22年前のファーム日本選手権で、阪神打線の度肝を抜いたヤクルト・五十嵐亮太投手の豪速球

写真は2018年のファーム日本選手権で優勝し、矢野監督を胴上げする選手たちです。

 きょう10月26日、まもなくプロ野球ドラフト会議(新人選手選択会議)が始まります。新型コロナウイルス感染症の拡大により、あらゆることが変化した2020年。その影響はドラフト会議にも及び、この日のためのガイドラインが発表されました。ことしは史上初の“オンライン開催”で、ここ10年ほど抽選で招待されていたファンの皆様もオンラインでの参加となり、さらに報道陣も会場へ入れないため監督の談話などはオンライン取材だそうです。

 センバツも夏の選手権もなかった高校生。リーグ戦が中止になったり、形を変えたりして行われた大学生。11月に開催予定の都市対抗以外は公式戦が軒並み中止だった社会人。ことしは指名する側も、される側も戸惑いや不安があるかもしれませんね。そんな中ですが、これからプロの世界へ踏み出す新人選手たちが決定していきます。その先が明るい夢に満ちていることを祈りましょう。

 そして毎年のことながら、来る人があれば去る人あり…なんですね。きのう25日はヤクルトの五十嵐亮太投手(41)が、神宮球場で最後の1球を投げ、ファンに別れを告げました。本人はすがすがしい表情で笑顔の挨拶だったけど、引退を決める時にはどれだけ泣いたのだろう。それを考えたら、やっぱり涙が出ます。

 10日前の引退会見で「プロ野球を夢見てやってきてよかった」、「当たり前の日常が幸せだった」と語り、後輩たちへ向けて「どんな時もグラウンドに希望を持って立ち続けてほしい」と五十嵐投手は話しました。

 引退試合が日米通算906試合目の登板で、これはすべてリリーフによるものです。「ピッチャーは抑えた時より打たれた方がニュースになる。抑え続けることが当たり前と思われている中継ぎというものはおもしろい」。そんなことも言っていましたね。そして「あまり知られていないと思いますけど、1年目とかはファームで先発していたんですよ」と。

 知っています!覚えています。いえ、いまだに忘れられません!私にとって五十嵐亮太というピッチャーは、22年前の沖縄で阪神打線を圧倒した、あの豪速球そのものです。

※最近は「剛速球」と表記することも多いようですけど、当時は「豪速球」が主だったので、豪と書かせていただきます。

12年ぶりにリーグ制覇した阪神

 1998年、阪神のファームは4月に7連勝があり、5月31日からは首位をキープして6月に6連勝、7月半ばから8連勝と好調で、8月20日に優勝へのマジックナンバー10が点灯しました。そして9月10日、マジック1で迎えたシーズン最後の本拠地開催ゲームで近鉄と引き分け、12年ぶり8度目のウエスタン・リーグ優勝を決めています。

 この日の近鉄戦は振替試合だったため、鳴尾浜だけど阪神が先攻。6回に北川博敏選手の犠飛で追いつき、1対1の9回裏を片瀬清利投手が抑えて試合終了。和田博実ファーム監督、古沢憲司投手コーチ、岡田彰布打撃コーチが順に胴上げされました。

1998年9月21日の20時20分から放送した、阪神ファームの優勝特番進行表です。聞いてくださった方、ありますか?遠い遠い昔ですけど(笑)
1998年9月21日の20時20分から放送した、阪神ファームの優勝特番進行表です。聞いてくださった方、ありますか?遠い遠い昔ですけど(笑)

 5年ぶりに阪神へ戻った岡田コーチの指導で、明らかにバッティングが変わったと感じたシーズンです。岡田コーチは翌年から4年間、ファーム監督を務めて優勝3度(2000年は貯金24ながら2位)、続く木戸克彦監督時代と合わせて、当時リーグ史上初の3連覇も達成!ファーム日本選手権も常連だった時代ですね。

 さて、そのファーム日本選手権が始まったのは1987年。1995年まではジュニア日本選手権という名前でした。1996年に「1軍の日本シリーズと違って1試合だけでは、やる意味がない」との理由でいったん廃止になったのですが、1997年に復活。ファーム日本選手権と名称を変え、その年から4年連続で秋季教育リーグ『ハイサイリーグ』開催地の沖縄で行われています。

同じくラジオの進行表、後半です。橋本投手、浜中選手、北川選手のインタビューも。
同じくラジオの進行表、後半です。橋本投手、浜中選手、北川選手のインタビューも。

 ウエスタン・リーグは1955年にスタートして、そこから10年の間に阪神は5度も優勝があります。そのあとは1972年と、1軍が優勝した翌年の1986年だけで、次は1998年と大きく空きました。10日後にMBSラジオで優勝特別番組を放送したのですが、12年前の優勝監督ということで中村勝広さんにゲスト出演していただき、和田博実監督や選手のインタビューを流したことも覚えています。写真は、その番組の進行表です。

 中村さんは1983年から5年間ファームの監督を務められ、その4年目の優勝。ファーム日本選手権が始まる前年だったので、阪神の日本選手権出場は1998年が初でした。

「何?このピッチャー。球が速すぎる!」

 1998年10月10日、沖縄県の宜野湾市立野球場で開催されたファーム日本選手権。ちょうど大綱引きで知られる那覇まつりの最中で、那覇市内が大賑わいだったんですよね。綱引きは見ていませんけど、10月なのに浴衣姿の女性が大勢いて、さすが沖縄と感心した記憶があります。

 12000人収容の宜野湾市立野球場は、前年のファーム日本選手権(日本ハム対オリックス)の6000人を上回る8500人が観戦。有料試合では最多の人数だった、とメモに書いています。阪神が12年ぶり8度目のリーグ優勝なら、相手のヤクルトは19年ぶり4度目のイースタン制覇。だいたいイースタンは巨人がほとんど優勝していますから、珍しかったのかもしれませんね。

 そして、ヤクルトの先発がドラフト2位ルーキー・五十嵐亮太投手だったのです。実は、リーグ優勝を決めた9月26日のロッテ戦でも五十嵐投手は6回までパーフェクトピッチング!その直後に降雨コールドゲームとなったため参考記録ながら、完全試合を達成していました。見た目は優しい顔立ちだし、髪の毛はフワフワしていて可愛い19歳…という印象はプレーボールとともに吹っ飛びます。

 とにかく球が速い!この日の最速は144キロでしたが、とんでもないですね。あんな速い球を見たことがなかったというか、当時の阪神であんな球を投げる人はいなかったのではないでしょうか。度肝を抜くとは、こういうことかと実感しました。コントロールはよくなかったけど、キャッチャーミットまで落ちることなく、いや浮き上がっていくみたいな真っすぐです。

2年目の4番・浜中が2安打するも…

 CSテレビで放送された試合の中継を録画したビデオテープは見つかったものの、VHSを見る手立てがなくてガッカリしていたら、新聞の切り抜きと自分で書いたスコアシートが出てきました!置いているもんですね、ちゃんと。今とはシートの仕様が違うし、独特の表記なのでわかりにくいですけど、これも写真でご覧ください。

 試合結果は下に書いておきます。背番号も懐かしいですねえ!2年目コンビの浜中治選手が66、関本健太郎選手は64で、4年目の田中秀太選手はまだ60をつけています。ルーキーで唯一出場したのが橋本大祐投手。ヤクルトも五十嵐投手だけでした。そうそう、岩村明憲選手もまだ2年目ですよ。

《1998ファーム日本選手権》

阪神-ヤクルト(10月10日・宜野湾)

  ヤ 101 000 200 = 4

  神 000 000 001 = 1

◆バッテリー

 【ヤ】○五十嵐-斎藤-押尾 / 小野

 【神】●井上-山村-遠山-橋本 / 北川

◆打撃

【ヤクルト】         打-安-点

 1]三:岩村 明憲 2年目(19) 5-0-0

 2]中:松元秀一郎 8年目(26) 5-2-0

 3]遊:三木  肇 3年目(21) 5-3-1

 4]一:高梨 利洋 7年目(24) 4-0-1

 5]捕:小野 公誠 2年目(24) 4-2-1

 6]右:佐藤 真一 6年目(33) 4-3-0

 7]左:津川  力 7年目(25) 3-1-1

 8]二:宇佐美康広 5年目(22) 3-0-0

 9]投:五十嵐亮太 1年目(19) 1-0-0

 〃打:鮫島 秀旗 7年目(25) 1-1-0

 〃投:斎藤 充弘 5年目(29) 1-0-0

 〃打:城  友博 11年目(29) 1-0-0

 〃投:押尾 健一 9年目(27) ―――

【阪神】

 1]二:平尾 博司 5年目(22) 3-0-0

 2]中:吉田  浩 9年目(26) 2-0-0

 3]右:曽我部直樹 3年目(26) 4-0-0

 4]左:浜中  治 2年目(20) 3-2-0

 5]捕:北川 博敏 4年目(26) 3-0-0

 6]一:松井 達徳 9年目(33) 3-0-0

 7]遊:関本健太郎 2年目(20) 4-0-0

 8]投:井上 貴朗 5年目(23) 0-0-0

 〃投:山村 宏樹 4年目(22) 0-0-0

 〃投:遠山 昭治 13年目(31) ――― 

 〃打:吉本  亮 6年目(28) 1-0-0

 〃投:橋本 大祐 1年目(23) ―――

 〃打:川名 慎一 10年目(28) 0-0-0

 9]三:田中 秀太 4年目(21) 2-0-0

 〃打:岩田  徹 10年目(31) 1-1-1

◆投手

【ヤクルト】   (安-振-球/失-自)

  五十嵐 5回 88球 (1-5-5 / 0-0)

  斎藤  3回 58球 (1-2-3 / 0-0)

  押尾  1回 27球 (1-2-2 / 1-1)

【阪神】

  井上 3.0回 53球 (6-1-2 / 2-2)

  山村 3.2回 85球 (5-2-3 / 2-2)

  遠山 0.1回 5球 (0-1-0 / 0-0)

  橋本  2回 35球 (1-1-0 / 0-0)

◆三塁打 ヤ:三木

◆二塁打 ヤ:松元秀、三木、津川

◆犠打 ヤ:津川、宇佐美 神:田中

◆犠飛 ヤ:高梨

◆盗塁 ヤ:松元秀 神:浜中

◆失策 神:田中、平尾

◆暴投 ヤ:押尾

《試合経過》※敬称略

1998年10月10日、ファーム日本選手権のスコアシート。こちらは先攻・ヤクルトの攻撃です。
1998年10月10日、ファーム日本選手権のスコアシート。こちらは先攻・ヤクルトの攻撃です。

 阪神の先発・井上は1回、松元秀の左中間二塁打と三木の右前打で1死一三塁として、高梨の右犠飛で1点先制されます。2回は三者凡退で片づけるも、3回1死から松元秀に左前打と盗塁を許し、続く三木の左越えタイムリー二塁打で2点目。4回は先頭の佐藤真に中前打、津川に四球を与えて降板しました。

 無死一、二塁で代わった山村は宇佐美の犠打と五十嵐への四球で1死満塁とするも、岩村は見逃し三振、松元秀は二ゴロで事なきを得ています。5回はサード田中の送球エラーや佐藤真の左前打などで2死一、三塁のピンチをしのぎ無失点。6回も代打・鮫島の中前打のみで追加点を与えていません。

 ところが7回、先頭の三木に中越えの三塁打を浴び、1死後に小野の左前タイムリーで1点。さらに佐藤真への四球で1死一、二塁として続く津川の左翼線二塁打で小野を返しました。宇佐美に四球を与え満塁にしたあと、斎藤は見逃し三振で2死となり山村は交代。続く岩村を遠山が空振り三振に仕留めています。

 8回はルーキーの橋本が登板し、2番からを三者凡退!9回はセカンド平尾のエラーと佐藤真の中前打、津川の犠打で1死二、三塁と攻められますが、宇佐美は中飛、代打・城は見逃し三振で、2イニングを無失点で終えました。

わずか3安打ながら何とか完封は阻止

 一方の阪神打線は五十嵐に対して、なかなかヒットが出ません。1回は平尾が四球を選んだものの二盗失敗、あとは連続三振で終了。2回も先頭の浜中が四球でしたが、後続を断たれて無得点。3回は先頭の井上が四球、田中が送って平尾も四球で1死一、二塁とようやく二塁まで走者を進めますが、内野フライ2つでどうにもならず。

こっちは後攻・阪神の攻撃。ヤクルトの方と比べて赤い色がかなり少なめですね。3安打なので…。
こっちは後攻・阪神の攻撃。ヤクルトの方と比べて赤い色がかなり少なめですね。3安打なので…。

 4回に先頭の浜中がチーム初ヒットとなる中前打!北川の三振で盗塁も決めました。しかし後続が三振と外野フライ。5回は山村が四球を選ぶも併殺などでやはり遠いホームです。1安打ながら、5四球で毎回先頭打者を出した五十嵐に対し、三振5つとフライ6つ…。とらえきれないまま5回が終了。

 ヤクルト2人目は斎藤。6回に先頭の吉田浩が四球を選び、1死後に浜中の右前打で三塁を狙うもタッチアウト。北川は大きな当たりを放ちますが、惜しくも左飛でした。7回にまた先頭の松井が四球で出塁するも、後続はフライ3つ。8回は1死から吉田浩が四球を選んだあと連続三振と、チャンスを広げることもできません。ここまでヒットは浜中の2本のみです。

 4対0とヤクルトリードで迎えた9回、3人目の押尾から先頭の北川が四球を選び、松井の右飛で二塁へ。関本は三振に倒れるも代打・川名のところで暴投があり、この試合初めて三塁に走者を置きます。川名は四球で2死一、三塁、田中の代打・岩田がワンボールからの2球目を打って中前タイムリー!生え抜きの10年戦士が意地の完封阻止ですね。なおも2死一、二塁で、最後は平尾が三振を喫して試合が終わりました。

砲丸のような球、打ち崩せない投手

 では、この試合に出ていたOBのコメントをご紹介します。まず先発した井上貴朗さん(現在は45歳)。「あの時の五十嵐くんのボールは、打席に立ったのでよく覚えています」と言います。そう、DH制ではなかったんですよね。「速いには速かったのですが、それよりも球が砲丸投げの球みたいに大きく見え、大砲のようなボールでした」

 それは怖い…。何でしょう、威力ですかね?さらに「浮き上がってくるような感じもしました。だから、みんな高めのボール球を振ってしまったんだと思います」と、なかなか冷静に見ていた井上さん。記憶も鮮明のようです。高めのボール球を振って…。それはもう5回まで5四球、5三振という結果に表れていますね。

 続いて、井上さんと同期で現在は西武ファームの平尾博司打撃コーチ(44)。ただし平尾コーチの話はずっと昔に聞いたもので、たまたま見つけたメモ書きからです。「ファーム日本選手権、確か岡田さんが監督の時だったかな?」。これ、勘違いしている人が多いんです。翌1999年の岡田監督の時も、沖縄(浦添)でのファーム日本選手権に出ているので、余計にややこしい。この年は日本ハムが相手で浜中選手の2発など7対3で勝ち、初のファーム日本一になりました。

 平尾選手メモを続けます。「あの時は岩村もいたし、試合は負けましたね。僕は確かセカンドで出ました。エラーもした」。はい、この記憶は正しいです。「五十嵐くんとは(1軍の)神宮でも対戦していますよ。とりあえず速いストレートのみ打ちに行った印象です。変化球が来たらごめんなさいで。それでもなかなか打ち崩せない投手でした。当時、豪速球といえば五十嵐投手でしたね!」。苦労させられたみたいですね。

「22年前の144キロは豪速球!」

 最後は吉田浩さん(48)。「五十嵐くん、引退かあ」という第一声のあと、私が「あの試合での最速が144キロだったんですね」と言ったら、すぐに答えが返ってきました。「岡本さん、当時の144キロはめちゃめちゃ速いです!私の時代は140キロ超えれば速球派でしたから。掛布さんも岡田さんも言っていました。『俺らの時は130キロ後半から140キロ前半やった』と」

これまた本文とは無関係なんですけど、2018年のファーム日本選手権(宮崎)で巨人に勝ち、胴上げされる当時の矢野ファーム監督。
これまた本文とは無関係なんですけど、2018年のファーム日本選手権(宮崎)で巨人に勝ち、胴上げされる当時の矢野ファーム監督。

 そうですね、22年前に150キロなんて、ありえない数字。球速が上がってきたのもあるだろうけど、スピードガンも進化していますし。当時、スカイAの中継で現地におられた阪神OBの福家雅明さん(61)も「144キロって速いよ!豪速球ですよ。みんなで言ってた。来年から1軍やな、って」と、はっきり記憶されていました。その通り、翌年から1軍でのリリーフが始まったわけです。

 吉田さんの話に戻りましょう。「五十嵐くん、当時は真っすぐとフォーク、とにかく速かった。けど、コントロールは悪かったかな。スコアラーの情報は“フォアボールで自滅”やったけど、何とかもった感じで。速球派から晩年はナックルカーブを覚えて、ギアチェンジもうまくできた選手なんでしょうね。なかなか速球派は自分を変えることができないけど、柔軟に自分を見つめて対処したんやろね。野村監督との野球が生きてるんやと思います」

 最後に「ほんまにお疲れ様でしたとお伝え下さい。でも、これからの人生の方が長いんで、楽しんで下さい!」と吉田さんは締めてくれました。そうですね。またユニホームを着るかもしれませんし、全然違うことをやっているかもしれないけど、やっぱり前向きに、柔軟に対応していく姿が浮かびます。あの時の豪速球も忘れません!長い間、お疲れ様でした。

   <掲載写真は筆者撮影>