阪神・淡路大震災の教訓は生かされたのか-熊本地震の食を問う

益城町の総合体育館の様子(4月15日撮影)

花見の季節が終わるのを待っていたかのように突然襲ってきた熊本地震。複数の断層に飛び火・拡大し強い余震で人々を悩ませている。20年前の阪神・大震災当時の痛みが思い出される。そして同じようなことが繰り返されているのではないかという辛い気持ちに襲われる。私は被災者であった。当時の私たちの体験からにじみ出た尊い教訓はどのように生かされたのか、とくに発災後3日間を経て今日(2016・4・18)までの避難所の状況を自助、共助、公助に分けて検証してみたい。

1 自助はどの程度? 発災後3日間の食料と飲料の欠落

「自分の食料と飲料は自分で備蓄を!分量は1週間分を!」という内閣府の呼びかけ(2013・5・28)は今日では常識である。この方針に従っていた被災者はどの程度いたのだろうか。生活に必要な品物のなかに、食べ物と飲み物(缶詰やレトルト食品など)を備蓄し災害時に持ち出して避難所へ向かった被災者はどれほどいたのだろうか。たとえば益城町で見た場合、家屋がすべて全壊したのではない。全世帯の1割未満ではなかろうか。全壊なら非常袋の持ち出しは不可能であるが、そうでない世帯は家をでるとき非常持ち出し袋を持ってでることができたのではないか。自助の意識はどうなのかと思われる。

発災後食料と飲料が不足していると報道されていた。とくに水分の摂取は健康保持には不可欠である。せっかく助かった命も体内の水分が不足すると命取りになる。自分の命は自分で守るといわれているが、ただ逃げるだけではなく、命をつなぐために飲み物を飲むことが命をつなぐために不可欠である。この基本的な教訓がうまく引き継がれていないとすれば残念である。

2 共助はできていたか―地域社会の力合わせの取組は? 

避難所に持参した各自の食料と飲み物を互いに分け合い命をつなぐという“助け合い”の行動はどうであろう。全壊した被災者には被害の少なかった人々が面倒を見て助けるという共助の姿勢が必要である。特に災害弱者には介助が求められる。地域社会で自主防災、自治会などの組織、リーダーらしき人々のリーダーシップは発揮されたのだろうか。山積みの救援物資を分配する人が足りず避難所に届きにくいという点も指摘されていた。自主的組織が一役買ってみんなで動けば分配はそれほど困難な問題ではないはずである。共に助け合うという基本的な行動が不十分なように思える。そもそもご飯焚きを自衛隊にやらせて長い行列を作って握り飯をもらうというのはどう見ても情けない。自衛隊には救命などの特殊技能を発揮してもらいたい。飯炊きは地域住民自らでやれる作業ではないだろうか。なぜ日頃から地域住民は結束して炊き出し訓練をしないのか。平時の避難訓練時にこそ飯炊き訓練をしておくべきではないのか。共助の姿勢は一足飛びにはできない。日頃から仕組みづくりをしたうえで充分訓練しておくことを望みたい。

しかし、なかには各家庭から冷蔵庫内の食品を持ち寄って炊き出しをした避難所もある。しかし、冷蔵庫は停電で庫内温度が上昇している場合もあるので注意が要る。炊き出しには十分な水、熱源、釜などの用具、冷蔵庫などが不可欠である。不十分な場合には食中毒、感染症などを引き起こし経口・経腸管などの接触感染のリスクが大きく2次災害につながる。とくに熊本地震では強度の余震に再三見舞われている。そういう状況では炊き出しは危険なのでタイミングを見極めることが望まれる。

3)公助 自治体はなにを?その責務を果たしているか

公助はなにをしていたのか、実態が見えない。指定避難所に県、市町村は事前に食料、飲料の備蓄をしていたのだろうか。もしそうであれば、それが役立ったはずではなかろうか。各避難所には「なにが」「どれほど」「分散備蓄」されていたのだろう。強度の地震、余震の繰り返しに見舞われた被災者はくたびれてストレスをため情緒不安で悲嘆にくれていた。そんなときこそ、行政は被災者に食料と飲料をお見舞いとして差し出してほしい。おまけに他県からの救援物資の分配は人手不足と道路の寸断で迅速性を欠いた。

さらに熊本県が県内全45市町村に災害救助法の適用を決めたのは発災翌日(2016・4・15)と報じられている。(ホームページ:内閣府防災担当)つまり熊本県の全被災者1人に対して1日1,110円の経費が食料と飲料代として補助される手はずになっている。仕出し弁当を配るなり、炊き出しをするなり食料と飲料を被災者に提供した場合、熊本県がそれを支払うということがとり決められている。にもかかわらずそれらしい形の食事は被災者に提供されていないのではないか。一刻も早く栄養のとれる日常の食事に近いおいしい食べ物を配り、被災者の失われた健康を回復する努力を重ねてもらいたいと願う。(2016・4・19)