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殺害の神話とハイヌウェレ

沖田瑞穂神話学者・博士(文学)・大学非常勤講師・神話学研究所所長。
(提供:イメージマート)

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殺害の神話とハイヌウェレ

インドネシアに、ハイヌウェレという少女が殺害されて切り刻まれ、その死体から様々な種類の芋が発生したとする、農耕の起源を語る神話がある。インドの神話の中には、このハイヌウェレ型神話によって解釈できるものもある。

・切り刻みのモチーフ

ハイヌウェレは、生きている間は様々な貴重品を排泄物として出した(おそらく神話本来の形では、様々な食物を排泄した)。しかし人間たちに殺され、その死体が切り刻まれて最初の芋となった。人々はこの芋を食べて生きることになった。

この話の中で、死体の細断のモチーフが重要な意味を持つ。ハイヌウェレの死は、芋の栽培を背景としているのだ。芋は、切り刻んで、それを土に埋めて栽培する。ハイヌウェレは、芋そのものの女神として、切り刻まれたのだ。

この切り刻みのモチーフが、インド神話など、他地域にも見られる。まずは、『マハーバーラタ』の話を紹介しよう。

「クル族の王妃ガーンダーリーが、肉の塊を産んでそれを百個に分割し、そこから百人の子どもが生まれた話」

ガーンダーリーはかつて、飢えと疲れで憔悴してやって来た聖仙ヴィヤーサを丁重にもてなしたために、彼から望みを叶えてもらえることになり、百人の息子を望んだ。やがて彼女はドリタラーシュトラ王と結婚し、懐妊したが、二年経っても子は生まれなかった。そのうち、夫の弟の妻クンティーに素晴らしい長男が生まれたことを聞き、悩んだ挙句に彼女は自分の腹を強く打った。すると一つの肉の塊が生まれた。彼女がそれを捨てようとすると、ヴィヤーサがやってきて、その肉塊に冷水を注いで百個に分け、それぞれをギー(精製したバター)に満ちた瓶の中に入れ、それらを注意深く見守った。そしてさらに二年が経ったらそれらの瓶を割るようにとガーンダーリーに言ってから、ヴィヤーサは去った。時が満ちて、長子のドゥルヨーダナをはじめとする百人の息子(カウラヴァと総称される)が誕生した。

肉の塊を切り刻んで子孫を得るというモチーフは、中国のミャオ族の間に伝承されている、洪水神話にも出てくる。

大昔、雷公が暴れ回るので、ある男が虎狩り用の刺股で捕らえ、鉄の檻の内に閉じ込めた。ある日、男が所用で留守をするとき、男の子と女の子のきょうだいに雷公の見張りを命じ、決して水を与えるなと言いつけて出かけた。兄と妹が見張りをしていると、雷公は苦しそうにうめき、子どもらに水を求めた。最初は断ったが、同情した兄と妹は一滴の水を雷公の口に滴らせた。突然、雷公は檻を破って飛び出し、天空に昇って行った。立ち去るとき兄妹に歯を抜いて与え、植えるように言った。父親が戻り、驚いて船を造る用意を始めた。二人の子どもが雷公の歯を植えるとたちまち生長し、大きな瓢の実がなった。まもなく大洪水が起こり、船に乗った父もすべての人間も溺死したが、瓢の中に入った二人は助かり、のちに結婚して肉塊を産んだ。それを細かく切って撒くと人間に変わった。(出典:大林太良・伊藤清司・吉田敦彦・松村一男編『世界神話事典 世界の神々の誕生』角川ソフィア文庫、平成24年、35~36頁)

これらのインドや中国の肉塊細断の話にも、ハイヌウェレ的要素が部分的に認められると言えるだろう。

・子どもと殺害

生殖と死は表裏一体である、というのが神話的思考である。そのことは、特に上述のハイヌウェレ型の神話によく表れている。

同じ思考が、そう遠くない過去のインドにおいて、現実のものであったことを示す恐ろしい論文を見つけた。

「子どもを得るための儀礼的殺害」

“Ritual Murder as a Means of procuring children”,

by Sir Richard C. Temple, The Indian Antiquary, 1923, May, pp. 113-115.

インド領アンダマン諸島の中心都市ポートブレアはかつて流刑地であった。そこの犯罪者植民地に監督として務めていた間に記録した、北インドの良く知られた慣習についての事例。

1.ベギー

1895年12月2日にポートブレアの流刑地に収容され、二年後に死亡。1893年5月5日に殺人の有罪判決が出されていた。歳は40歳頃。彼女と共に、娘のアミーリーにも嫌疑がかかった。

この親子は1893年3月2日に、ベガムという名の三歳の女の子を殺害した。供述によると、彼女は自分が誰かの長男か長女を殺して、その死体の上で沐浴をすれば、自分に男の子が生まれると信じていた。そこである日、ベガムがベギーの家の近くで彼女の娘のマーモンと遊んでいる時に、ベギーとアミーリーがその子をさらってベギーの家に連れ込み、ナイフで喉を切った。死体は隠しておいて、次の日家の隅に埋葬した。翌日、死体はアミーリーによって村の池の側にある大麦畑に運ばれ、ベギーがその死体の上で沐浴をした。

そして死体を池へ流した。しかしそれは沈まなかったので発見された。

2.ジョイ(Joi)

1896年に放火殺人の有罪判決。藁葺きの小屋に火を放ち、その中で眠っていた二人の男性を焼き殺した。自白によると、彼女は子どもを得るために、呪術師の助言に従って小屋を燃やした。彼女は結婚して12年経ち、二人の子どもがいたが、どちらも幼いうちに亡くなり、その後子どもができなかった。

判事によれば、このような理由で行われる殺人事件は珍しくないのだという。

19世紀の北インドでは、女性が子どもを得るために、儀礼的な目的で人を殺害するという事件が、「珍しくなかった」ということである。

ここに挙げた事例は、ハイヌウェレ神話のような農作物などの豊穣とは何の関わりも持っていない。しかし、生の前提に死がある、という考え方が、ハイヌウェレ神話の母胎となった文化の、「生まれるためには殺さねばならぬ」という論理に通じる。

殺された女神の死体から有用植物が生じたとする神話は、同時に人間の死の起源と生殖による子孫繁栄をも説明していた。近代の北インドでは、その世界観が農作物の豊穣よりも子孫繁栄の方に極端に偏っていたようである。

神話学者・博士(文学)・大学非常勤講師・神話学研究所所長。

1977年、神戸市生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科日本語日本文学専攻博士後期課程修了。博士(日本語日本文学)。東海大学文学部在学中よりサンスクリット語とインド神話を学ぶ。専門はインド神話・比較神話。著書に『マハーバーラタの神話学』(博士論文、弘文堂)、『怖い女』(原書房)、『人間の悩み、あの神様はどう答えるか』(青春文庫)、『マハーバーラタ入門』(勉誠出版)、『世界の神話』(岩波ジュニア新書)、『マハーバーラタ、聖性と戦闘と豊穣』(みずき書林)。監訳書に『インド神話物語 マハーバーラタ』(原書房)がある。

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