタルジャーナリズムに対応していく中で、誰にどのようなトレーニングを施すか、適性や教育のヒントもあるかもしれません。

全員をデジタル・ジャーナリストに

 アメリカのニュースメディアに就職するには、大学院であるジャーナリズムスクールを修了して基礎的な知識や、取材や制作に必要な手順を習得するのが一般的です。入学する時にすでに、学生たちは、主に記事を書く記者として新聞などを目指すのか、映像の撮影や編集のスキルをマスターしてテレビなどの映像業界を志すのか、あるいはプレスリリースやリスクマネージメントなどを勉強してPRや広報などの仕事に進むのかを決めていることが多いようです。

 しかしUCバークレー校のジャーナリズムスクールでは、現在のデジタル、スマートフォン中心の情報の流通に対応する人材を育てようと、すべての学生に、基礎的な映像撮影の理論と、カメラや編集ソフトの使い方を習得させ、ともかく短い映像作品を完成させることを義務づけています。この学校の「ニューメディアコース」で教えるリチャード・ヘルナンデス教授は、「映像を理解することで、たとえ新聞記者の仕事に就いても、将来さまざまなプラットフォームでニュースを提供するために、どんな工夫をすればいいかというマルチメディア・マインドが育つ」と必要性を説明しています。

 ニューメディアコースの学生たちは卒業制作として、映像かデジタル・ストーリーテリングの作品を制作する決まりになっています。歴代の彼らの作品の中のかなりの数が、テーマの選び方や取材の切り口を見ても、ウェブサイトや映像の完成度を見ても、プロフェッショナルな水準のものです(このサイトのトップにある作品の「トレーラー」(予告編)の2分程度の映像を見るだけでも、画面の作り方、テロップ(字幕)のレイアウトや画面にどのように表示されるかだけでも、若い学生の新鮮なアイディアがいろいろ転がっていて、私もおおいに刺激になります)。

ドローンがもたらす「マクロな視点」

 作品のひとつ、「煙の都市(City of Smoke)」を見てみましょう。モンゴルの首都ウランバートルで起きている深刻な大気汚染をめぐる問題を扱ったものです。かつて遊牧をして生計を立てていた人たちが大量に流入して、街のインフラのキャパシティを超える規模に膨れあがっています。彼らは街の周辺部にゲル(伝統的な移動式の住まい)を立てたり、粗末な小屋を作ったりして集住しています。ウランバートルの冬の気温は摂氏マイナス35度にも達するため、人々は暖を取るために大量の石炭を使い、さらに貧しく石炭も買えない人たちが古タイヤなども燃やしてしまうため、盆地のウランバートルではばい煙が滞留して前の車も見えないほど空気が汚れており、ぜんそくをはじめ子供たちの間に健康被害が広がっているという問題について、三部構成で記事、ドキュメンタリー映像、スライドショーなど可能な限りの表現方法を盛り込んだものです。

「City of Smoke」のトップページ。
「City of Smoke」のトップページ。

 この中にはドローンを使った効果的な映像がたくさん使われています。ばい煙が空気中を漂い、太陽の光をさえぎっている様子や、ウランバートルの周辺の丘陵地の山はだに、たくさんのゲルや小さな小屋が無秩序に立ち並び、この街で暮らす人が急激に増加している状況を理解してもらうには、上空、それもヘリコプターよりも高くない地上5階程度から見るのが最も適しているようです。低空に厚く滞留し、視界をさえぎっている煙の濃さや、時に呼吸困難を引き起こし、さまざまな病気の誘因となる深刻さが、空中のアングルから見る映像がくり返し使われることによって、強烈なインパクトで伝わってきます。

ドローンは上空に滞留する煙の深刻さを示すのにちょうど良い高度で撮影できる。
ドローンは上空に滞留する煙の深刻さを示すのにちょうど良い高度で撮影できる。

 また、ゲルの真上の煙突から立ち上る煙のアップから、ドローンが上昇していくとゲル全体が見え、そのゲルが建っている敷地が見え、さらに上に行くと、同じようなゲルが立ち並ぶかなり大きな集落が見えてくる一連の動画は、一家庭のストーブの煙はわずかなように見えても、そのような家庭が延々と立ち並び、輩出された煙が上空に集まり、溜まっている様子を映像で見ると、一軒一軒のゲルで使っている燃料をクリーンなものに変えるためには、ウランバートルへの急激な人口集中を避けたり、石炭が買えずに古タイヤを燃やす家庭を無くすための貧困対策などの政策が重要だという、マクロな視点に誘導されます。効果的に使えば、映像は余計な背景説明なしに、問題の核心をイメージさせる力があります。

ゲルの敷地を真上から写した映像。ドローンはこのまま真上に上昇を続ける。
ゲルの敷地を真上から写した映像。ドローンはこのまま真上に上昇を続ける。

360°カメラの新しい可能性

 360°カメラの画像も効果的に使われています。このウェブ作品は3章それぞれの画面の上部に映像クリップがあり、短いドキュメンタリーの中で構造的な問題をおおまかに説明し、登場人物をインタビューで紹介した後、その下にあるテキストを読み進めると、より詳しく理解できるように作られています。それぞれの章でとりあげた人が、どのような家に暮らしているのか、その人の敷地をクリックするとだんだん近づいていき、戸口付近にあるボタンをクリックすると、家の中を見回すことができるようになっています。実際にその人の家をのぞきに行って、家の周辺を見て回り、それから中に入れてもらうような感覚を画面上で味わうことができます。

実際にゲルの中にいるかのような視線を体験できる。
実際にゲルの中にいるかのような視線を体験できる。

 家の中の映像も360°カメラの画像で詳しく見ることができます。紹介した3軒のうち2軒は円形のゲルなので、画面を移動させると室内を見渡すことができます。中心に据えられた石炭ストーブ、床を覆うように組み合わされたじゅうたん、水道のない小さな台所、こどものことを考えて壁に貼られたミッフィーのマットなどが詳しくわかります。

 これまで360°カメラは、災害報道で被害状況を伝えるなど、屋外で拡がりがある場所での事例が多くありましたが、このような他人の家を訪れた視点で、周りを見回しているような「閉じた空間」に潜入するような使い方もあるのだという発見がありました。

現地で見物しているような感覚

 取材の状況などを詳しく聞けたわけではありませんが、敢えてレベルの高い注文を付ければ、例えばせっかく生活の匂いがする住居を訪問して、テーブルに食事が載っているにもかかわらず、360°カメラでは中で生活している家族が登場しないのは残念です。テキストでは政府がクリーンエネルギーや電熱器を推進しようと試みては腐敗や非効率によってしばしば中止されるとの説明がありながら、取り上げた家族の生活のようすは映像の中では具体的にほとんど紹介されてはいません。暖房や調理のシーンは登場しますが、どの家庭でどのような用具や燃料が使われているのかは描写されていません。政府の場当たり的な政策で、どのように影響を受けてきたのかなどもわからないなどの不満も残ります。

ドキュメンタリーの映像で使われたシーンの写真がテキストのパートで使われている。
ドキュメンタリーの映像で使われたシーンの写真がテキストのパートで使われている。

 しかし、このニュースが主に想定しているオーディエンス(受け手)のアメリカに住んでいる人も、また、この文章を読んで下さっている読者の方の中にも、モンゴルでこのような深刻な大気汚染の問題が進行していることを詳しく知っていた人は、ほとんどいなかったのではないでしょうか。ニュースの重要な機能のひとつに「新しいことを教えてくれる(informative)」があります。この作品は、ばい煙が立ちこめる空気で、眼やノドがいかにも痛くなりそうな感覚だけでなく、住民の生活の実態、母親たちのデモや防塵マスクの普及運動を始めたNGOの紹介など、住民の目線での不安が実感を持って理解できるものになっています。現在使い得るテクノロジーを総動員しているショーケースとしても参考になるのではないでしょうか。大学院の本格的な研究とはいえ、学生でも制作できるということも重要なポイントです。

「スマホ取材」の可能性

 もうひとつ紹介するのは「依存(Dependence)」という作品です。カリフォルニアのフレズノ市はドラッグを使用する人の割合が多いことで問題となっていますが、そのドラッグユーザーのひとり、アマンダという30歳のホームレスの女性に3カ月間密着したものです。妊娠していた彼女はその間に出産し、ドラッグ依存を止めなければと思いながら、我慢しきれず手を出してしまうという、出口の見えない、やるせない日常が描かれています。

「Dependence」のトップページ。
「Dependence」のトップページ。

 人の顔がほとんど出てきません。彼女も、そのパートナーも「顔から下」の映像や画像ばかりです。ドラッグユーザーという犯罪者と、そのプライベートな関係者だけを対象としたからです。また、生活になるべく密着し、本音ベースの話を聞くため、取材はスマートフォンとボイスレコーダーのみ、「待ち合わせをして、車の中に座らせてインタビューするようにした」と取材の手の内も作品の中で明らかにされています。

 制作者の女子学生が、アマンダに出会った経緯から、妊娠5カ月半から出産、ドラッグ依存を克服するプログラムに参加するも挫折し、赤ちゃんはいとこの家に預けられ、彼女が週に2回だけ監督下で会えるようになるまでの経緯が、写真の上に、テキストがスクロールして流れていき、その中に彼女の音声や、WhatsAppと見られるメッセージのやりとりの画面などが織り込まれる構成になっています。

いわゆる「顔から下」の映像だけの難しい表現が必要な題材だ。
いわゆる「顔から下」の映像だけの難しい表現が必要な題材だ。

 動画は、ドラッグ中毒者のHIV感染を防ぐため、NPOが注射器の無料交換を行っているゴミ箱を処理する冒頭のシーンと、彼女が出産した赤ちゃんが病院の保育器の中で手足を動かしているようす、リハビリテーションプログラムを終えて普通の生活にもどった彼女が、我慢できずに再び注射を手にしてしまうシーンのみ、それ以外はすべて写真が使われています。

アマンダが我慢できず注射を打つ衝撃的なシーンも淡々と描かれる
アマンダが我慢できず注射を打つ衝撃的なシーンも淡々と描かれる

これまで撮影できなかった領域へ

 おそらく、これを純粋な映像ドキュメンタリーでは撮影はできなかったと思われます。かなりの時間、継続的にカメラを向けられている緊張感に取材対象が心理的に耐えられなかったでしょうし、また、ドラッグ服用という違法行為のため、ホームレスとはいえ、生活圏の情報を大量に映像で流してしまえば、捜査機関に情報を提供しているようなものです。無理やり映像にすると、「顔から下」の人物が延々と登場し、「どこにいるのか」という情報の露出に制約が生じ、クローズアップのカットばかりになってしまい(アメリカのドキュメンタリーでは、日本の番組のように背景全体にモザイクをかけるような演出は、よほどの必然性がない場合しか使われません)、しかもこの人物は途切れ途切れにしか話をしませんから、非常に冗漫で面白くない作品になってしまう恐れが大きいからです。

映像よりも写真が雄弁に物語る場合もある。素材を選択するセンスが問われる。
映像よりも写真が雄弁に物語る場合もある。素材を選択するセンスが問われる。

しかし、この制作者は、大量の指輪を付けた手や、腕のタトゥー、ペディキュア、借り暮らしをしているホテルのテーブルにぶちまけられたカバンの中味など、彼女の生活や心の迷いなどの手がかりを丹念に写真に収め、接触の経緯をテキストと音声で補っていくという演出で、ドラッグ中毒者がどんな悩みを持ち、どん底から抜け出すために、いかにもがいているのかという、テレビでは不可能だったレポートに挑んでいます。

テキストの量をあえて抑える

 テキストのディスプレイにも特徴があります。ウェブの画面のベースには、話の進行に合わせて写真と動画が配置され、スクロールしていくと、かなり大きなフォントで2~3行の、その瞬間の彼女の状況や行動のみが客観的に淡々と説明されていきます。リハビリプログラムを経験しても、我慢しきれずまたドラッグに手を出してしまうという、一筋縄で解決しない問題の深刻さが、実感できる演出になっています。

 作品中には、妊娠中の彼女が出血してしまい、赤ちゃんのことが非常に心配ながらも、ドラッグの常用が病院にばれてしまうことを恐れて、何日間か迷い、最終的には取材者の説得で、取材者とともに病院に行くというエピソードがあります。ストーリーの中に実際彼女とチャットしたスクリーンショットもそのまま使われています。

チャットのスクリーンもそのまま見せている。
チャットのスクリーンもそのまま見せている。

 赤ちゃんと母親の命という人道的な問題に対し、対象に働きかけたり、行動の手助けをすることは取材の客観性を保つという意味で控えるべきだという議論との間で、いかにバランスを取るのかという、非常に難しい判断が必要です。さらに、そのような取材の過程を、どこまでストーリーの中に公開するかという一貫性も考慮しなくてはなりません。

 UCバークレー校ジャーナリズムスクールでは、週に1回あるプロジェクトの進行を確認するクラスで、このような倫理的な問題を議論して、「生きた教材」とする一方、指導教授がかなりの時間を割いて個人指導を行い、徹底的に議論して対応を導くようにしているとのことです。小規模な大学院なので可能なプログラムとも言えるのです。